厨房の手伝い
フラウレティアは、食堂の奥の厨房で食事を終えた。
マーサの得意料理だという、煮込み料理の仕込みを手伝うことになって、料理はしたことがあるかと聞かれたので頷いた。
ドルゴールでの普段の食事は、大体フラウレティアが作っていた。
時々アッシュや、アッシュの母ミラニッサが作ってくれるが、自分が作る方が美味しいと思っている。
竜人族が作る料理は、塩気が足りない。
言い換えれば、とても淡白な味付けなのだ。
幼い頃に師匠が作った料理を食べて、その味付けの違いに驚いた。
「それなら自分で作れば」と言われて料理を始めたのだった。
「こりゃあ、驚いた。手際がいいねぇ」
フラウレティアが塊の肉を切り捌いていく様子を見て、作業台の隣に並んだマーサが驚きの声を上げた。
フラウレティアは人の頭程の大きさの塊肉を、ナイフ一本でスイスイと捌いていく。
包丁はどれを使うかと何本も見せられたが、一番小さなナイフを選んだ。
狩猟の後に血抜きを行うところから、皮を剥ぎ、内蔵を取り除いて捌き、料理するところまで、大体いつもこの位のサイズのナイフで行っているからだ。
「いつも獲物を捌くので、肉を切るのは慣れてます」
あっという間に切り終えた肉を大きな鍋の中に入れ、次の塊に手を出す。
フラウレティアの言葉を聞き、マーサは不思議そうに首を傾げた。
「獲物って……、ああ、アッシュが獲って来るのかい」
「魔獣はたまにアッシュが狩りますけど、普通は私が一人で狩りをします」
「一人で? フラウレティアは魔獣使いなんだろう?」
厨房の皆の視線が集まる。
そういえば、ディードはフラウレティアの事を、魔獣使いだと皆に話したのだったと思い出した。
「えっと、魔獣使いと言っても、従魔はアッシュだけだし、翼竜が一緒にいると大概の動物は逃げてしまうので、私が一人で狩るんです」
確かに、翼竜が側にいれば動物は一目散に逃げるだろう。
食用に獲物を狩りたいなら、フラウレティアが一人で狩ることになる。
「……アッシュ、本当に帰ってくるのかな」
肉を全て切り終えて、ふと不安になったフラウレティアはポツリと呟いた。
横目に見て、マーサが笑う。
「帰ってくるよ。っていうかさ、そういえば従魔ってもんは、勝手にどっか行って帰ってこないなんて出来ないんじゃないのかい?」
フラウレティアは言葉に詰まった。
本当は魔獣使いではないし、アッシュは従魔なんかじゃないとは、今更言えない。
「こんな所にいた」
突然、厨房の入り口で男の声がして、振り返る。
乾いた藁のような短髪の、ヒョロリと背の高い青年が立っていた。
確か、昨日ディード団長と一緒にいた人だ。
「エナ、どうした」
料理人が話し掛けるのを軽くあしらって、エナと呼ばれた男は大股でフラウレティアの側に来た。
「ディード様に、連れて来るように言われたのに、部屋にいないから探した。……翼竜は?」
エナはぶっきらぼうに言って、細い目を更に細めた。
「えっと、……ちょっと出てます」
何処に行ったとも言えず、更にアッシュが好き勝手に動いているとも思われたくなくて、フラウレティアは曖昧に答えた。
エナは訝しむように彼女を見たが、尖った顎で入り口を指す。
「一緒に付いて来て」
言ってしまったら踵を返し、さっさと扉から出て行く。
目を瞬くフラウレティアの肩を、マーサがトンと押した。
「ディード様がお呼びなら、行かなきゃね。アタシは大体いつもここにいるから、また時間がある時においで」
「はい」
お礼をひとつ言って、フラウレティアは急いでエナを追った。
エナは黙って、大股でどんどん歩いて行く。
フラウレティアも黙って小走りに付いて行った。
階段を上がる時、エナは一度だけ愛想の無い顔でチラリと後ろを見た。
付いて来ているか、確認したのだろうか。
そういえば、昨日廊下で会った時も、ディードに付いて行く前に、チラリと何か言いた気にこちらを見ていた。
……チラチラ見られると気になる。
何なのか聞いてみようかと思ったところで、外からワッと声が上がった。
怒声のような緊迫した声と、バタバタと多くの人が動く気配、武器を持ち出すような金属音。
それと共に聞こえたのは、バサリと風を孕む、馴染みのある翼を羽ばたく音。
「アッシュ!」
フラウレティアは、近くにあった階段の小窓から急いで外を覗く。
その小さな窓からは演習場の全ては見えなかったが、兵士達が武器を持って走って行くのが見えた。
再びバサリと羽ばたく音と共に、兵士の怒声が響いた。
フラウレティアの脳裏に、昨日の兵士達の殺気を含んだ視線が甦った。
すぐにアッシュの下に行かなくちゃ!
フラウレティアは、素早く階段を駆け上がる。
「お、おい!」
エナの横を駆け抜け、階段の踊り場に辿り着くと、開け放たれた大きな窓に向けて躊躇いなくサッと足を上げた。
フラウレティアが窓枠に足を掛けたのを見て、エナはぎょっとして目を見開いた。
「待て! ここは三階だっ」
慌てて伸ばしたエナの手が届くより早く、フラウレティアは軽々と身体を持ち上げて、窓枠をひらりと飛び越した。
「待っ……!」
最大限に伸ばした腕。
しかしその手には、無情にも彼女の服の裾がかすっただけだった。
エナが力一杯握り締めた手には何も掴めず、窓の外に服の裾と銅色の髪の残像を残し、フラウレティアは階下に消えた。