小さな翼竜の正体 1
フラウレティアは、ソファーから思わず腰を浮かしかけた。
顔を背けていたアッシュは、身体を固くしたフラウレティアの肩で、素早く首を下げて女魔術士を睨め上げる。
ディード達の反応から、アッシュがフラウレティアと喋っていたことは、気付かれていないのだと思っていた。
しかしこの女、やはり扉の隙間から見たのだ。
どうする?
アッシュはちらりと窓を見た。
風を通すために窓は半分開いている。
ここは四階だが、人形に変態してフラウを抱き上げて、窓から無事に出られるだろうか。
それとも、竜人の存在に気付いたのなら、この場で始末した方がいいか?
アッシュの瞳が、血の色を濃くしてギラリと光った。
「ああ、その瞳、ゾクゾクするわぁ」
途端にレンベーレが、紺色のローブの上から自分の身体を抱く。
フラウレティアが困惑して、眉根を寄せた。
ソファーの向かい側から、物凄く大きなディードの溜め息が聞こえた。
「レンベーレ、順に話をするんじゃなかったのか?」
「あ……、ごめん、つい」
ディードに指で指示されて、レンベーレは名残惜しそうにソファーから立ち上がる。
そして、警戒心を増してディードの後ろに立っているアイゼルの側へ行った。
「アイゼル、手を離せ」
柄に手を置いたままのアイゼルが、何か言いたげにディードを見たが、逡巡した後に渋々剣から手を離して腕組みした。
ディードはそれを確認してから、ソファーから立ち上がり、ゆっくりとフラウレティアの側に寄った。
そして、膝をつく。
「すまない、君をそんな風に怖がらせるつもりではなかった」
身体を強張らせたままのフラウレティアに目線を合わせ、ディードは低く柔らかな声音で言った。
フラウレティアの貼り付いた喉が、ヒクリと動く。
「私達は、君達に危害を加えるつもりはないよ。……アッシュ、君もそんな風に殺気をとばすな。フラウレティアが落ち着けない」
正に、今ここにいる者全てを始末する事まで考えていたアッシュは、ハッとしてフラウレティアの顔を覗き込んだ。
フラウレティアは蒼白で、強張ったまま、目の前のディードを見つめていた。
「……もう一度言う。君達に危害を加えるつもりはないんだ、フラウレティア」
柔らかく言って、固く握られたフラウレティアの手に、そっと指先を添える。
「順に話すから、少し聞いてもらえるかい?」
丸腰で膝をつき、真摯に見つめるディードに、フラウレティアは緊張したまま、僅かに頷いた。
「ありがとう」
ディードは手を下ろした。
「私はこの砦で警備団長をしているが、実はアンバーク領の領主の権限を持たされている」
ディードの言葉に、フラウレティアは再び小さく頷く。
「……グレーン薬師様から聞きました」
「そうか」
フラウレティアがようやく言葉を発したので、ディードは目元を僅かに和らげる。
「君達がここにきて、君の翼竜が賢く、無闇に人間を傷付けないのはすぐに分かったが、多くの人間にとってはやはり恐ろしい魔獣だ。領主を任されている私には、君の希望通り領内に入れることは出来ない。それで、元いた場所に安全に戻してやることが出来るかと、カジエ村に人をやった」
フラウレティアが小さく息を呑んだ。
半分開いた窓から、生温い風が入る。
「フラウレティア、君達は、ゴルタナのドワーフの村カジエには住んでいないね?」
調査に行った者は、今日の午前に戻った。
ドワーフの村カジエは、鍛冶や細工物を中心とする、職人達の工房集落だった。
基本的に売買は、そこから北にある種族混合の街に商品を運び、そこに構えてある多くの店舗で行われている。
村のドワーフ達の多くは、確かにフラウレティアとアッシュを知っていたが、それは住人としてではなく、時々魔獣の皮や素材を売りにやって来る客としてだった。
カジエ村の窓口は街にある為、村に直接訪れる人間は稀で、フラウレティアとアッシュはそれだけで目立つ。
しかも、ドワーフと人間の感覚は違うとはいえ、明らかな子供が翼竜を連れ、更に貴重な魔獣素材を持ち込めば、買い取る前にその所在を確認するはずだ。
それなのに、誰に聞いても、フラウレティアのことは“森の住人だろう”と答えるだけで、詳しく知らないという。
あの辺りの森といえば、魔の森だ。
しかし、魔穴が不規則に度々発生する魔の森では、狩りはできても、住むことは出来ないのは周知の事実だ。
それならば、フラウレティアは何処の森から来たのか。
「フラウレティア、君は、ドルゴールから来たんじゃないのか?」
ディードの静かな問い掛けに、明らかにフラウレティアは身体を強張らせた。
無意識なのか、左肩のアッシュに左手を添えて、頬を寄せる。
アッシュが低く喉を鳴らし、真紅の瞳が隙なくディードを狙う。
しかし、ディードはアッシュは見ず、フラウレティアから僅かにも視線を逸らさなかった。
「魔の森は、その南端がドルゴールの荒野へと続く。……ドワーフ達は、君達が何処から来ているのか知っているが、知らないことにしているのではないか?」
ドワーフと竜人族は、反りが合わない。
種族間のいざこざは絶えなかったと、文献にも残るくらいだ。
しかし、遥か昔から世界を先導し、人間を育てながらも、魔竜の出現をきっかけに、人間から迫害を受けて世界の果てに追いやられた数少ない竜人族を、ドワーフは見て見ぬ振りをすることで擁護しているのではないだろうか。
だからこそ、アッシュを連れたフラウレティアに干渉しなかった。
ディードは、目の前のソファーで身を固くするフラウレティアを見つめる。
カジエ村に行った者から報告が上がり、レンベーレを交えて検討した結果、辿り着いたのはアッシュが竜人族ではないかという推測だった。
カジエ村周辺に、フラウレティアが翼竜を連れて居住していた形跡はない。
そして、そのこと以上に、アッシュの存在感だ。
従魔契約していないのに、従魔として振る舞う魔獣。
常に周囲を窺い、フラウレティアを気遣いながら出しゃばる事なく、彼女が人間社会を学ぶことを静かに見守っている。
竜に近い魔獣の知能は高いと言われるが、果たして、翼竜にそんなことが可能なのだろうか。
とにかく一度フラウレティアと話をしてみるべきだと、彼女の部屋を訪れた時、部屋から漏れ聞こえたのは聞いたことのない低い声だった。
ディードは初めてアッシュの方へ視線を向けた。
「アッシュ、君は竜人族なんだな?」




