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ヤキモチって 1

「あれ? 今日は、アッシュはいないんですか?」

調剤室から、木箱を抱えてエイムが出てきた。

早朝から籠もっていたらしく、調剤時に使う前掛けは随分汚れている。


いつもなら、フラウレティアの手伝いで棚の上の木箱を取ったり、患者を脅かして治療の間大人しくさせたりしているアッシュが、今日はいない。

椅子の下にも見当たらないので尋ねたのだが、言ってから不味かったのかと思い、エイムは口を閉じた。

フラウレティアの顔が不服そうに曇ったからだ。



「アッシュは、レンベーレ殿の所へ行っておるそうじゃ」

なぜか面白そうにグレーンが言った。

さっき出て行った患者の切り傷の処置をした後を片付けながら、モサモサと髭を揺らして笑う。

「レンベーレ様が砦にいらっしゃってるんですか」

手元の木箱から薬包を取り出して、棚の木箱に仕舞い直しながら、エイムが驚いたように言う。

アンバーク領で、レンベーレは有名なようだ。

グレーンはレンベーレが砦に来た事情を知っているらしく、笑いながら小さく頷いた。

「ディード様がお呼びになったそうでな」

「『話がしたい』って言われて、アッシュったら、あっさり付いて行っちゃったんです!」

エイムは目を瞬いて、唇を尖らせるように言ったフラウレティアと、グレーンを交互に見た。



グレーンは更に可笑しそうに髭を揺らす。

「ほっ! ヤキモチじゃな」

「……“ヤキモチ”って、なんですか?」

エイムが薬包を並べるのを手伝いながら、フラウレティアは首を傾げた。

「嬢ちゃんの、今の気持ちのことじゃよ」


グレーンの節くれ立った指で胸を差され、フラウレティアはキュッと眉根を寄せた。


自分の側から離れるわけがないと思っていたのに、フラウレティアに意見を聞くこともなく、アッシュはレンベーレに付いて行った。

アッシュがあんまりあっさり付いて行ったから、ずっとモヤモヤしている。

この気持ちを“ヤキモチ”と呼ぶのだろうか。


また新しい事を知ったのに、フラウレティアはちっとも嬉しくなかった。



「あ、フラウレティアさん、お使いお願いしてもいいですか?」

どんどん眉間のシワが深くなるフラウレティアに、エイムが見兼ねて言った。

木箱の一つを渡し、別館の二階へ運ぶように頼む。

フラウレティアは受け取って、当たり前のように椅子の下に声を掛ける。

「分かりました。アッシュ…………」

当然、椅子の下にアッシュはいない。


尻すぼみに声が小さくなると、再び眉根を寄せて、フラウレティアは入り口に向かって大股で歩き出した。




怒っているような足取りで出て行ったフラウレティアに、エイムは苦笑いした。

「それにしても、レンベーレ様程の魔術士になると、魔獣との意思の疎通ができるものなんでしょうか。まさか、魔獣の言葉が分かるとか?」

エイムが感心したように言うので、グレーンは眉を上げた。

「どうかのう。レンベーレ殿というよりも、アッシュが特別なんじゃろうて……」


首を捻ったエイムに、さあ仕事しろと言うように、グレーンは杖を振った。





ディードの執務室に、レンベーレがアッシュを伴って来たのは、執務開始の前だった。


机の上を整えていた従僕のエナが、翼竜の姿を見て身体を強張らせた。

エナの様子を見て、ディードが声を掛ける。

「エナ、ここは良い。午前は建具の点検作業を手伝いに行きなさい」

ディードに付き従う仕事を取り上げられたようで、一瞬表情を歪めたエナだったが、躊躇い気味に返事をして部屋から出て行った。



エナが出て行くと、レンベーレは扉の鍵を閉め、消音の魔術符を貼る。

「さ、これで大丈夫よ」

「レン、『大丈夫よ』じゃないだろう。朝の内にアッシュを連れてくるなんて聞いてないぞ」

アイゼルが呆れたように言って、前髪の垂れた額を押さえる。

「あら、私もそう長居できないんだし、早目に行動しないと。聞きたいこともあるでしょ?」

