ミルクジャム
「フラウレティア、何作ってるの?」
日の入りの時刻も過ぎた厨房で、鍋をかき混ぜているフラウレティアの肩越しに、下女が手元を覗いた。
鍋の中では、白い液体がクツクツと音を立てている。
フラウレティアは額に汗を滲ませて、鍋底が焦げ付かないように、絶えずヘラを動かしていた。
「ヤドのミルクを煮詰めてるんです」
「ミルクジャム? どうして?」
下女が、スンスンと鼻を動かして尋ねた。
フラウレティアは袖で汗を拭く。
「グレーン薬師に食べて頂こうと思って。最近あまり食べられないみたいなんです。甘いものが食べたいと仰るから」
ヤドは、フルデルデ王国で多く育てられている家畜だ。
肉も食べるが、主に乳を絞って食用とし、刈り取った毛を糸や毛織物として加工する。
フラウレティアが今作ってるのは、そのヤドの乳を砂糖と共に煮詰める、ミルクジャムだ。
とっくに厨房の片付けも終わっている時間なのに、気が付けば後ろには、甘い匂いにつられてか、料理人や見習い達も集まっていた。
砦の厨房では、殆どが肉体労働の兵士達の為に食事を作る。
その為、菓子のような甘味を作ることはない。
滅多に嗅ぐことのない甘い匂いは、皆それだけで心惹かれてしまうのかもしれない。
フラウレティアも、菓子などは殆ど作ったことがないが、これはドルゴールでよく作っていた。
暑い時には、ミラニッサに魔法で凍らせて貰って、削って食べたりもしたが、ここでは魔法を使える者はいない。
冷やして食材を貯蔵する、小さな倉庫のような大型魔術具が裏にあるが、あれは冷やすだけで凍らすことは出来ないようだった。
「美味しい!」
ペロリと味見したフラウレティアは、キラキラと瞳を輝かせた。
実はヤドの乳で作ったのは、今日が初めてだった。
ドルゴールでは、竜人に怯えてしまうので家畜は飼えない。
代わりに魔獣を飼っていて、その乳を食材として使用するが、ヤドの乳で作ったミルクジャムは、それよりも格段に美味しかった。
思わず、もっと味見したいと思ってしまった。
空き瓶を貰って詰め、鍋に残ったものは皆に進呈する。
残り物のパンに塗って、皆でワイワイ食べ始めたのを見て、フラウレティアはくすくすと笑う。
きっとアッシュがいたら、独り占めする為に鍋を咥えて逃げただろう。
アッシュもミルクジャムは大好きなのだ。
アッシュのことを考えたら、何だか少し寂しくなって、フラウレティアは小さく頭を振った。
瓶を貯蔵庫に入れる許可を貰い、机の上に置いてあった腰掛け鞄を着けて、裏口から外へ出る。
冷やしておいて、明日、果物にかけてグレーンに食べて貰うつもりだ。
裏の方へ歩いて行くと、貯蔵庫の前で、マーサとレンベーレが立ち話をしていた。
フラウレティアに気付いて、二人が笑い掛ける。
「上手く出来たかい?」
マーサがフラウレティアの手にある瓶を見て言った。
「はい。最高に美味しくできました。入れてもいいですか?」
貯蔵庫を指すと、どうぞとレンベーレが扉を開けてくれた。
大人が二人入れる程の広さに、三方の壁に棚が据えられてあって、食材がきっちりと並べられている。
ヒンヤリとしたその中に入り、棚の空いている所に置かせてもらった。
「明日の朝、領街に戻るからね。その前に魔石に魔力充填してたのよ」
レンベーレが、閉めた貯蔵庫の扉横を撫でる。
そこには拳程の大きさの、青い魔石が埋め込まれている。
「いつもレンベーレ様が充填しているんですか?」
フラウレティアの素朴な疑問に、マーサが大きく笑う。
「そんなこと、領付きの魔術士様にさせられないよ」
「今、させておいて、よく言うわ」
マーサを軽く睨んで、レンベーレが赤い唇を歪めた。
「まあ、才能がある者は、何処にいても働かされるってことで! 助かったよ!」
マーサの大きな手でバシバシと二の腕を叩かれて、レンベーレは目を剥いた。
普段は、街にある魔石屋から、魔力充填された魔石を購入して交換するらしいが、レンベーレがいる内に充填を頼んだらしい。
「こういう大型魔術具の維持も大変よね」
レンベーレがペシペシと貯蔵庫の壁を叩いた。
「大昔は、私程度の魔術士なんかゴロゴロいて、平民の家にも生活魔術具が当たり前に揃っていたらしいけどねぇ」
フラウレティアもハルミアンに聞いたことがある。
今は魔石屋に予約を入れて魔力の充填をしてもらうが、魔竜出現より前は、充填は下っ端の魔術士の仕事だったらしい。
魔術素質を持ち、魔力を自在に操れる者は、それ程に少なくなってしまった。
それに比例して、魔術具が一般に出回る数も種類も減った。
娯楽に使われていた魔術具などは、今はほぼ見ることはないという。
頼まれ事を終えて、レンベーレは本館に戻る。
「じゃあね、フラウレティア。あなたが領街に来るまでには、色々準備しておくからね」
レンベーレがフラウレティアの耳元で言って、ウインクして見せる。
「は、はい。よろしくお願いします」
レンベーレの仕草は、フラウレティアが今まで接したことのないようなものばかりで、何だかドキドキしてしまう。
ヒラヒラと手を振って、本館の方へ去って行くレンベーレの後ろ姿を、フラウレティアはぼんやりと見つめる。
レンベーレは、ミラニッサ達竜人とも、自分とも全然違う。
アッシュも、ああいった女性に惹かれたりするのだろうか。
だから以前、レンベーレにはあっさりついて行ったのだろうか。
何となくモヤッとして、フラウレティアは唇を尖らせた。
翌日、フラウレティアは今日も医務室で、グレーンと共に食事を摂っていた。
少し遅れて、エイムが盆に乗せた昼食を持って、医務室に帰って来た。
「あれ? それ、何ですか?」
グレーンの前にある器を指して、エイムが尋ねる。
器には、小さめに角切りにされた芋や果物に、とろみのある白い液体がかかっている。
それをグレーンがスプーンで口に運んで、満足気にヒゲを揺らしていた。
「ミルクジャムです。薬師様が甘い物を食べたいと仰ったので、作ってみたんです」
フラウレティアが笑って、机の上の小瓶を指した。
グレーンは果物だけでなく、普段は嫌がる芋も口に運んでいる。
師匠が、これ程嬉しそうに何かを食べているのを見るのは久しぶりだ。
エイムは思わず笑顔になった。
「そうですか。ありがとうございます、フラウレティアさん」
少し安心した様子のエイムを見て、フラウレティアもほっとする。
その日のグレーンは、夜にもミルクジャムを付けてパンや果物を食べ、フラウレティア達を安心させた。
気に入ってくれたようなので、フラウレティアは今夜もう一度作ろうと思った。




