指導の条件
竜人族のお悩み相談室を続行していた執務室に、レンベーレが戻って来た。
その様子は、何処かぼんやりとしている。
「レン?」
アイゼルに呼ばれると、微妙な顔をしながら、アッシュの腕に触れた。
「触るな」
不機嫌そうな声で言って、無表情にアッシュがレンベーレの手を払った。
「やっぱり、似てるなぁ」
払われた手を撫でながら、レンベーレが呟いた。
払ったアッシュが 怪訝そうに尋ねる。
「似てる? 何が?」
「あなたの魔力と、フラウレティアの魔力がよ」
ディードが怪訝そうに眉根を寄せる。
「フラウレティアには、魔術素質があるのか?」
「ええ、僅かに」
身体に触れると分かる程度の、低いものだ。
さっき執務室から連れ出す時に背を押して、確信していた。
「でも、表に出てない強い魔力がある……」
レンベーレがアッシュを上目に見た。
その目には魔術士の本気が滲む。
「……フラウの内にある魔力を見たのか?」
「見たわ。竜人の魔力によく似ていた。それに、目も。ディード様が言っていたように、深紅に見えた」
アッシュがディードを見遣る。
「アンタも見てたのか」
「以前一度だけ、瞳が深紅に見えた気がした。だが私に魔術素質はないから、魔力のことは知らなかったが。……フラウレティアは、やはり乳素を飲んだから、何か変化したということなのか?」
「ハルミアンの奴に聞いたのか。お喋りな奴め」
アッシュは忌々しげに舌打ちした。
「フラウの魔力は、竜人族にも正直よく分からない」
「分からない?」
アッシュの平坦な声に、ディード達は怪訝そうに顔を見合わせる。
「ああ。フラウの魔力は、そこにあるだけなんだ」
大きく溜め息をついて、アッシュは重く髪が垂れ下がった頭を掻く。
フラウレティアの内には、竜人族のようにとまでは言わないが、確かに大きな魔力が秘められている。
本人も知ってはいる。
しかし、それだけだ。
「誰がどうやっても、あの魔力を表には出せない。フラウの感情が波打つ時には、レンベーレが分かったように強く感じることが出来るが、平時では全く分からない。魔術を学ばせてみても、発現出来る程魔力を捻り出せたことはない」
「……つまり、あっても使えないということ?」
レンベーレが眉根を寄せる。
「そうだ。役に立たない魔力と言ってもいい」
役に立たない魔力などこの世に存在するのかと、レンベーレは眉間のシワを深める。
魔術士からすれば、魔力はいくらあっても足りないものだ。
アッシュとフラウレティアに関わってから、頭がついていかないような内容が多すぎて、パンクしそうだ。
困惑を極めているレンベーレに、アッシュは深紅の瞳を細めた。
「それで、アンタはフラウの感情が波打つような、何をした?」
「領街に行くなら、アッシュ君と別れなければいけないって話しただけよ」
レンベーレは、さっき話したことを説明する。
フラウレティアがアッシュと離れることを断固拒否した知ると、目に見えてアッシュの雰囲気が和らいだ。
アッシュと離れるくらいなら、人間の世界について知ることをやめる。
フラウレティアのその選択に、何とも言えない嬉しさが込み上げて、アッシュは自然に口角を上げた。
フラウレティアは、自分と同じで、二人で一緒にいたいと思っているのだ。
「ああ、でもハルミアン殿が助けてくれるから、アッシュ君も一緒に行けるって教えてあげたら、物凄く喜んでたわよ」
「はあ?」
アッシュが間抜けな声を上げる。
実は先日ハルミアンと話した時に、アッシュが“隠匿の魔法”という、目眩ましの魔法を覚えさえすれば、竜人の存在を誤魔化して領街に入ることが出来るだろうと言われていたのだ。
一人で行けと言われたら、フラウレティアはどんな反応をするのか興味があったので、レンベーレはわざと意地悪な尋ね方をしたのだが、まさかそれで彼女の隠された魔力を知ることになるとは思わなかった。
ともかく、落ち着いてから謝罪して、本当のことを話しておいた。
「なんだ、じゃあ、結局フラウは領内に行くつもりなのか……」
今度は明らかに落胆した雰囲気を漂わせるアッシュに、ディードは苦笑する。
「止めたかったのか?」
