人間の敵と竜人の敵
偉大なる太陽と月の兄妹神が、この世界を創造した時、太陽神の両手から火の精霊と風の精霊が生まれ、月光神の両手から水の精霊と土の精霊が生まれた。
兄妹神が様々な世界を創り、それを融合させてひとつの世界にまとめ上げるのを、精霊達は手助けした。
遥か昔、大陸の片隅で、巨大な竜の身体から七人の竜人が生まれる。
世界を創造した太陽と月の兄妹神は、その七人の竜人に、この大陸をより豊かなものにするよう、人間を始めとする他の生き物を導く役割を与えた。
しかし、竜人と人間は大きく違いすぎた。
直接全てを導くことが難しく、竜人達は一部の優れた人間達と共に国を興す。
人間の国は、人間が治める。
竜人達はその後方から、世界を支える精霊を使って荒ぶる土地を均し、共に国を興した人間達に徐々に知恵を与え、時に魔法の力で支援しながら、大陸中に広がっていく人間の国々を従えていく。
その国の名は、フルブレスカ魔法皇国。
大陸のほぼ中央に位置し、大陸に散らばる国々の頂点であり続けた、今は無き伝説の国だ。
フルブレスカ魔法皇国を治める人間は、ある時、竜人の導きが、実質は支配であることに不満を持った。
それは突発的なものでなく、積み重なった小さな不満から起こったのかもしれない。
人間は竜人以上の力を手にしようとし、失敗する。
魔界から、魔竜を召喚したのだ。
召喚だけは成功したが、人間には魔竜を御することが出来なかった。
それにより、長い長い年月、大陸の覇者であったフルブレスカ魔法皇国は、一夜で壊滅した。
今より二百年以上も前の話だ。
フラウレティアはベッドに腰掛けて、小さくため息をついた。
「フラウ」
後ろから、大きな爪が生えた手が伸びてきて、フラウレティアの銅色の髪を撫でる。
固い爪先で傷付けないようにゆっくり撫でるのは、竜人の姿に変態したアッシュだ。
上半身裸で、腰に薄い掛け布団を巻き、ベッドの上であぐらをかいている。
「今日聞いた話は気にするな」
アッシュが低い声で言う。
撫でられるままになっていたフラウレティアが、くるりと振り返る。
緩くクセのある髪が、乱れて一筋顔の前に垂れた。
「気にしないなんて、無理だよ。あんなくだらない理由で、アッシュ達の……、アッシュ達の力を欲しがるなんて……」
“アッシュ達の血肉”とは口に出したくなくて、フラウレティアは躊躇って言い換えた。
「竜人の血肉を欲しがるのに、ろくな理由があるわけ無いだろ。寧ろ“人間の敵”だって思い込みで殺しに来るよりマシだ」
アッシュは表情を変えず、振り返って見上げているフラウレティアの頭を撫で続ける。
人間の世界では、高度な文明を誇ったフルブレスカ魔法皇国を滅ぼしたのは、竜人であるというのが定説だ。
人間が召喚したのが、魔竜であった為だ。
当時フルブレスカ魔法皇国の周辺で生き残った人々は、竜人が仲間を呼び寄せたことで、皇国が滅んだのだと解釈した。
おかげで今でも、竜人は“人間の敵”だと思われているのだ。
最近では、遺跡を探索する研究者や冒険者達によって、真実に近付く別の説が発表されているが、あくまでも仮説の域を出ておらず、広く一般には知れていない。
結局、真実を知るのは、ドルゴールで生き残っている竜人と、竜人達がドルゴールに逃げ延びるのを手助けした、一部のエルフや人間達だけだった。
「……アッシュ達は、いつまで人間の敵じゃないといけないの?」
悲しそうな顔をして、フラウレティアが言う。
いつまで経っても、人間にとって竜人は異質なもので、異質なものを再び内に入れてくれる程、人間の懐が深いものだとはアッシュには思えなかった。
