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母への憧れ

雨季である水の季節が終わり、月が変わって火の季節になった。




昼時の食堂は、入れ代わり立ち代わり兵士達が食事をするので、毎日大忙しだ。


「もう次の肉を準備しときな! ボサッとするんじゃないよ!」

厨房で見習いに声を張り上げるのは、使い込まれた大鍋の前に立つマーサだ。

煮込みの具合を覗いてから、隣のフライパンを揺すり、付け合せの置かれた皿に、焼けた肉を手際よく置いていく。

「いいよ、出して!」

「はい」

マーサの合図で、フラウレティアは両手に皿を持ってカウンターへ運ぶ。

盆を持って待ち構えていた兵士達に「おまたせしました」と笑顔を向けてから、別の料理を作っている料理人の側に、皿を並べておく。

カウンターの隅に、下げられた皿が溜まっているのを見つけると、皿洗いをしている下女のところへ運び、洗って水切りされた皿を運んで場所を空けた。




昼の一番忙しいところを過ぎて、食堂の椅子にも空きが見えてきた。


ずっと火の前にいて、汗だくの顔を首に掛けた布で拭いたマーサに、水の入ったグラスが差し出された。

「ありがとう……って、フラウレティア!? アンタ何やってんのさ。医務室は?」

受け取って一息に飲み干してから、水を渡してくれたのがフラウレティアだと気付いたマーサが目を剥いた。

フラウレティアは、昼間は医務室の手伝いをすることになっているはずだ。


フラウレティアはにっこり笑って、空になったグラスを受け取る。

「お昼休憩の時間なんです」

「ああ、そう……って、休憩時間なのに、何で厨房(ここ)で働いてるのさ」

「忙しそうだったから、お手伝い出来るかなって。……あ、勝手に手伝っては駄目でしたか?」

グラスにおかわりの水を注いで、再びマーサに差し出したフラウレティアは、笑顔を引っ込めた。


朝夕は、時々仕込みの手伝いをさせてもらっているが、忙しい昼の時間に厨房に入ったのは初めてだった。

何度も出入りして気安くなっていたが、手伝うには許可が必要だっただろうか。


「いや、駄目じゃないけど、休憩なのに余計疲れちゃっただろう」

呆れたように言うマーサに、フラウレティアは再びにっこり笑って見せた。

「全然! 楽しくって!」

大人数で食事を作っている厨房も、ワイワイと食べて笑う人達も、何もかもがフラウレティアには新鮮で刺激的だった。

見ている内に、その中に自分も入ってみたくて、ウズウズしてきた。

流れを見ていたら、動くべきところは分かって、下働きの仕事なら自分にも出来そうなので手伝ってみたのだ。



くるくると動き回って、言われなくても勝手に出来る仕事を見つけていたフラウレティアは、違和感なく溶け込んでいたようだ。

そういえば、今日は皿が用意されてなくて怒鳴ったり、他の料理が間に合わなくて、マーサが火の側から離れたりしなければならないようなことが起こらなかった。

フラウレティアがよく気が付いて、動き回っていたからだろう。


「まあ、正直言えば、助かったよ。それで? 自分の食事は?」

「あ、まだ……。でも、もう戻らなくちゃ」

戻る時刻が近いらしく、いつの間にかアッシュが厨房の隅っこで、ピシピシと尻尾を床に鳴らしている。

フラウレティアが働いている間、大人しくあそこにいたのだろうか。


「フラウレティア、これ食べな。手伝ってくれて、助かったよ」

厨房の料理人の一人が、大振りなパンに、マーサが焼いた肉と野菜を手早く挟んで渡してくれる。

「ありがとう」

パッと顔を輝かせてフラウレティアが受け取ると、アッシュがすかさず飛んできて彼女の左肩に止まった。

鼻先をサンドイッチに近付けて、深紅の瞳をキラリと輝かせる。

マーサも料理人達も、思わず吹いた。

「もう一個作ってやるから」

アッシュが満足気にフスンと鼻を鳴らすので、厨房の皆が笑った。



