仲間入り
厨房の片隅で、ガツガツと煮込み肉を食べているのはアッシュだ。
深皿に入れられたマーサお得意の煮込み肉を、あっという間に食べ終わると、赤灰色の長い舌でソースの一滴も残さずに舐めあげる。
そして皿を咥えると、横にしゃがんで頬杖をつき、ニコニコして見つめているフラウレティアに突き出した。
アッシュがいなくて不安で寂しくて堪らなかった反動か、アッシュが戻って来て落ち着いてから、フラウレティアはずっとニコニコしている。
「おかわりが欲しいの?」
聞けば、当然のようにアッシュはフラウレティアの手に皿を押し付ける。
フラウレティアが見上げると、アッシュの食べっぷりを呆れたように見ていたマーサが眉を上げた。
「アッシュ、それはフラウレティアじゃなくて、アタシに“ちょうだい”って皿を出すんだよ」
左手を太い腰にやり、右手を差し出すマーサに、アッシュは目を剥いた。
ただでさえ、さっき大勢の兵士の前で頭を下げさせられるという、竜人としてとんでもなく嘆かわしい醜態を晒した後だ。
それなのに、施しを求めて更に頭を下げろというのか。
アッシュは憤慨して、フラウレティアの顔を見た。
しかし、フラウレティアは満面の笑みで言う。
「アッシュ、この煮込みね、マーサさんが作ったの。すごく、すっごく美味しいよね!」
アッシュは驚いて深紅の目を大きく開いたまま、マーサをしげしげと眺めた。
そして、咥えていた皿をマーサに突き出して、フンフンと鼻を鳴らした。
あははと大きく笑って、マーサは受け取った皿に、再びたっぷりと煮込み肉を入れる。
「はい、どうぞ。翼竜も気に入る絶品煮込みだって、今日からの宣伝文句にさせてもらうよ」
おかわりの肉に勢いよく齧り付き、満足気にフラウレティアと笑い合っているマーサをチラリと見上げたアッシュは、こんなにも美味い料理を作れるのだ、この女は絶対に只者ではない。
きっと人間の中でも物凄い能力を持つ特別な者なのだ、と思った。
……ふたり揃って、似たような思考である。
「それで、フラウレティアは暫くこの砦にいることになったのかい?」
アッシュが食べ終わった皿を洗うフラウレティアを横目で見て、マーサが尋ねた。
「はい。知り合いもいない状態では、翼竜を連れて砦から出すわけにはいかないそうです」
演習場でディードに会って、話をした。
砦を出て、人間の領土だというアンバーク領内を見てみたかったのだが、アッシュを連れていてはそうもいかないようだ。
「フルデルデ王国の領土に入れないなら、ゴルタナ国側に出してもらおうかと思ったんですけど、それこそ魔の森の方に出せないって叱られました」
そりゃそうだろう、と周りにいる厨房の人達が顔を引きつらせる。
迎えの大人が来る宛もなく、フラウレティアとアッシュだけでは、おいそれと砦の外へ出せない。
そこで、暫くこの砦で人間の生活を学んだらどうかと、ディードに提案されたのだった。
町村の生活とは違うが、人間がどのような生活をしているのかは観察できるし、事情を知っている人達が側にいれば色々と学べるはずだ。
「お世話になるだけは心苦しいって言ったら、医務室の手が足りないから、グレーン薬師の助手をして欲しいって」
フラウレティアが皿を拭き終わって、食器カゴに仕舞う。
それを待っていたアッシュが、飛び上がって彼女の肩に止まった。
「そうかい。じゃあ、これからはアタシ達の料理を食べて暮らす仲間だね。ようこそ、アンバーク砦へ!」
マーサが太い腕をしならせて、バシリとフラウレティアの背中を叩いた。
振動で、一瞬アッシュが肩から浮く。
