信じられない事ばかり
「一体どうなってるんです? 休暇から戻ってみれば、たった十日の間に子供やら翼竜やらが自由に動いてるなんて」
ディードの執務室でひどく顔を顰めているのは、ついさっき休暇を終えて砦に戻って来た、第一部隊長のギルティンだ。
筋肉質の体格良い長身で、鮮やかな赤毛に赤茶色の目をした、よく目立つ風貌の男だ。
ディードへ帰還の挨拶をする為に来たはずなのに、執務机の前まで来た途端、彼の口をついて出たのはそんな言葉だった。
彼は帰還早々、演習場に寄ってアッシュを見つけてしまった。
同部隊の隊員達と、たまたま近くにいた第二部隊長のナリスに間に入られ、大事にはならずに済んだが、未だ困惑した様子のままだ。
「良く戻った。街に変わりはなかったか?」
小言を言いたそうなアイゼルを制して、ディードが苦笑混じりに言った。
帰還の挨拶をしていなかったことを今更に気付いて、ギルティンは一瞬バツの悪そうな顔をした。
執務机を挟んで立つアイゼルとナリスの視線が痛いと思いながら、ピシッと立礼する。
「第一部隊長ギルティン、ただいま戻りました。領街は変わりなく……、いや、特に問題が起きたりはしてなかったですけどね」
立礼してすぐに姿勢を崩し、ガシガシと赤毛の頭を掻きながら、ギルティンは再び顔を顰めた。
「砦の辺りで空を飛ぶ魔獣を見たって、チラッとそんな噂が出てましたよ」
ディードとアイゼルは顔を見合わせる。
「どこでそんな噂が?」
「傭兵ギルドの酒場です」
噂は、月夜に砦の壁の外で、翼竜のような影を見たというものだ。
また魔獣が現れたのだろうかという、懸念も含めた雑談として聞こえた。
「俺も、『休暇が終わったら討伐に出ることになるかな』くらいに聞いてたんですが。まさか、砦内に翼竜がいるなんて思いませんでしたよ……」
ギルティンは乱れた髪を直そうともせず、執務机に近付く。
「それで、何でまたこんなことに?」
「言ってしまえば、成り行きではあるが……」
ディードは椅子に凭れ掛かり、窓の方へ視線をやる。
つられてそちらを向いたギルティンに、フラウレティアとアッシュを見つけたあの夜からのことを話した。
話を聞き終えたギルティンは、大きく顔を歪めて再び頭を掻いた。
「魔穴で飛ばされて……、ドワーフに育てられて、竜と家族? 信じられたもんじゃありませんね」
「確かに、言葉で説明すればそうだな」
ディード自身も説明をすればする程、有り得ないことのような気がした。
「しかし、実際にそうなんだ。彼女達を見ていれば、人間と従魔という括りでは収まらないのが分かる。……“家族”という表現が合っているように思えてしまうんだ」
無条件に互いを信頼し、自然に労り合う関係。
主従関係とは違うように感じる。
彼女達を見ていると、ディードは失くしたものを思い出し、胸の奥が小さく疼く気さえした。
ナリスもまた、詳しい事情を聞いたのは初めてだったようで、難しい顔をしている。
「確かに、今のところ翼竜に凶暴性は見られません。しかし、今後はどうするのですか? ずっと彼女達をここに置いておくつもりではありませんよね?」
ディードの隣に立っていたアイゼルが、頷いて口を開く。
「二、三日内には、カジエ村に調査に行った者が戻るだろう。彼女の縁者が見つかれば連れて行くことも出来るし、もしかしたら引き取りに来るかもしれない」
「あの子供の話が嘘でなければ、でしょ」
ギルティンがしかめっ面のまま言った。
フラウレティアが本当のことを話したのでなければ、カジエ村に行っても縁者が見つかるとは限らない。
「何にせよ、間が悪いですよ」
ギルティンの苦々しい声に、三人は視線を向ける。
