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精霊の視界

夜になり、一人になったフラウレティアは、ベッドに腰掛けたまま、開け放った窓からぼんやりと空を見ていた。


明日はとうとう、王宮に出向く日だ。

早めに休むよう言われ、就寝の準備はして一人になったが、少しも眠れそうになかった。



今日、突然ここを訪れたウルヤナ王子への態度のことは、ディードに笑って許された。

後から考えれば、王族に対して決して良い態度ではなく、不敬だと責められればディードに迷惑をかけることになったはずだ。

しかし、ディードは少しも責めないで、「大丈夫だ」と言ってくれた。


フラウレティアは暗い夜空を見上げ、小さく息を吐いた。

王族(王子)には口答えなどせず、「仰る通りですね」とでも言って微笑んでおくべきだったのかもしれない。

けれども、あの場ではそれが出来なかった。



人間社会について知りたいと願っていたが、知れば知る程ついていけないと思ったのは、身分制度だ。

フラウレティアがついていけなくても、実際人間にはそういった制度があり、根付いている。

それについて文句を言っても仕方がないのに、どうしても今は腹立たしかった。

アッシュの身体を奪った魔術士を追い掛けたいのに、それがなかなか叶わないのも、結局は身分が大きく関わっている。

魔術士がいるはずの王宮には、誰もが簡単に近付けないからだ。

だから余計に王子の言動に対して気持ちが波打ち、あの対応になってしまった。


だが、今になって不安が湧く。

もしも今日のことで王子の不興を買い、正妃選びの話が立ち消えになったら、どうしたら良いだろう。


フラウレティアは唇を噛んだ。


王宮へ行けば、必ずしも魔術士に会えるというわけではないと、分かっている。

しかし、王宮へ行くことがアッシュに一歩近付くことだと信じて、それに縋るような思いであったフラウレティアは、ここにきて不安がどんどん膨らんでいくのだ。



苦しくて両手を腿の上で強く握る。

明日がとても遠く感じた。

アッシュが、堪らなく遠い……。



さらに強く唇を噛んだフラウレティアの目の前を、仄明るい光のようなものが通った。

「精霊……」

フラウレティアは瞬いた。

精霊の光は、ふわふわと揺れながら窓の外へ消える。


精霊は世界中に何処にでもいる。

今のは別に、フラウレティアに何かを訴えかけたものでもない。

だが、フラウレティアはその淡い光を見て、ここに来る前、アンバーク領主館で試みていたことを思い出した。

精霊と浅く共鳴出来るのか、試していたことを。


この数日の“慣らし”のおかげで、魔力制御は安定して出来るようになっている。

今なら上手く、精霊達と浅い“共鳴”ができるかもしれない。



フラウレティアはゴクリと喉を鳴らした。


試すなら、今だ。

精霊達に強く働きかけるのではない。

普段通りの精霊達と、同じように繋がり、彼等の感覚を共有させてもらうのだ。

視界を共有し、本当に王宮に魔術士がいるのか、アッシュの身体は無事であるのか確かめる。


ただ、確かめるだけだ。

知りたい、無事であるのか。

どうしても……。


アッシュを取り戻した時の為にも、決して無理をしないと、ディードと約束したこともちゃんと覚えている。

だから、無理だと感じたら必ず()()のだと自分に言い聞かせ、フラウレティアは身体の力を抜き、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。


精霊は、世界を支える魔力。

言わばこの世界そのもの。


フラウレティアは、ベッドの上の自分の身体を溶かし、周囲の空気と同化するようにイメージして、徐々に、ゆっくりと意識を広げていく。


緩く動く空気に風を感じ、湿り気に水を感じる。

我が身を支える足裏に大地に続く豊かさを感じ、そこに秘められた火の熱を感じる。

精霊達の息吹とも言える、微かな、しかし力強い、世界の脈。

自分の脈動と少しずつ重なり合うような感覚に、フラウレティアは、確かに自分もこの世界の一部なのだと思った。



いや、自分だけではない。

この世界に生きるもの全てが、一部であり、繋がっている―――。



そう感じた時、フラウレティアの視界がブワと広がった。


広がったと言っても、広角に範囲が広がったのではない。

様々な場所の風景が同時に映し出され、絶え間なく移動していく。

精霊の視界を共有したのだ。


しかし、精霊と人間の“視る”は違い過ぎた。


フラウレティアは目眩がして、自分の感覚を取り戻しそうになった。

途端に酔ったような気分の悪さを自覚し、身体を強く意識しそうになる。

しかしその瞬間、ぼやけて消えてしまいそうな多くの風景の中に王宮と思わしき建物を見つけ、必死にそれに縋り付いた。


まだ、戻ってはダメ。

あそこに、竜人の姿を見つけるの!


精霊の中に溶け込んでいたフラウレティアの意識の欠片が、そう叫んだ。

精霊達は一瞬引き摺られたのか、王宮の風景がぐにゃりと歪んだ。

王宮の内外、多くの風景が、強風に飛ばされるようにフラウレティアの視界をすり抜けていく。


曲線美の建物群。

きらびやかな調度品。

まだ起きて動いている多くの人々。

灯る明かり、手入れされた庭園の花々、整備された水路。


続く渡廊下の奥に、大きな、魔力の塊……!




『呼吸をしろ、フラウレティア』



ぐんと何かに引かれ、瞬時にしてフラウレティアは自分の身体に感覚を戻した。

途端に息苦しさが襲ってきて、喘ぐように空気を吸い込む。

急すぎて、強く咳き込んだ。

頭が内から叩かれているように痛く、身体中が脈打つように震える。

どっと重みを増したように感じる身体は、太く力強い腕が支えていた。


「…………ハド、シュ」

ベッドに腰掛けたまま、上体を倒すように脱力したフラウレティアを、ハドシュが片腕で抱えるようにして支えていた。

「呼吸を繰り返せ。話はそれからだ」

ハドシュは腕を動かさないまま、感情の籠もらない声で言った。


フラウレティアは、限界まで息を止めていたのだと気付き、弱く頷いて大人しく言われたとおりにした。




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