ひらひらと手を振るレンベーレに、ディードは苦笑してから、ソファーを陣取っているアッシュを見遣る。


翼竜(アッシュ)は深紅の瞳をギラリと光らせ、ピリと硬質な気配を纏ってソファーに座っている。

フラウレティアの肩に止まっている時とは、随分な雰囲気の差だ。


ディードはソファーに近付いて、向かい側に座る。

「心配しなくても、少し話すだけだ。そんなに警戒しないでくれ」

〘 心配なんかするか。弱い人間など、警戒する必要すらない 〙


低く唸るように喋ったアッシュに、三人は一様に戸惑った顔をする。

〘 ……何だ? 文句あるか 〙

更に喋ったアッシュを覗き込み、レンベーレが軽く顔を顰めた。

「あー、申し訳ないんだけどね、私も竜人語はちょっと読めるけど、喋れないんだわ。人形(ひとがた)になってもらえないかな」

明らかにチッと舌打ちして、アッシュの輪郭がぐずりと崩れた。

そして人形を現す。

その身体には、拒絶の意味が込められているかのように、昨夜以上に刺々しく鱗が纏わされていた。

「わお、やっぱりステキ」

両手を組んで瞳を輝かせるレンベーレに、アッシュが僅かに身体を引いた。




二度目とはいえ、改めて陽光差し込む昼間に見ると、アッシュの姿は異様で、ディードとアイゼルは無意識に身体が強張った。

「……フラウレティアは医務室に?」

一度深呼吸したディードが尋ねると、アッシュは無表情に頷く。

「ああ。フラウには聞かせたくなかったから、ちょうどいい」

「あなたも何か話したいことがあったのね?」

レンベーレはディードが腰を下ろしたソファーの、肘掛けに座る。

やけにあっさり付いて来たと思ったら、やはりアッシュも話があったのだ。



何を言うのか待っているような三人を前に、アッシュは無表情のまま口を開いた。

「…………お前達は、これからフラウをどうするつもりなんだ」

「どうする……と言われても、昨夜言った通り、フラウレティアが望むなら暫くは(ここ)で人間に交じってもらうつもりだ」

「その後は? フラウの信用を手に入れて、その後利用するつもりだろう」


アッシュの顔は、のっぺりと無表情であるのに、深紅の目だけは疑いの色を有り有りと表していて、ディード達は顔を見合わせて眉根を寄せた。


「利用するつもりなんてない。そもそも何に利用すると思っているんだ?」

想像をしていなかった疑いをかけられて、ディードの声に思わず力が入った。

「ドルゴールの情報だ。人間は、今でも竜人族を狙っているだろう」

フルデルデ女王は竜人の血肉を欲しているし、そうでなくても人間は、竜人族を敵だと思っているはずだ。


「……確かに我が国の女王は、ドルゴールに向けて兵を出しているが、私達は寧ろそれを止めたい。それに、ドルゴールのことは公にしないとフラウレティアともハルミアン殿とも約束した」

ディードの説明に、アッシュは全く納得した様子はなく、無表情のまま牙をギチと鳴らした。


アイゼルが後ろで溜め息混じりに口を開く。

「君がドルゴールや仲間のことを心配する気持ちは分かるが……」

「ドルゴールのことなんて心配してない」

アッシュがきっぱりと言い切るので、レンベーレが首を傾げた。

「そうなの?」

「ひ弱な人間がいくら集まったところで、ドルゴールへ辿り着くなんて無理な話だ。竜人族の血肉を手に入れることなんて出来ない」


正にディード達が聞きたいのは、この砦の門を抜けてドルゴールへ向かった兵たちの事だったが、まずはアッシュの嫌疑の塊をどうにかしなければならない。

それで、あえて落ち着いた声で尋ねた。

「我々人間が、ドルゴールや竜人族を害する事は無理だと思っているのなら、君は一体何を案じているんだ?」



無表情だったアッシュが、初めて鼻の上にシワを寄せた。


「フラウの信用を裏切って、お前達が彼女を傷付けることに決まってるだろうっ!」







相変わらずのんびり進んでいる感じです……。

読んで下さっている皆様、ありがとうございます。

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