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もしも嫌われたなら

フラウレティアは厨房の隅で、遅い昼食を摂っていた。

昼の忙しい時間は過ぎているので、マーサも隣に座って同じものを掻き込んでいる。



「それって、アッシュのヤキモチなんじゃないのかい?」

別館二階での顛末を聞いたマーサが、スープの入った椀を置いて言った。

「ヤキモチ?」

「そうさ。フラウレティアがエナと仲良くしていたから、ヤキモチ焼いたんじゃないの」

フラウレティアは軽く眉を寄せる。


ヤキモチといえば、アッシュがレンベーレと一緒に行ってしまった時に、フラウレティアがモヤモヤしたあれだ。

アッシュも同じように、モヤモヤしたということだろうか。

それにしたって、あんな風に威嚇するのは度を越している気がする。

フラウレティアだって、アッシュがレンベーレと一緒に行ってしまってとても嫌だったけど、我慢した。


そこまで考えて、フラウレティアはスプーンを持つ手を止める。

「……私、嫌だったんだ……」

自分ではない人の側にいるアッシュの後ろ姿が、何だかとても悲しくて嫌だった。




「アンタ達は何だか不思議だねぇ。従魔と主人というより、家族みたいだよ」

マーサがあっという間に食事を終えて、フォークを置いた。

フラウレティアは小さく頷く。

「アッシュは家族だと思っています」

「ふ~ん。それじゃあ、家族のアッシュに『嫌い』って言っちゃったのかい?」

笑い含みに言われて、フラウレティアは銅色の目を瞬いた。


「俺は娘に『お父さん嫌い』なんて言われたら、泣き崩れちまうな」

背の高い料理人が、鍋を掻き混ぜながら情けなく眉を下げる。

「そう? 私なんかは、兄さんと喧嘩して『大嫌い』なんて、しょっちゅう言ってたけどね」

下働きの女が思い出すように言えば、料理人は顔を顰める。

「妹と愛娘に言われるのとじゃ、ダメージが全然違うんだよっ」

あははと厨房の皆が笑う。



「それで、アンタは?」

「え?」

ぼんやりと皆の会話を聞いていたフラウレティアは、食器を持って立ち上がったマーサに問われて、顔を上げる。

マーサはいつものように豪快な笑顔ではなく、柔らかく目元を和らげて、フラウレティアを見下ろしていた。

「アタシの息子達はとっくに成人してるけどね、それでも『嫌い』と言われりゃすごく寂しいよ。フラウレティアは、もしもアッシュが喋れて『嫌い』と言われたら、どうなんだい?」


「アッシュが……私を『嫌い』って……?」

フラウレティアは口にして、胸の内がヒヤリとした。


人形(ひとがた)の時の、のっぺりとしたアッシュの白い顔は、ぱっと見少しも温かく見えない。

しかし血の色のはずの瞳は、フラウレティアを見つめる時、いつも焚き火のように温かい。

あの瞳が、硬質な冷たさでこちらを見て、『フラウ』と呼ぶ低い声が拒絶の言葉を口にしたら……。


「…………マーサさん、私……」

マーサの目元のシワが深まる。

「うん。仲直り、しておいでよ」

今にも泣きそうな顔になっているフラウレティアに、マーサは優しく声を掛けて、ポンと彼女の頭を叩いた。

「はい」

フラウレティアは堪らず席を立って、厨房から駆け出した。




「あの調子だと、何で食が進まないのかも分かってなかったんだろうねぇ」

机の上に残されたフラウレティアの昼食は、少しも減っていなかった。


「マーサ、すっかり情が移っちまったんじゃないのか?」

背の高い料理人が笑う。

「違いない。うちは息子ばっかりだったからね、娘が出来たみたいで可愛いよ」

フラウレティアが走り去った方をみて、マーサは目を細める。

「これからの事が決まってないなら、長めにここにいてくれるといいねぇ」





フラウレティアは医務室に向かって走った。

別館から戻った時は、フラウレティアの様子を見たグレーンに、そのまま昼休憩を勧められて厨房へ行ったので、捨て台詞を吐いて別館に置いてけぼりにしてからアッシュを見ていない。