フラウレティアは思わず銅色の目を剥いたが、声は出さずに耐えた。
「ようこそ」
「よろしくな」
あははと笑いながら、厨房の皆が声を掛けてくれたので、ヒリヒリする背中を擦りながらも、フラウレティアは嬉しそうに笑顔を返した。
午後になり、フラウレティアは言われてあった通り医務室へ向かう。
白い石造りの二階建て建物は、既に今朝、屋上へ逃げ込んだアッシュを捕まえる為に一度入った。
それを思い出してか、入り口に垂らされた薄手の白い布を潜る時には、アッシュが不機嫌そうに一度鼻を鳴らした。
「嬢ちゃん! 良いところに来た。こっちを手伝ってくれんかの」
中に入った途端にグレーンに手招きされて、フラウレティアは急いで近くに寄った。
グレーンの前には、兵士が二人座っていた。
打ち身で赤く腫れた肌を見せていたが、フラウレティアの肩に乗るアッシュを見て、ビクリとする。
既に、今朝の騒動でアッシュの姿は周知されたが、近くに寄って平気な存在になるには、まだ時間がかかるようだ。
グレーンは、手に持っていた軟膏とヘラを側に来たフラウレティアに渡すと、まばらな髭をモサモサと動かしながら、アッシュに向かって言う。
「おぬし、あの上の箱を取ってくれ」
指差したのは、棚の上に並ぶ木箱の一つだ。
どうやら、軟膏を塗る為の布が入っているらしい。
指示されたアッシュは、深紅の瞳を大きく見開いて固まった。
この砦に来て、アッシュに指示を出したのはディードに続いて二人目だ。
しかし、ディードの時は、気を失っていたフラウレティアを助ける為に仕方なく従ったのであって、人間の指示に大人しく従う理由はない。
因みにマーサにおかわりを貰ったのは、彼女が作った料理を貰うために誠意を見せたのであって、指示に従ったのではない。
それでアッシュは、顔を背けて知らんぷりを決め込むことにした。
「アッシュ、早く」
それなのに、フラウレティアはさっさと軟膏の入った瓶を開け、ヘラですくって、アッシュが布を取るのを待っていた。
放っておいたら、ヘラからフラウレティアの手に軟膏が垂れそうだ。
アッシュは慌てて飛び上がり、昨日の様に木箱を咥えて下りた。
グレーンはまばらな眉を上げて笑う。
「ほっ! こりゃ良いわ。嬢ちゃんと組んで、おぬしも手伝ってくれ」
はああっ!? と言うつもりでアッシュは鼻を強く鳴らしたが、グレーンは素知らぬ顔で兵士の治療を始め、フラウレティアはアッシュにどんどん手伝いの指示を出した。
そうして気がつけば、アッシュは椅子の下で丸まる間もなく、夕の鐘までずっと手伝いをさせられていたのであった。
「戻りました。……ああ、フラウレティアさんがいてくれて、久しぶりに戻った途端に怒られずに済みました」
白い布を潜って入って来た薬師のエイムが、ホッとしたように笑った。
どうやら回診から戻る度、昨日のようにグレーンに怒られていたようだ。
「嬢ちゃんは助手として優秀じゃの。おぬしもよう働いたわい」
グレーンは、椅子の下で丸まっているアッシュに声を掛けた。
しかし、アッシュは不機嫌そうに、さっきから尻尾でパシパシと床を叩いていた。
薬瓶を棚に戻していたフラウレティアは、クスクスと笑う。
褒められた事も嬉しかったが、アッシュを自分と同じ様に扱ってくれたことが、何より嬉しい。
「おかげで今日は、いつもより楽じゃった。この砦は老人を働かせ過ぎなのじゃ」
グレーンが首を回すと、コキコキと軽い音がした。
「嬢ちゃん、明日も頼めるかの?」
「はい」
フラウレティアが笑って答えると、グレーンは目を細めて頷いたが、突然、まばらな眉を寄せて胸を押さえた。