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残された薬師達

師匠(せんせい)!」

診察記録の紙束を投げ置いて、エイムが駆け寄る。


「大丈夫ですか!?」

脈を取ろうとするエイムの手を、グレーンは軽く払った。

「……年寄り扱いするな」

「今自分で“老人”だと言ったでしょうが! 大人しく横になって下さい!」

言葉は厳しいが、心配で堪らないという様子のエイムに、グレーンは顔色を悪くしたまま苦笑する。

「患者の前で、薬師がそんな顔をしてどうする。全く、いつまで経っても半人前じゃの」

そんな悪態をつく声にも張りがなく、エイムは口を閉じてしまった。



患者を診る為の寝台を整え、そこに寝かそうと、エイムがグレーンを抱えようとした。

しかし、再びグレーンは手を払う。

「嫌じゃ嫌じゃ。こんな固い寝台に横になったら、余計に具合が悪くなるわい」

駄々を捏ねるグレーンに、エイムが噛み付こうとすると、フラウレティアがそっと間に入った。

グレーンの側に寄って、その小さな背中をゆっくりと擦る。


グレーンは、ほうと息を吐いた。

「…………これは気持ち良いわ」

目を閉じて擦られるままにじっとしているグレーンを、エイムは唇を噛んで見ている。

胸を押さえたままのグレーンが落ち着くまで、フラウレティアはずっと背を擦っていた。




「嬢ちゃん、もう良い。随分楽になったでの。ありがとう」

どのくらい背を擦っていただろうか。

幾らか顔色の戻ったグレーンが、目を開けて言った。

「薬師様は、どこか具合が悪いんですか?」

グレーンの背中から手を下ろし、フラウレティアが尋ねた。

グレーンは軽く笑う。

「ただの老衰じゃな。心臓にガタが来ておって、そろそろ太陽神の御手に帰るのよ」


師匠(せんせい)、簡単にそんなことを言わないで下さい。もっと長生きしてもらわないと」

奥の調剤室から出て来たエイムが、顔をしかめた。

「もう十分生きたわい。しかし、この分だと、死ぬまで(ここ)で働かされそうだの」

師匠(せんせい)!」

「ああ、うるさいのぅ」

薄っすらと茶色の混じった白い髭を、モサモサと揺らして、グレーンは盛大に顔をしかめた。


「儂はもう部屋に帰る。片付けは任せるから、しっかりやれ」

そう言って椅子から立ち上がり、使い込まれた杖を持った。

エイムが手を貸そうとすると、片付けろ、と杖を振り回した。

「嬢ちゃん、また明日にの」

フラウレティアにも手を貸さなくて良いと言うように、普段通りの笑顔を見せて、グレーンはエイムが調剤した薬を持って出て行った。




コツ、コツと遠ざかる杖の音を聞いて、エイムが長い長い息を吐いた。


「片付け、手伝います」

フラウレティアが、机の上に出されたままだった道具を手に取り始め、エイムもようやく普段の顔付きになった。

「驚かせてしまいましたね」

フラウレティアの方に向かって、恥ずかしそうに少し笑う。


あちこちに向いている薬瓶を、几帳面にラベルが同じ向きになるよう並べ直して、エイムが溜息をついた。

師匠(せんせい)の言う通りなのです。私はすぐ狼狽えて、ああやって顔に出てしまって。まだまだ薬師としては一人前とは言えないので、師匠(せんせい)に無理をさせる事に……」

