小さな翼竜の正体 2
目の前のディードに今度こそ食らいつくべきだと思い、アッシュは牙を剥きかけた。
しかし、同時にフラウレティアが両腕を絡めるようにしてアッシュを肩から胸に引き下ろしたので、口を開けかけて藻掻く。
「…………違います……」
フラウレティアは消え入るような声で言った。
もっと自信を持って言わなければと思うのに、声に力が入らない。
「……アッシュは翼竜です。ドルゴールなんて……知りません……」
嘘をつきながら、フラウレティアの胸の奥がチクチクと痛んだ。
ドルゴールと大好きな竜人達の存在を否定してしまったようで、酷く後ろめたい気分になった。
フラウレティアは明らかに狼狽えていて、本当のことを言っているようには見えない。
「……フラウレティア、嘘をつくのはね、意外と簡単なんだ。でも、嘘をつき続けるのはとても難しいものなんだよ」
ディードの優しい声音に、アッシュを抱き締めるようにしていたフラウレティアが、視線を上げた。
ディードの深い海色の瞳は、なぜか悲しみを含んでいて、フラウレティアは目を離せなかった。
「本当のことを、話してくれないか。出来ることなら、私は君の力になりたいんだ」
ディードの声と態度は、フラウレティアの胸に沁みる。
しかし、だからといってここで全て認める訳にはいかなかった。
ディードはともかく、アイゼルとレンベーレが一体どういう性質の人間なのか、フラウレティアには分からない。
フルデルデ王国の人間は、竜人族の血肉を欲する女王の為に、ドルゴールに向けて兵を送り続けているのは事実だ。
誰をどこまで信じていいのか、フラウレティアには分からなかった。
「…………アッシュは……、アッシュは……」
どう答えるのが正しいのか、どうすればこの場を上手くやり過ごせるのか分からず、フラウレティアは眉根を強く寄せて言葉を詰まらせた。
苦しげな表情で言葉を詰まらせたフラウレティアを下から見て、アッシュはもう堪らなくなった。
どうしてフラウレティアがこんなに追い詰められなければならないのか。
彼女はただ、人間の生活を知りたいと願っただけなのに。
腹ただしさにじっとしていられず、力いっぱい抱きしめているフラウレティアの腕の中で、アッシュはギチと牙を鳴らし、身体を激しく捩って半身を擦り抜ける。
〘 もういい! こんな所出よう! 〙
フラウレティアは目を見張って、竜人語で叫んだアッシュの半身を掴む。
「駄目! アッシュ!」
アッシュの身体がぐずりと輪郭を歪めた。
「阿呆アッシュ!」
突然、窓際から聞き慣れない声が響いて、全員の視線がそちらを向いた。
半分開いていた窓の桟に、大人の掌に乗る程の大きさの、淡く輝く臙脂色の鳥が止まっている。
「フラウレティアの努力を一瞬で無駄にしちゃって。君は本当に子供で阿呆だよ」
臙脂色の鳥は、円な黒曜の瞳を器用に半眼にして、黒い嘴をカチカチと鳴らした。
「魔獣!?」
明らかに普通と違う鳥に、アイゼルが剣を握るが、上気した隣のレンベーレが、その腕を力いっぱい握った。
「待って! 使い魔だよ」
「使い魔だと?」
アイゼルがレンベーレを見て、再び鳥に視線をやる。
「そう、この鳥はエルフの使い魔です。美しいでしょう?」
そう言って、鳥は胸を張るように羽毛を膨らませ、立ち上がったディードとフラウレティアを見ると、長い尾羽根をぷるると震わせた。
「…………師匠……」
フラウレティアが、僅かに安堵したような声を出す。
「フラウレティア、どうだい、人間の暮らしは?」
楽し気な声で尋ねた鳥を見て、変態を止めて翼竜の姿に留まったアッシュは、きまり悪そうにそっぽを向いた。