「それはそうだ。俺はついて行けないだろうと思っていたからな。ついて行けるなら、まあいい」
最近執務室で詰め寄る様子から、もっと不満をまき散らすのかと思っていたアイゼルが、意外そうな声を出す。
「彼女の意志を尊重するのか?」
「当然だ。フラウはドルゴールにいるべきだと思っているが、縛り付けたい訳ではない」
アッシュは低く呟いた。
フラウレティアはアッシュが見つけて拾ったが、物ではない。
一つの意志のある生命だ。
どんなに大切だと思っても、その意志を潰して手元に置いては、輝きを失ってしまうだろう。
そうまでしても、手元に置きたいとは思わない。
ただ、自分が側にいなくても、フラウレティアは輝いて生きていけるのかもしれないと思うと、やり切れない気持ちになるだけだ。
アッシュの胸が、またチクリと痛んだ。
「それで、ハルミアンはいつ俺に教えると言っていた?」
胸の痛みを紛らわせるように、ブルと一回頭を振った。
「教わる気があるならいつでも戻って来いと仰っていたが、……ただ、一つ条件があると」
ディードが僅かに苦笑して言う。
アッシュは嫌な予感に、更に声を低くする。
「条件? 何だ?」
「……今後は“師匠”と呼ぶようにと」
「はあぁ!? 何だそれは、ふざけやがって。呼ぶわけないだろう!」
アッシュは牙をギチと鳴らした。
あの偏屈エルフめ、絶対呼ぶもんかとブツブツ言ったと思うと、突然身体の輪郭をぐずりと崩した。
瞬きの間に翼竜に変態すると、鼻先でレンベーレの頭を突付いて扉を指した。
どうやらフラウレティアの部屋に戻る為に、付いて来いと言っているらしい。
憤慨していても、砦内を一人でうろつかないことを守るあたり、意外と律儀で笑いを誘う。
ディードは、くくっと可笑しそうに笑って立ち上がる。
「私が一緒に行こう」
「良いんですか?」
レンベーレが乱れた後頭を撫でつけながら聞くと、ディードは頷いた。
「……ディード様、本当に笑ってたわ」
ディードとアッシュが出て行った扉を見つめ、レンベーレが呟いた。
ディードは確かに、内から湧き出る感情で笑っているように見えた。
大笑いというものではなかったが、エナから聞いた通りだ。
「良い傾向じゃない?」
同意を求めてアイゼルの方を見れば、しかし、彼は複雑そうに視線を合わせた。
「確かにな。……無意識なのか、フラウレティアを、アンナと重ねているのだと思う」
亡くなった娘と、同じ年頃の少女。
この砦では決して目にするはずのない者が、突然懐に入ってきて、ディードの内側を揺さぶったのかもしれない。
「だが、それは手放しで喜んで良いのだろうか?」
アイゼルは呟いて、執務机の上の肖像画を見る。
微笑んでいる彼の妻と娘は、どうしたって戻らない。
フラウレティアは、別人なのだから。
憤慨したまま、フラウレティアの下に戻ったアッシュは、部屋に入った途端に、愕然とする。
フラウレティアは、小さな机の上に座った臙脂色の鳥と話していたのだ。
「ハルミアン! アンタは……」
ハルミアンに文句を言おうと、即座に変態したアッシュに、フラウレティアが満面の笑みで抱きついた。
「アッシュ! 聞いたよ、師匠に隠匿の魔法を習うんでしょう?」
ぎゅうと一度腕に力を込めてから、フラウレティアはその手を緩めてアッシュを見上げた。
「嬉しい! 一緒に領内に行けるね!」
期待に満ち満ちた瞳で見つめられ、アッシュは口からでかけていた文句を飲み込む。
「あ……うっ……、フラウ、えっと……」
「いつ習いに帰るの? アッシュが一緒に領内に行く為なら、習って来る間は一人でも我慢して待ってる」
言葉が出ずに口をパクパクさせているアッシュに、臙脂色の鳥が可愛らしく首を傾げた。
「どうする、アッシュ?」
その声は、絶対に面白がっている。
アッシュは一度鳥を睨んだが、見上げたままのフラウレティアの顔を見たら、どうしたって文句は言えなかった。
「明日。教えてくれ………………師匠」
無理矢理絞り出した言葉に、鳥は満足気に頷いて、入口でディードが噴いた。
「あれ? いつから“師匠”って呼ぶことにしたの?」
フラウレティアは、目を瞬いてアッシュと鳥を交互に見た。




