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ひとつの指針

フラウレティアは、ディードと共に部屋に戻った。

ディードは執務室でのフラウレティアの様子が気になって、部屋を訪ねてくれたらしい。

部屋に誰もいないので、外へ探しに行こうとしたところ、廊下でぶつかったのだった。




ディードは小さな椅子に座ると、ベッドに腰掛けたフラウレティアを気遣うように見つめた。

「大丈夫かい?」

「はい。前をちゃんと見てなかったので、すみませんでした。受け止めて下さって、ありがとうございます」

ペコリと頭を下げるフラウレティアを見て、ディードは軽く苦笑する。

「ぶつかったことじゃない。厨房でのことで随分落ち込んでいたようだから、心配しているんだ」


ディードの言葉に、フラウレティアは顔を上げて目を瞬いた。

自分の事をよく見て、正面から心配してくれる人がここにもいる。

その事実は、波立っていたフラウレティアの心を少しずつ落ち着けた。

「…………ありがとうございます。大丈夫です」

フラウレティアは、ようやく薄く笑んで答えた。 



ディードは暫く黙って彼女の顔を見つめていたが、ふと思い付いたように口を開く。

「フラウレティア、少し竜人族について質問してもいいかい?」

「え? あ、はい……」

フラウレティアの返事は小さくなった。

ドルゴールについて、話せることはもう話した。

ディード達はフラウレティアが話した事実を公にはしないと約束してくれたが、やはりまだ探りたいことでもあるのだろうか。


少し警戒を滲ませたフラウレティアに向けてディードが発した質問は、予想外な内容だった。

「竜人って、食事は一日三度摂るのかい?」

「……え? はい、人間と同じように食べます」

「それは、人形(ひとがた)で?」

「はい。普段は大体、皆人間と同じように生活していますから」

ディードは小さく何度か頷く。

「それでフラウレティアは、すぐにここの暮らしに馴染めたんだな」


朝起き出し、身支度を整え、煮炊きをして食事をする。

昼はそれぞれの生活に沿った仕事をこなし、夜には身を清めて眠る。

そういう基本的な生活習慣が人間と似ているから、フラウレティアは戸惑いながらも砦での生活にすぐ馴染むことが出来たのだろう。

仮に竜人族が、翼竜の姿で人間の暮らしと全く違う日常を送っていれば、フラウレティアは砦で更に浮いた存在になったことだろう。


「じゃあ、食事はどんなものを? パンや野菜も食べるのかい?」

「はい。皆肉が好きですけど、パンも、野菜や果物も食べます」

想像してみているのか、ディードは一度目を閉じたが、考えるような表情で続ける。

「……あの大きな爪が付いた手で、パン生地を捏ねられるものなのか? 私も捏ねたことがあるが、ベタベタ手にくっついて大変だぞ」

「ディード様が料理を?」

フラウレティアが目を見張る。

「昔、野外演習の時に煮炊きしたら楽しくてね。今でも趣味で、時々厨房に立つ」


領主なんていう肩書を持つ人は、料理なんてしないのかと思っていたが、実はそんなことないのだろうか。

それともディードが特別なだけなのか。

フラウレティアの顔に、考えていることが出ていたのか、ディードは微笑んで言う。

「意外かな?」

「……はい。少し意外でした」

「煮込みはマーサ直伝だから、結構美味いと思うよ。機会があれば、披露したいね」

深い海色の瞳が優しい色合いに見えて、フラウレティアは何故かホッとした。

ディードに再びパンの事を聞かれて、フラウレティアは頷いて答える。

「竜人達はヘラで捏ねて、大きなパンを焼くんです。以外と細かい作業も、爪先で器用に出来るんですよ? アッシュは苦手だけど」

フラウレティアはふふと笑った。


その後も、ディードが聞くのは竜人達の日常の暮らしぶりのことばかりで、フラウレティアはドルゴールや竜人達(なかま)のことを気兼ねなく話せることが嬉しく、いつしか身振り手振りを加えて笑いながら話していた。