「改めて、はじめまして。僕はエルフ族のハルミアン。フラウレティアとアッシュの師匠ってことになりますね」
ソファーの間のテーブル上を陣取った臙脂色の鳥は、挨拶をするように小さな頭を下げる。
鳥は、黒い嘴の下から足の付け根までは白く、身体を揺らすと臙脂色の羽根に、銅色の艶が散る。
長い尾羽根は先にいくほど幅広く、赤銅色に輝いていた。
「ディード卿、不肖の弟子達に仮住まいを与えて頂き、感謝します」
鳥はディードを見上げ、黒曜の瞳を瞬く。
〘 俺は弟子じゃないっ 〙
フラウレティアの膝の上で、アッシュが吠えるように言ったので、フラウレティアが翼を引いた。
鳥は呆れたようにアッシュを睨む。
「僕も君みたいな阿呆が弟子だと思いたくないね。まったく、何が何でも従魔のふりをして誤魔化せば良いのに、カッとなってフラウレティアの努力を水の泡にして。フラウレティアは君を守る為に、必死で嘘をつこうとしてたんだろうに」
アッシュは牙を剥き出していた口を緩め、驚いたような目でフラウレティアを見上げた。
フラウレティアは申し訳なさそうに小さくなっている。
ディードとアイゼルは困惑気味に顔を見合わせた。
レンベーレは興奮気味に頬を赤らめているが、今の彼女に喋らせては余計に混乱が増しそうだったので、とりあえず一歩後ろに下がらせた。
「ハルミアン殿、今二人の師匠と仰ったが……、エルフ族の方が師匠とはどういうことだろう。フラウレティアとアッシュは一体、何者なのだろうか」
鳥は小さく頷く。
「アッシュは皆さんの推測通り、竜人族です」
「師匠!」
フラウレティアの血の気が引いたのを見て、鳥は柔らかく首を傾げた。
「フラウレティア、僕はディード卿は信頼に足る方だと思うけど、君はどう思ってるの?」
フラウレティアはディードを見上げると、小さく頷く。
「…………そう思っています。でも……」
「うん。アイゼル卿とレンベーレ婦人も、僕の調べでは心配ないと思う」
アイゼルが一瞬眉を寄せた。
こちらがフラウレティアを調べている間に、ハルミアンもこちらのことを調べていたのだろう。
「だからね、フラウレティアが自分の言葉で本当の事を話すといいよ」
鳥がアッシュを嘴で指した。
フラウレティアは膝のアッシュを見下ろしてから、ディードの方を見ると、真剣な表情で口を開いた。
「ディード様、ごめんなさい。私、嘘をついていました」
ディードが再び、フラウレティアの側に膝をつく。
「本当の事を、話してくれるかい?」
「……アッシュを傷付けないって約束して下さいますか? 私、アッシュが傷付くのは嫌なんです……」
アッシュが弾かれたように顔を上げる。
その瞳は驚きに満ちていた。
「アッシュが人を害さない限り、決して傷つけたりしないと約束するよ」
ディードはしっかりと頷く。
「アッシュ……」
フラウレティアの懇願するような顔に、驚いて固まっていたアッシュは我に返る。
そして、一同を見回してから、ぐずりと輪郭を崩して変態した。
驚きに目を見張るディード達の前で、人形を現して、ソファーに座るフラウレティアの隣に腰を下ろす。
「アッシュ、服!」
フラウレティアの小さな声に、アッシュは僅かに顔を歪める。
そして一呼吸の間に、白く薄い鎧のように、身体中に鱗を纏わせた。
「ああああ……、やっぱり竜人は生きてたんだよ……」
感動に打ち震え、言葉を漏らしながら前に出たレンベーレを、アイゼルが押さえた。
「ドルゴールには、今も竜人達が暮らしています。私は赤ん坊の頃に竜人に拾われて、ドルゴールの竜人の中で育ちました」
フラウレティアが、魔穴に巻き込まれてここに来るまでのことを話し始めた。