「今のところ、女王陛下は竜人族の血肉に固執しています。ただでさえ、薬師の同行を突っぱねたことでディード様への心象が悪くなってるのに、そんな時に、砦に翼竜の目撃情報ですよ……」
四人の上に、沈黙が下りる。
“嫌な予感しかしない”とは、ギルティンもさすがに口に出せなかった。
「とにかく、調査に出た者が戻るのを待つ。それまでは、ここで様子を見る」
ディードが溜め息混じりに言った。
どちらにしろ、翼竜を連れた少女など、おいそれと砦からは出すわけにはいかないのだから。
「…………それから、お前達には話しておこうと思うが……」
ディードが一層声を落として言った。
東本館を出て立ち止まり、ギルティンは赤毛の頭をガシガシと掻く。
「あんまり掻くと、禿げるよ」
後ろから付いて出てきたナリスに言われて、慌てて手を下ろし、ギルティンは彼女を恨めしそうに睨む。
どうやら気にしているらしい。
「……お前、あの子供と翼竜をどう思う?」
ギルティンが演習場に向けて歩き出しながら聞く。
「どうって聞かれても、ね。確かに信じられないような内容だけど、フラウレティアは確かに翼竜を連れていて、翼竜はフラウレティアの言う事に従順に見える」
後ろに付いて歩きながら、ナリスは言葉を選ぶように話す。
「それにあの子、いい子なのよね。世間知らずだけど、素直で働き者で、普通の女の子だと思う。だから……」
ナリスは鳶色の細い眉を寄せて、視線を上げる。
「だから、信じられない。あそこから飛び降りたなんて……」
視線の先は、今二人が出てきた東本館と渡り廊下で繋がる、西本館の三階の窓だ。
さっき執務室でディードから聞いたのは、フラウレティアが三階の窓から飛び降りて無傷だったという話だった。
フラウレティアが砦に運び込まれた際、ナリスは下女と共に、彼女の汚れた服を着替えさせた。
下着姿のフラウレティアの身体は、同じ年頃の少女よりは随分肉付きは薄く、どちらかといえば、痩せて筋肉質だった。
小さな傷跡がたくさん残っていたが、魔の森で狩りをして生活していたというから、そのせいかもしれない。
しかし、それでも成人前の少女の身体には違いなかった。
いくらなんでも、三階から飛んで無傷でいられるような、超人的な身体能力があるようには見えなかった。
二人が視線を下に戻した時、西本館の先にある医務室の建物から、フラウレティアが出て来たのが見えた。
彼女の左肩には翼竜が止まり、両手で抱えたカゴには、これから洗うのであろう白い布の山がある。
後ろに同じ様なカゴを抱えた下女が出て来たが、翼竜が怖いのか距離が空いている。
不意に風が吹いて、抱えたカゴから布が舞い上がる。
二人は咄嗟に布の山を押さえたが、間に合わなかった数枚が後方に飛んだ。
バサリと羽根を広げて、フラウレティアの肩を蹴ったアッシュが、口と前足で器用に布を捕まえた。
得意気にカゴに戻すアッシュと、それを見て屈託なく笑うフラウレティアの姿は、とても平和だ。
まるで、飼い犬とその主がじゃれ合っているかのようだ。
下女も一瞬ポカンとしたが、二人の様子に安堵したような笑みが溢れているのが見えた。
カゴを抱え直した二人は、談笑しながら建物の裏へ歩いて行く。
「……ほら、あんな風に。翼竜を連れていても、特別構えなくてもいいんじゃないかって、そんな風に思えてしまう」
最初は怖いけれど、慣れると何てことはなかったというように、周囲の者は翼竜への恐怖が薄れていく。
ギルティンは納得がいかないというように、唸ってガシガシと頭を掻いた。
建物の角を曲がる瞬間、フラウレティアの肩の翼竜が、不意に首を捻った。
ギルティンはギクリとして手を止める。
建物の向こうに消える前、翼竜は確かに、こちらに深紅の瞳を向けていた。




