狼狽える竜人
「俺はどうしてフラウに嫌われたっ!?」
人形に変態したアッシュが、ディードの執務机に乗り上げる程に近付いて、噛みつくように問うた。
背もたれにピッタリと背中を付けたディードごと、アイゼルが椅子を後ろに引いて距離を取る。
「何で逃げるっ」
「いやいや……。突然、一体何なんだ?」
思わず額に手をやったディードに反し、レンベーレはソファーで大笑いを始めている。
突然、翼竜姿のアッシュが部屋に飛び込んできたと思ったら、三人以外に人がいないのを確認して、アッシュは人形に変態した。
そして勝手に扉の鍵を閉めたら、このやり取りだ。
「アンタ! 事情を知ってるだろう!」
笑っているレンベーレに矛先を変え、アッシュはのっぺりとした顔でソファーに詰め寄る。
「おも……面白すぎる……。竜人族って、皆こんなの?」
目尻に浮かんだ涙を拭いながらレンベーレが言えば、アッシュはディード達にも分かるほどに、不機嫌そうに眉を動かした。
「“こんなの”とは何だ! 俺は真剣に相談しているっ」
堂々と強く言い切ったアッシュに、ディードは自然と困ったような表情になった。
「…………それは、相談している態度ではないのだが」
ディードの後ろで呟いたアイゼルの言葉に、アッシュは更に眉を寄せるように動かした。
「フラウレティアに嫌われたと言うが、彼女に限ってそんなことはないと思うが」
落ち着きなく部屋を歩き回る竜人に、ディードとアイゼルは呆れ気味だ。
語り継がれ、書物で記録されている限り、竜人族は物理的にも魔力でも、人間を凌駕する圧倒的な力を持った畏怖の対象だ。
それが、目の前のアッシュはどう見ても、溺愛する妹と初めて兄妹喧嘩して狼狽える兄でしかない。
「でも、『嫌い』ってはっきり言われた!」
自分で言っておいてダメージを受けたように、アッシュは一瞬ギュッと目を閉じた。
「…………そんな強烈な事、今まで一度だって言われたことないのに……」
「“強烈”って……。フラウレティアは、あなたの態度にちょっと意地張って言っただけでしょうに。彼女の年頃なら、『嫌い』くらい普通に言うわよ」
レンベーレが苦笑して肩を竦めると、アッシュが牙を剥くようにして再び詰め寄った。
「意地を張る? フラウはここに来るまで、あんな態度を取ったことなかった」
ドルゴールにいる時は、感情をあまり強く出さない竜人族に習ってか、フラウレティアも幼少まで平坦な感情で育った。
見兼ねたハルミアンが教育すると言い出して、様々なことを教えながら、彼女の喜怒哀楽を引き出した。
身体が成長し、アッシュと二人でドルゴールから出るようになってからは、二人きりの時は声を出して笑うようになった。
だが、怒ったり泣いたりしたことは、片手で数えるほどしか覚えがない。
魔の森で落とした腰掛け鞄をアッシュが探しに行った時、戻って来てフラウレティアに叱られて、相当に驚いた。
あんなふうに大声で怒鳴られたことなんて、アッシュは初めてだったのだ。
「フラウは、俺に強く怒ったりしたことなかったんだぞ。……ここに来て人間達と関わるようになってから、おかしくなったんだ。どうしてくれるっ」
アッシュがレンベーレの肩を掴んだ。
途端に、レンベーレが驚いたように目を見開いて、身体を大きく震わせる。
「何している!」
アイゼルが即反応してソファーに駆け寄った。
レンベーレの肩を掴んでいる、アッシュの手首を掴んで引き剥がそうと渾身の力を込める。
しかし、どれだけ力を込めても、アッシュの腕はびくともしなかった。
「何もしてない」
アッシュは無表情に手を離し、アイゼルを払う。
離されたレンベーレは、頬を紅潮させ、ふうふうと息を吐いた。
アッシュに直に触れられて、その強大な魔力に圧倒されて動けなかった。
翼竜姿で組み敷かれた時は、魔術素質の極めて高い者に触れられたような感覚だったが、人形だとその魔力は例えようもなく強力で、まるで一瞬で屈服させられるかのようだった。
「……すごい、やっぱり竜人族の魔力圧は違うのね……」
アッシュの姿は異形だが、その身体に纏う魔力は、魔術を学ぶレンベーレにとっては堪らなく惹かれるものだ。
魔術を学ぶ者でも、畏れ慄く者の方が多いかもしれないが。
レンベーレが熱を持った瞳でアッシュを見上げていると、扉がノックされた。
「ディード様、フラウレティアです。入ってもいいですか?」
その声に、圧倒的魔力の持ち主は、明らかに動揺して執務机の後ろに回った。
飼い主に叱られた犬が、耳を下げて伏せるようだ。
「どっ、どうしたらいいっ!?」
「おいおい、アッシュ。ちゃんと向き合え」
ディードが苦笑いで立ち上がり、アッシュを押し出す。
同時にアイゼルが扉の鍵を開けて、フラウレティアが一人なのを確認すると、彼女を中に招き入れた。
「アッシュ!」
フラウレティアはアッシュの姿を認めると、両腕を広げて駆け寄った。
アッシュは驚いて、フラウレティアが触れる寸前に刺々しく立てていた鱗を消す。
その僅かにひんやりとした身体に、フラウレティアはギュッと抱きついた。
「アッシュが嫌いなんて嘘。ひどいこと言ってごめんなさい。大好きよ」
抱きついて言われた言葉に、アッシュの顔は、ディード達にもはっきりと分かる程安堵感を滲ませた。
「フラウ……」
「……ごめんなさい」
抱きついたまま見上げるフラウレティアの顔は、何だか泣きそうに見えた。
「いいんだ。泣くなよ」
アッシュは大きな爪が付いた手で、そっと彼女の頭を撫でた。
「まあ、何とか落ち着いたのかな?」
フラウレティアが見ると、執務机に凭れて、ディードが腕を組んで微笑んでいる。
「……迷惑をかけてしまって、ごめんなさい」
フラウレティアがアッシュから手を離して、ペコンと頭を下げた。
「迷惑をかけたのは君ではないがな」
溜め息混じりにアイゼルが言うので、アッシュはひと睨みしたが、彼は素知らぬ顔をしている。
「誰かに話を聞いてもらったのかい?」
フラウレティアが砦の人間に心の内を話せているのか気になって、ディードが尋ねた。
「はい。厨房の皆さんが、色々話してくれたんです。父親は、娘に『嫌い』って言われたら、泣き崩れる程のダメージなんだって聞いて……」
フラウレティアは、側に立つアッシュを見上げた。
「アッシュも泣きそうだった?」
「え……」
「私、アッシュの娘みたいなものなんでしょう?」
無表情のアッシュが、思考停止したように目を見開いて固まったので、ディードは思わず噴いた。
ディードとアッシュを交互に見たフラウレティアは、キョトンとして首を傾げた。




