砦での目覚め
―――どこかで昼の鐘の音が聞こえる。
目を覚ますと、見慣れない木目の天井が見えた。
……ここ、どこ?
ぼんやりとした頭でフラウレティアがそう思った時、側で女の声がした。
「おや、目が覚めたんだね」
声のした方を向くと、エプロンを付けた恰幅のいい中年女性が、ニコニコとベットに近寄って来た。
「なかなか見を覚まさないから心配して……きゃあっ!」
ベッドの下から勢いよく白い翼竜が飛び上がり、女性に翼の先をかすめて、べチッと音がしそうな勢いでフラウレティアの顔にへばり付いた。
そのまま抱き締めるように、しかし興奮気味にバシバシと彼女の背中を翼で叩く。
「アッシュ! 苦しい苦しい!」
アッシュと呼んだ白い翼竜の身体を、フラウレティアは両手で掴んで引き剥がす。
剥がされたアッシュは彼女の顔をじっと見つめた後、その頬に自分の頭を優しく擦り付けた。
アッシュの短い鬣が頬を撫で、フラウレティアは知らず知らず、安堵の息を漏らした。
「へえぇ。従魔だって聞いた時は、まさか竜がって思ったけど、ホントにアンタの竜なんだねぇ」
中年女性が存在感のある腰に手を当てて、感心したように言う。
フラウレティアはアッシュの身体を両手で支えたまま、目を見開いて女性を見つめた。
人間だわ……。
心臓がドクドクと音を立てる。
フラウレティアが生きた人間を間近で見たのは、これが生まれて初めてだった。
ベッドの側まで来た女性は、アッシュを見ながら笑った。
「その子、賢いんだねぇ。着替えが終わってから、アンタが眠ってる間ずっと側から離れなかったよ。正直ちょっと怖かったんだけどね、今まで動かずにじーっとしてくれててね」
「マーサ、ちょっと、急にペラペラ喋ったらびっくりしちゃうわよ」
部屋にはもう一人、小柄な女性がいた。
その女性もエプロンをつけていて、溜め息混じりにマーサを止めた。
「あなた、気分はどう?」
小柄な女性は、ベッドの脇に置いてあった水差しからコップに水を注ぐと、フラウレティアに差し出した。
続けて、コップを受け取ったフラウレティアの額にさっと手を伸ばしたが、途端にアッシュが威嚇したように唸った。
「ね、熱が出てないか確かめようとしただけよ」
女性が怯えた声を出し、急いで手を引っ込めた。
フラウレティアはアッシュを引き寄せ、血の気の引いた様子の女性に謝る。
「アッシュ、駄目だよ!……ごめんなさい」
「わ、私、エナさんに彼女が目が覚めたって伝えてくるわね」
しかし女性は後退りながらマーサにそう言うと、急いで部屋を出て行ってしまったのだった。
マーサは部屋の開け放した扉を見て、小さく息を吐いた。
「許しておくれね。アタシら、竜なんて見たのは初めてだから、おっかないのさ」
そう言いながらも、あまり怖がっていない様子のマーサは、「熱をみるだけだよ」とアッシュに向かって断ると、フラウレティアの額に手を当てた。
厚くて柔らかな掌の感触がとても心地良くて、フラウレティアはそっと目を閉じる。
「うん、熱はないね。気分は悪くないかい? どこか痛いところは?」
目を開けると、マーサはフラウレティアを気遣うような目で見つめていた。
痛いところはないかと聞かれて、全身の確認をしようとすると、左足首に痛みが走る。
「……気分は悪くないです。……でも、足を挫いてるみたい……」
「そうかい。じゃあ後で薬師に診てもらおうね。アタシはマーサだよ。アンタの名前を聞いて聞いてもいいかい?」
「フラウレティアです。こっちはアッシュ」
アッシュは深紅の瞳でマーサをチラリと見ると、フラウレティアの横の、ベットの端に座り直した。
「よろしくフラウレティア、アッシュ。アンタは昨日壁の外に倒れてたんだよ。どうしてそんなことになったのか、覚えてるかい?」
「壁の外……ここは、その……どこなんですか?」
マーサは目を瞬いて、まじまじとフラウレティアを見つめた。
「ここはアンバーク砦だよ。……フルデルデ王国の南西の端っこ、アンバーク領の砦だ」
砦の名前を聞いてもポカンとした様子のフラウレティアを見て、マーサは詳しく付け足した。
フルデルデ王国、アンバーク砦。
山の上から何度か見たことがある。
魔の森の縁から、長い長い灰色の壁が北に向かって続いていた。
時折、壁にある城門から人が出てきて、平原で魔獣と戦っているのも見たことがあった。
人が麦の粒より小さく見えるくらい、遠くからだけれど。
「大丈夫かい?」
黙って考え込んでいるフラウレティアを覗き込み、心配そうにマーサは声を掛けた。
「あ、はい。大丈夫です。……その、私達、魔穴に巻き込まれて……気が付いたらここにいたんです」
ゆっくり考えながら、言葉を選んで絞り出す。
「なんだって!? そりゃ、アンタ、よく無事でいられたもんだよ! 一体、どこで巻き込まれたりしたんだい?」
「ええっと、……森で。魔獣に驚いて、その……」
しどろもどろになりながら、どう説明すれば正しいのかと考えていた時、開いたままだった扉を誰かが叩いた。