アッシュは医務室に戻っているだろうか。



入り口に垂れ下がった布を潜って医務室に入ると、グレーンが何故かギルティンとお茶をすすっていた。

ギルティンは診察台に凭れて立っていて、どう見ても患者という風ではない。


グレーンはフラウレティアをみて、ニヤと笑った。

「ほっ、アッシュに会いに戻ったのかの?」

「はい。アッシュは戻ってますか?」

ギルティンにペコと頭を下げて、フラウレティアは急いで尋ねた。

「戻ってはおったが、また出て行ったわい」

「え? どこへ?」

「さあのぅ」

グレーンが楽しそうに笑うと、ギルティンは軽く顔を顰める。

「エイムの後ろ襟を噛んで、無理矢理連れて行ったぞ」

警戒していたはずのギルティンには目もくれず、アッシュはエイムを急かすようにして出て行ったらしい。


話が出たところで、ちょうどエイムが入り口の布を潜って入って来た。

フラウレティアを見て、彼は困ったように眉を下げる。

「フラウレティアさん、アッシュってば人使いが荒いですよ。ディード様の執務室まで私を同行させたら、部屋の前でポイッですよ」

砦内を翼竜一匹(アッシュ一人)で動き回るのは、一部の人間を刺激して良くないと理解しているらしく、ディードの執務室に行くためにエイムに同行させたらしい。


フラウレティアはパッと顔を輝かせた。

「ディード様の執務室ですね? 分かりました。ありがとうございます!」

エイムの苦情は全く頭に入らなかったようで、フラウレティアはエイムにお礼を言って、踵を返しで走り去る。

エイムはポカンとし、グレーンはモサモサとヒゲを揺らして可笑しそうに笑う。




「なあ、爺さん。あれは本当に魔獣使いと従魔なのか?」

楽しそうに茶をすするグレーンに、立ったまま茶を煽って、ギルティンは尋ねた。

「さあのぅ。お前さんはどう思っておる?」

「……俺はやっぱり、()()が従魔とは思えない……」

ギルティンが医務室を訪ねて来た時、アッシュは、床の上を行ったり来たりしていた。

まるで、答えの分からない問いに思い悩んで、居ても立ってもいられないというように。

フラウレティアの肩から、深紅の瞳でギルティンを睨んでいたのは嘘だったかのようだった。



ギルティンは元傭兵で、以前は冒険者と呼ばれる異職種の集団で、探索や討伐の依頼を受けていたこともある。

その時には、魔獣使いと数日間行動をともにすることもあった。


従魔とは、本来アッシュのように、自分の意思で動き回るものではない。

常に主人と行動を共にし、主人の意思に従う。

主人の命令なくばその側を離れることはないし、離れている時は、主人の為の目的がある時だ。


「もしも、嬢ちゃんとアッシュが魔獣使いと従魔でなければ、どうだというのかね?」

何処か楽しそうに、グレーンは上目にギルティンを見た。

「どうって……、そうだとしたら一大事だろ!? ずっと平穏だったアンバーク領が、問題に巻き込まれるような事になるかもしれない」


ただでさえ、女王の心象が悪くなっているのだ。

厄介事は避けたい。


「……“平穏”ねぇ」

グレーンは呟いて、ぬるくなった茶を飲み干す。

「平穏は常に、物言わぬ誰かの犠牲の上に存在するものじゃよ。知らぬだけで、多くの大事は常に周りにある」

「…………それは、どういう意味だ?」

謎掛けのような言葉に、ギルティンは赤毛の眉を寄せる。



しかし、グレーンは長いヒゲをしごくばかりで、それ以上何も言わなかった。







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