「良かった。ようやくその笑顔が見られた」

たくさん話して、話に区切りがついた頃、ディードが小さく息を吐いてフラウレティアに微笑みかけた。


ディードと話している内に、フラウレティアの落ち込んでいた気分は、随分と軽くなっていた。

普段のように笑顔で会話を楽しんでいたことに気付き、フラウレティアはペコリと頭を下げる。

「ありがとうございます、ディード様」

「うん。何かあったら、私に出来る事で力になる。……一人で我慢してはいけないよ」



その優しい声掛けと瞳に、フラウレティアは屋上から持ち帰った、冷たい疑問を聞いてもらいたくなった。

一度唇をきゅっと引き結び、コクリと喉を鳴らしてから、顔を上げる。


「ディード様、私は、本当はここにいない方がいいんでしょうか。私が人間の世界を学びたいと、フルデルデ王国に入ろうとすることは、誰かに迷惑をかけることなんでしょうか」

思い詰めた様子のフラウレティアを見て、ディードは微笑みを薄くする。

「誰かに何か言われたのかい?」

フラウレティアは無言で視線を落とす。




ディードは暫く黙っていたが、ゆっくりと口を開いた。

「フラウレティア、もしもこの砦内で金貨の入った財布を拾ったら、君はどうする?」

「……持ち主が分からなければ、近くの人に相談します。相談出来る人がいなければ、ディード様のところに届けます」

フラウレティアの答えに一つ頷いて、ディードは続ける。

「しかし、相談して預けた相手が、中身を抜くかもしれないし、私が預かって忘れてしまうかもしれない」

「そんなこと……」

困惑するフラウレティアに、ディードはもう一度頷く。

「もしもの話だ。だが、決して有り得ない話でもない。だがそうなった場合、それは届けた君のせいになるだろうか? 自分の行動が思わぬ結果に繋がって、それを全て自分のせいにするのはあまりに高慢だ。世で起こる事は全て、故意に起こしたものでない限り、多くの要因が偶然重なって起きるものだ」

フラウレティアは、ディードの言葉に黙って聞き入る。

「厨房の件もそうだ。君がどんな物を置いていたのだとしても、触る者もいれば触らない者もいるし、あの場に偶然エナが来なければ、騒ぎにはならなかったかもしれない。偶然が重なっただけで、決して君のせいではないんだよ」


フラウレティアは、ディードの言葉を頭の中で反芻する。

確かにそうだ。

自分の身の回りに起こる事が全て、自分が影響して起こることではない。

悲しくて辛いことも、逆に嬉しくて楽しい事だって、偶然に起こることが殆どだ。


フラウレティアの考えが落ち着くまで、ディードは待った。

彼女が飲み込んで顔を上げると、椅子に座っていたディードは、上体を近付ける。

ベッドに座って膝の上で握られたフラウレティアの手を、優しく叩いた。

「……だから、君はいたいと思う所にいて、知りたいと思うことを知りなさい。自分の良心に従って選ぶんだ。先に起こるかどうかも分からない事に、自分の存在を重ねて危惧するのは意味のないことだと、私は思う。これから何処で、どうやって生きるのか、それを決めるのは君自身だ」


ディードの視線を正面から受け止めて、フラウレティアはゆっくりと、しかし強く頷いた。






ディードは一人、執務室に戻った。

既に今日の執務は終えていて、部屋の明かりは消してあった。

窓から入る月光の明るさを頼りに、薄闇の中を執務机まで進むと、机の上の魔術ランプに明かりを灯す。

机の上の、小さな肖像画が仄かに照らされる。

そこに描かれた妻と娘に、彼は愛おしむように指先を滑らせた。


『自分の行動が思わぬ結果に繋がって、それを全て自分のせいにするのはあまりに高慢だ』


自分が吐いた言葉が胸に刺さり、ディードは掌を額にやって呟く。

「……どの口がそんなことを言えるのか……」



彼の胸の奥深くには、愛する妻子が無惨な亡くなり方をしたのは自分のせいだという思いが、未だしこりのように残っている。






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