「こんなに大きな砦なのに、薬師様は他にいないんですか?」

昨日と今日、ここで手伝っている間に会った薬師は、グレーンとエイムの二人だけだ。

調剤助手らしき人が、奥で三人手伝っているのは見えたが、薬師は見習いの一人も見ていない。


「本当なら、後二人いるはずなのです。その内の一人は女性で、もうすぐ赤ん坊が生まれるので、アンバークの街に戻っています」

フラウレティアが首を傾げた。

「後の一人は?」

「もう一人は、女王陛下の命令で、傭兵団に付いて行きました」

エイムが焦げ茶色の瞳を曇らせた。


「傭兵団?……そんなものが、この砦を出て何処へ?」

フラウレティアはエイムの方を向いて、答えの予想がついた質問をした。


「ドルゴールです」


エイムの口から出た答えは、予想通りだった。

フラウレティアの鼓動が早くなる。

椅子の下で丸まっていたはずのアッシュが、いつの間にか上体を起こしていて、ゆっくりと尻尾を揺らしていた。



「フラウレティアさんは知っていますか? ドルゴールと呼ばれている地には、失われたフルブレスカ魔法皇国の竜人族が生き残っていると言われているのです」

エイムは棚の整理を終えて、机周りに並ぶ、頻繁に使う薬剤の補充を始めた。

フラウレティアも近寄って手伝おうとしたが、エイムの話に意識が取られて、手元に集中出来なかった。

「……竜人族」

「ええ。言い伝えでは、竜人の身体には強大な魔力が宿っていて、血を飲めば怪我や病気が治り、肉を食べれば不老不死が手に入るらしいのです。そしてその血肉を求めて、我が国の女王陛下は、何度も兵士団や傭兵団を魔の森に送っているのです」


エイムは薬剤を補充した瓶の蓋を閉める。

擦れてキュッと鳴った音が、静かな室内に響いた。

「……先日、今度は中央の騎士団が編成されて、この砦を通って行きました。その時、またこの砦から薬師を一人出せと言われたんです。それに応じられるのは私だけでしたが、ディード様が断って下さって……」


エイムが連れて行かれたら、砦の薬師はグレーンのみになってしまう。

それでは何かあった時に、砦の兵士達の健康を守れず、防衛力低下に繋がると、ディードが突っぱねたのだ。


「二人いた薬師見習いも、自分達にも召集が掛かったらと怖くなったのか、辞めてしまいました」

エイムは大きな溜息をついた。

「おかげで毎日手一杯で、師匠(せんせい)をゆっくり休ませてあげることも出来なくて。私がもっと、しっかりしないといけないのですが……。フラウレティアさん?」

手が完全に止まってしまったフラウレティアに気付き、エイムが彼女の顔を覗き込んだ。

「……あ、すみません。手伝います」

最後の拭き上げ掃除の準備をしながら、フラウレティアは、そっと尋ねた。

「この国の女王様は、どうして竜人の血肉が欲しいんですか? 病気なら、聖女様を呼んだ方がきっと早いのに……」


この世界では、調子が悪い時は薬師が診る。

薬師の手に負えなかったり、裕福な者は、聖職者が使う神聖魔法に頼る。

それでも治らない病気や欠損は、最高位聖職者である、聖人や聖女の祈りで神の御力を呼ぶ、“神降ろし”と呼ばれる奇跡に頼るしかない。

高位の聖職者を呼ぶには高額掛かると聞くが、一国の女王ともなれば問題はないだろう。


しかし、エイムは力なく首を振った。

「……老化防止は、神聖魔法では一時しのぎにしかならないのだそうですよ」

フラウレティアは机を拭いていた手を止めて、ポカンとした顔をエイムに向けた。

「じゃあ、老化を止める為に、竜人の血肉を欲しがってるんですか?」

エイムは何とも苦い表情で、固く頷いた。


フルデルデ王国の女王は、今年50歳を越したところだ。

老いに向かっていく自身を受け入れられないのか、老いを止める方法を、強く求めているのだという。



「命の危機に晒されている訳でもなく、ただ若さを保ちたい為に?……そんな事の為に、魔の森であんなにたくさんの人が死んでいるの……」

「え?」


パシリ、とアッシュが尻尾を床に打ち付ける、高い音が響いた。


驚いたエイムが、反射的に椅子の下のアッシュを見た。

「うわっ」

途端に飛び上がったアッシュが、エイムの眼前スレスレを通って、フラウレティアの肩に止まると、その鼻先を彼女の桃色の頬に擦り付ける。

「……ありがとう、大丈夫だよ」

気遣うようなアッシュの仕草に、フラウレティアは力なく笑んだ。




手伝いを終えて、フラウレティアは挨拶をして医務室を出て行く。


さっき何かが引っ掛かったような気がして、フラウレティアが入口の掛け布を潜るまで、エイムはその後ろ姿を見ていた。

だが、それが何だったのか思い出せない。


それで、パシパシと頬を叩き、診察記録の整理に取り掛かったのだった。




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