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厨房でのひと騒ぎ

フラウレティアとアッシュは、厨房にいた。

隅に置かれた小さな机で、煮込みの残りとパン、大きな具がゴロゴロ入った熱々のスープを食べている。



「まったく、こんなところじゃなくて、食堂の広い机で食べりゃいいのに」

マーサは呆れたように笑いながら、明日の仕込みをしている。

「ここがいいんです」

フラウレティアは大きなパンを両手で割って、アッシュが口を突っ込んでいる皿の横に半分を置く。

「ここだと、アッシュがジロジロ見られることもないし。皆が働いているところを見るのも好きだし」

フラウレティアとアッシュの存在は、砦内では周知され、多くは好意的に接してくれるが、やはり幾らかの人は不気味そうに視線を向けてくる。

仕方ないことと理解はしているが、視線を受ける側としては、やはり気分の良いものではない。


その点、厨房は安心だ。

皆、アッシュの食いしん坊ぶりを知ってから、その反応を見て喜んでくれる。

それに、皆が忙しそうに動き回っているのを見ると、フラウレティアはワクワクする。

自分もその中に入って立ち働きたいと、ウズウズしてくるのだ。


何よりもこうして、マーサの側で他愛もない事を話すのが楽しかった。


「あっ、でも、邪魔になってますか?」

口に入れたパンを飲み下して、フラウレティアは急いで聞いた。

こちらは楽しいが、もしかしたら厨房の隅とはいえ邪魔になっているのかもしれない。


「邪魔なんかじゃないよ。残り物を美味しそうに平らげてくれて、有り難いね。こんな翼竜の姿が拝めるのなんて、ここだけだよ」

口の周りについたソースをべろりとなめたアッシュを見て、マーサは大きな口を開けて笑う。

厨房に残っている料理人達も笑って同意した。



嬉しそうに笑って、スープの具を頬張るフラウレティアの姿に、マーサは目尻を下げる。


最初から物怖じしない子だとは思っていたが、初めての場所での緊張が解けると共に、素直に気持ちを表し始めて安心した。

フラウレティアの気持ちに応えてか、アッシュも常に周りを怯えさせないよう、気配を小さくしている印象だ。

この一人と一頭は、少なくともここの人々に害を与えるような者達ではないと思う。


「フラウレティア、この後時間があるなら、仕込みを手伝っておくれよ」

「はい!」

「ああ、ゆっくり食べてからでいいから!」

満面の笑みで答えて、急いで食べようとする姿を見て、マーサは笑う。

ディードから、フラウレティアの様子を見て、時々報告して欲しいと言われていたが、そんなことを言われなくてもずっと気にかけていた。

フラウレティアの少女らしい表情と、周りを気遣う優しい気質は、マーサの母性を刺激して、もっと世話を焼きたくなってしまうのだ。





「そういえば、今日山鳥を狩ったって聞いたけど」

鶏肉をぶつ切りにしながら、思い出したようにマーサが言った。

食事を終えて仕込みを手伝おうと、長い髪を縛り直していたフラウレティアは、僅かに手を止めた。

まさか、マーサにも変だと思われたりするのだろうか。

 

そんな心配をよそに、マーサはフラウレティアの剥き出しの足首を見た。

「なんか、アッシュにボーンと高く飛ばされたって聞いたんだけど、足首は大丈夫だったのかい?」

「え? あ、平気でした」

砦に来た時に、足首を痛めていたから心配してくれたのだと気付いて、フラウレティアはこくこくと頷く。

マーサが、良かったと笑ったので、フラウレティアはホッとする。

温かく心配してもらえることに、胸の奥がくすぐったいような気持ちになった。




マーサがぶつ切りにした肉が、机の上のボウルに山盛りになっている。

今日の山鳥をお預けにされたアッシュは、恨めしそうにその肉の山を見て舌舐めずりした。

「ちゃんと料理したのを、明日ご馳走してあげるよ」

視線に気付いたマーサに笑われて、アッシュは渋々隅の机の下に丸まる。



マーサが切った肉に、骨に沿って切込みを入れて欲しいと言われたので、フラウレティアは腰掛け鞄から小さめのナイフを取り出した。

使い慣れた道具の方が具合が良い。

そのナイフの持ち手の部分や、固い皮で作られた鞘は、随分と使い込まれているらしく、煮しめたような色合いだ。

「それ、アッシュが探しに行ってた荷物だろう?」

フラウレティアの腰掛け鞄をマーサが見た。

使い込まれてクタッとした、平べったい黒茶の鞄。

魔穴に巻き込まれた時に失くしてしまって、この間アッシュが探して拾ってきてくれた物で、腰に掛けて使う鞄にしては、少し大き目だ。

「はい。愛着があったので、見つかって良かったです」


机の下で、アッシュが不機嫌そうに、フスンと鼻を鳴らした。

演習場で頭を下げさせられた事を思い出したのかもしれない。



「ナイフの他に、何が入ってるの?」

フラウレティアと一緒に、仕込みを手伝っていた下働きの女性が、興味津々に尋ねた。

「野営に使う物が殆どです。ロープに、火打ち石、小さ目の魔石、魔術ランプ、保温布、浄化石……、いたっ」


パシと小さく乾いた音を立てて、アッシュの翼がフラウレティアの顔を叩いた。

机の下にいたはずのアッシュが、いつの間にかフラウレティアの左肩に止まって片翼を広げている。

「もう、アッシュ、何するの」

貼り付いたままの翼を顔から剥がして、フラウレティアが軽く唇を尖らせたが、アッシュと目が合って、軽く息を呑んだ。



アッシュの真紅の瞳は警戒の色を滲ませ、肩を掴んだ足には力が入っている。

まるで、『それ以上喋ってはいけない』と、フラウレティアに警告しているようだ。



アッシュはさっと翼を戻すと、ぷると首を振って、フラウレティア達の前に山にされている鶏肉に向かって舌舐めずりする。

「あっ、こら、駄目だよ、アッシュ!」

今にも齧り付こうという素振りを見せたアッシュに、マーサが慌てて手を伸ばす。

しかし、アッシュはマーサの太い腕をヒョイと飛び越えて、ぶつ切りにされた鶏肉を一つ咥えると、そのまま背の高い料理人の頭に乗ってゴクリと丸飲みし、ニヤリと笑うように目を細めた。


「こらぁ! つまみ食い禁止だよ!」

「おいおい、頭の上で食べるなよ」

「もう、アッシュったら!」

からかうようにアッシュが食堂に飛んで逃げたので、捕まえるまで厨房は一時大騒ぎだった。



そのおかげで、フラウレティアの鞄の話は、皆忘れてしまったようだった。





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