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胸のモヤモヤ

日の出の鐘が鳴る前に、フラウレティアとアッシュは厨房の隅で朝食を摂る。

医務室に手伝いに行く前に、厨房で朝の準備と朝食の提供を手伝う為だ。

必然的に昨日の残り物になるが、ドルゴールで食べていた朝食を思えば、フラウレティアもアッシュもそれで十分満足だった。




「フラウレティアはよく働くねぇ」

背の高い料理人が、あくびを噛み殺しながら言った。

フラウレティアは早朝に加え、夜も翌日の仕込みを手伝うことがある。

昼間は医務室にいるが、昼休憩の時には厨房を手伝ったり、演習場で兵士の雑務を手伝ったりしている。

医務室のお使いで、病棟代わりになっている別館の二階に行って、そこで何やら手伝っていたこともある。

とにかく、のんびりしているところを、殆ど見ることがないのだ。


「そうですか?」

本人は働いている感覚でないのか、食べた後の食器を洗いながら、フラウレティアは首を傾げる。

「ここで出来ることを探すのが、楽しいんです」

にっこりと笑う彼女を見て、マーサも笑う。

「楽しく働けるなら何よりだよ。それにしても、今朝は特に楽しそうだね。何か良いことあったのかい?」


フラウレティアは一度キュッと口を閉じた。

いつも通りに振る舞っていたつもりだが、昨夜安心したからか、少し浮かれていたのだろうか。

「えっと、はい。……ディード様のおかげで、故郷の師匠と連絡がついて。まだ暫くここにいてもいいってことになりました」

大雑把に言えば、そんなところだろう。


その説明で納得したのか、マーサは笑みを深めた。

「そうなのかい! 良かったねぇ。……でも、それなら何でアッシュは不機嫌なんだい」

アッシュは、食後すぐに机の下に潜ってしまった。

丸まる姿は、何処となく不満そうに見える。

「さぁ……。昨日嬉しくて、力任せにぎゅうぎゅう抱きしめたから怒ってるのかも」

怒ってないというように、ブフンとアッシュが鼻を鳴らた。

「……怒ってないなら、拗ねてるの?」

フラウレティアの問いに、再び鼻を鳴らして、アッシュは翼の下に顔を入れてしまった。

朝の準備を手伝う間、そこで寝て待つことにしたようだ。

フラウレティアは僅かに眉を下げた。




アッシュは昨夜から、何となく落ち着かなかった。

今後、フラウレティアと一緒にいられなくなるかもしれない。

その事が、ずっと気になっている。

そして、フラウレティアがこの後もどんどん成長して大人になり、老いて死んでしまう想像が、頭から離れない。


竜人族とエルフという長寿命種の中で当たり前に暮らしていたからか、フラウレティアがあっという間に死んでしまうなんて、すっかり忘れていた。

彼女が人間という短命種だと、分かっていたはずだったのに……。


アッシュは翼の下に顔を隠して、皮膜を通してフラウレティアの様子をこっそりと窺う。

彼女は暫くアッシュを気にしていたが、厨房の人々の指示でくるくると働き始めた。

水を張った大鍋も、難なく運んで、下働きの女に驚かれている。

守り、世話をしてやらなければ今にも死にそうな赤ん坊だったのに、すっかり丈夫になったものだ。

くしゃくしゃにして泣いていた真っ赤な顔は、今は輝くような笑みを見せる。


チクリ、胸が痛んだ気がして、アッシュは座り込んでいる冷たい床を見た。

刺さるような何かが落ちているのかと思ったが、掃き清められた床には何も落ちていない。

考えてみれば、自分の皮膚を通すような異物が、こんな所に落ちているはずがない。


フスンと小さく鼻を鳴らして、アッシュは目を閉じた。




フラウレティアは一息ついたところで、隅の机の下で丸まっているアッシュを窺った。

医務室に行く時に声をかけるまで、ああしているつもりだろうか。


昨夜抱きしめてくれてから、アッシュは何だか変だ。

怒っているのか、拗ねているのか、翼竜の姿になったまま、物憂げな目をしている。

やっぱり、調子に乗って抱きついたのがいけなかったのだろうか。


竜人達は、スキンシップを好まない。

だからドルゴールにいる時は、自然と彼等に触れることは少なかった。

狩りやドワーフの村に行く時、翼竜の姿で肩に止まってくれるのが嬉しくて、その時ばかりはアッシュによく触れた。

アッシュも鬣を撫でられると気持ちよさそうにしていたし、二人の触れ合いはそれで上手くいっていた。


しかし、砦に来て、アッシュだけが頼りのような気分で、しかも殆ど翼竜の姿で過ごすアッシュに、フラウレティアは今までよりも頻繁に触れていた。

しかも周囲の人間達は、当たり前に誰かと触れ合う。

それで、感覚がおかしくなったのかもしれない。

この前、アッシュが人形(ひとがた)の時に抱きついてしまって、その時嫌がる感じではなかったので、昨夜もまたたくさん抱きついてしまったのだ。

フラウレティアは何だかとても満たされた気分になったが、アッシュはやっぱり嫌だったのかもしれない。




唇を引き結んだフラウレティアに、下働きの女が声を掛けた。

「フラウレティア、その鞄、邪魔じゃないの?」

「あ、つい、習慣で……」

フラウレティアの使い込まれた腰掛け鞄は、薄い造りとはいえ、腰掛け鞄の大きさとしては随分大きい。

ドルゴールから出る時は付けていることが常だったので、今も当たり前に付けていたが、野営に使う物が殆どなのだから、今付けておく必要はない。

現に、厨房で動き回るとあちこちにぶつかってしまっている。


フラウレティアは、下拵えで使うナイフだけ取り出して、腰の留め具を外した。

「見ておいて」

隅の机の下に丸まったアッシュに声を掛けて、机の上に鞄を置く。

返事代わりに、アッシュが尻尾を小さく床に打った。


顔くらい上げてくれてもいいのにと、フラウレティアは唇を尖らせた。





朝食の忙しい時間を過ぎて、フラウレティアは厨房の手伝いを終える。

これから医務室での手伝いだ。


厨房の裏口から出ようと思ったら、業者が運んできた野菜を、下働きの者がチェックしながら運び込んでいる。

邪魔しては悪いので、表から出て食堂を通って行くことにした。



疎らに人が座っている食堂の端を通り、入口に向かっていたフラウレティアに、明るい声が掛けられた。

「おはよー、フラウレティア」

声のした方を向けば、食事を終えたところのレンベーレが、笑顔でひらひらと手を振っている。

魔術士のローブは着ておらず、簡素な青いワンピース姿だ。

どちらにしても、兵士の多い砦ではとても目を引く。


「おはようございます」

丁寧に挨拶を返すフラウレティアに、レンベーレは嬉しそうに近寄った。

「昨夜は話を聞かせてくれてありがとうね。出来ればもう少し話をしたいんだけど、忙しいかしら?」

フラウレティアは目を瞬いた。

「これから医務室のお手伝いに行くんです。夜なら、大丈夫ですけど……」

なるほどなるほど、とレンベーレは頷き、赤い唇でニッと笑った。



「それなら、フラウレティアと話すのは夜にしようか。……じゃあ、アッシュ君だけでも時間取れないかな?」

「え?」

フラウレティアは面食らって、肩に止まったアッシュとレンベーレを見比べる。


アッシュは隙なく光らせていた深紅の瞳を細めて、一度小さく頷いた。






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