裏口から出ようとしたフラウレティアが、振り返る。

「マーサさん、今日も夕の仕込みの時、手伝いに来ても良いですか?」

「疲れてないならいいよ」

笑って了承されて、フラウレティアは嬉しそうに頷くと出て行った。




「えらく懐かれたもんだな」


フラウレティアとアッシュが厨房から出て行ったところで、カウンターの向こうから声がした。

マーサが振り向くと、しかめっ面のギルティンがカウンターで頬杖をついている。

盆を前に置いているところを見ると、今から昼休憩のようだ。


「かわいいだろ?」

焼いた肉を皿に乗せながらマーサが笑う。

「翼竜がくっついてなきゃ、どこにでもいそうな子供(ガキ)だな」

「そうだよ。最初は皆驚いたけどね。アッシュも厨房(ここ)じゃあ、すっかり餌付けされた犬みたいなもんだ」

マーサの言葉に、料理人達が声を上げて笑う。


ギルティンは不快そうに眉間にしわを寄せた。

「……どんなに従順そうに見えても、魔獣は飼い犬とは違うぞ」

「分かってるよ。でも、飼い犬と違って、従魔は主人には絶対に逆らえないだろう? それこそ安心じゃないか」

翼竜が本当は従魔ではないと聞いているギルティンは、険しい顔のままだ。


マーサがギルティンの盆に、肉の乗った皿を置いた。

「……随分あの子供を信用してるんだな」

頬杖をやめて上体を起こしたギルティンが、マーサを見る。

マーサはくたびれたエプロンの腰に手をやって、大きく笑う。

「そりゃ素直で明るくて、働き者だもの。心根の優しい子だって、見てたら分かるしね。懐かれて悪い気はしないよ。何なら、うちの息子の嫁に欲しいくらいさ」


並べられているグラスを取って水を注ぎながら、ギルティンは軽く眉を寄せる。

「マーサの息子って……、確か……」

マーサはギルティンの気遣うような視線に気付いて、笑みを薄くした。

軽く息を吐いて、焼き立てのパンを冷ましている網の上から一つ取って、盆に置く。

「さあ、冷めないうちに食べなよ!」

ああ忙しい、というように、マーサは話をしまいにして大鍋の前に戻って行った。



ギルティンは盆を持ち上げて席に向かう。


マーサの末の息子はアンバーク領街の元兵士で、平民出で騎士になれる試験に合格して、中央の騎士になった。

そして、女王の命令で竜人族の血肉を手に入れるため、ドルゴールへ派遣される騎士団の一人に選出された。


彼はこの前、この砦の門から壁外に出て、まだ戻って来ていない。




医務室の建物近くまで戻って来て、フラウレティアは外の壁沿いに座ってサンドイッチを頬張っていた。

アッシュも隣で、紙包みを広げた上のサンドイッチに齧り付いている。

砦の料理人が作る料理が、すっかり気に入っている様子だ。

もしドルゴールに戻ることになったら、さぞ食事が味気なく感じるようになるだろう。


あっという間に平らげてしまったアッシュに、フラウレティアは、自分の手にある残りを半分に割って渡す。



「……“お母さん”って、マーサさんみたいな感じなのかな……」

もらったサンドイッチに齧り付いたアッシュは、フラウレティアの呟きに視線を上げる。

食べかけのサンドイッチを見つめて、フラウレティアは僅かに頬を上気させていた。


竜人族は長い長い時を生きるからか、親子でも兄弟でも、成長してしまえばほぼ同等の接し方をする。

アッシュはハドシュ(父親)のことを“父さん”などとは呼ばない。

フラウレティアにとっても、育ててくれたハドシュは“父”で、ミラニッサは“母”のようなものだと認識しているが、恩人としての想いはあっても、本で読んで知った“父性”や“母性”といったものは、正直よく分からなかった。



「……美味しい」

サンドイッチを嬉しそうに齧るフラウレティアを、アッシュは黙って見上げていた。





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