それでも、フラウレティアが悲しそうにしていれば、『いつまでだって人間の敵だろう』とは言えず、アッシュは小さく溜息をついて言った。
「さあな」
フラウレティアは厚い下唇を噛んで、素肌のアッシュに抱き付く。
幼い頃から、嫌なことがあった時や寂しい時、いつもアッシュを抱き締めてきた。
しかし、翼竜の姿の時はともかく、竜人の姿の時に素肌で抱き付かれることはなく、アッシュは一瞬怯む。
「おい、フラウ……」
白い肌に浮き出る硬質な鱗は、胸にはない。
それでも人間よりは固い皮膚に頬を擦り付け、フラウレティアは腕に力を込めて、呟く様に言う。
「本当は、人間が“竜人の敵”なのに……」
翌日からは、フラウレティアは午前も午後も、医務室で手伝いをした。
朝や夕方以降に時間が空けば、厨房に行って、マーサ達の手伝いをする。
昼の休憩の時は、砦内を見学したり、演習場に行って兵士の話を聞いたりした。
人間の生活は、本で学んだり、師匠であるエルフのハルミアンから教わったりしていたが、実際に見て話すと新鮮で、驚くことばかりだった。
雨季である水の季節が終わる。
水の季節最終日の今日、フラウレティアは、フルデルデ王国内に入る側の大門から、幾人もの兵士達が砦に入って来るのを見た。
「あの人達も、この砦の兵士達なんですか?」
昼休憩中、この数日ですっかり打ち解けた若い兵士に、フラウレティアは尋ねた。
演習場の端で、若手兵士の担当作業である、訓練用の革防具の手入れを手伝っていた。
「ああ、そうだよ。今日までの休暇を終えて、帰ってきたんだ」
若い兵士達が説明するには、この砦には部隊が二つあり、全体のおよそ六分の一が、十日間の休暇で砦を出ていたらしい。
この世界は、一年間を光、水、火、土、風の五つの季節で区切る。
各季節は六十日。
六分の一ずつ、十日間で、各季節に必ず一回休暇がある計算だ。
この砦には、殆どアンバーク領の人間が警備に付いているので、休暇中は大体がアンバーク領内の街や村に帰るのだという。
フラウレティアは頷きながら、固く絞った布で革の胸当てを拭く。
拭き終わった防具をアッシュに渡せば、日陰に吊って干す為の棚に、咥えて運んでくれる。
最初はフラウレティアに頼まれて、嫌々運んでいたのだが、若い兵士が並べた向きが揃っていなかったのが気に入らなかったらしく、同じ向きに美しく並べ直したのを見て、フラウレティアや兵士達が感心したので、まんざらでもなくなったようだった。
今運んだ胸当てを棚に吊るし、ちょっと飛び上がり、遠目で見てみる。
きれいに揃っていることを確認すると、アッシュは満足気にフスンと鼻を鳴らした。
くるりと方向を替えて、フラウレティアが座っている所へ戻ろうとした時、殺気のようなものを感じて飛び退った。
赤毛の体格の良い兵士が、突然グンと前に迫り、長剣を振った。
アッシュがもう一度飛び退ると、今いた所に切っ先が届いた。
「アッシュ!」
フラウレティアが駆けて来て、アッシュの前に庇い立つ。
「おいおいおい、どういう事だ。何で砦に魔獣や子供がいるんだ」
少女が翼竜の前に飛び出してきたので、長剣を構えた赤毛の兵士が、困惑気味に一歩引いた。
しかし、構えた長剣は降ろさない。
「隊長! 待って下さい!」
フラウレティアと一緒に、防具の手入れをしていた若い兵士達が駆け寄った。
「この翼竜は彼女の従魔なんです!」
「従魔だぁ?」
隊長と呼ばれた赤毛の男は、太い眉を寄せて、フラウレティアとアッシュを見下ろした。