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蠢く者達 1

「オルドジス卿」

イルマニ王女が名を呼んだ老齢の男は、好々爺の雰囲気で微笑むと、右手の平を胸に置いて慇懃に立礼した。


彼はフルデルデ王国貴族院の一人で、大貴族院と呼ばれる貴族院代表格の四人の中で、最長在籍を誇る。

宰相を置かないフルデルデ王国に於いては、政治的な役職で、女王の治世を支えるのに重要な役割を担う一人だった。



「御二人にこのような所でお会いできるとは。もしやお忍びで何処かへお出かけでしたかな?」

二人が通用路の方から来たのを見ていたのか、オルドジスは白い毛の混じる太い眉を上げ、やや小声になって言った。

「そうではありません。それよりも、オルドジス卿は、今日はどうして?」

兄ウルヤナの外出を隠すためか、イルマニはすぐさま問い返した。


貴族院がいつも会議を行うのは、王宮の中でも正面にあたる、東側の建物群だ。

ここは中央宮で、大小の謁見の間はあるが、普段貴族院が謁見の間で女王と顔を合わせるのは、光水火土風の五曜の内、水と土の日のはず。

今日は風の日だった。


オルドジスはイルマニの意図を察してか、それ以上深くは追求しなかった。

笑顔をやや困ったように曇らせ、一度頷く。

「女王陛下のご機嫌伺いに参ったのです。昨日は、王配殿下が急な発熱とのことで、陛下は姿をお見せになりませんでしたので……」


体調の不安定な王配の様子に影響され、アクサナ女王もまた、言動を不安定にしがちだ。

昨日は謁見直前に取り止めになった。


イルマニが美麗な眉をひそめる。

「母上様は、また…」

「イルマニ」

女王の行動に不満を漏らしそうになった妹の言葉を、ウルヤナは窘めるように遮った。

公ではなくても後継と認められている王女が、現女王への不満を人前で漏らすのは良いことではない。


「……貴族院の皆には、余計な負担を強いているな」

ウルヤナが控えめに発言すれば、オルドジスは柔らかく首を振った。

「勿体ないお言葉です、王子殿下。我等の務めはくあるものでございますれば」


女王が役割を果たせないのならば、本来なら成人王族が補完するべきところだ。

その筆頭は王配で、それが無理な現状はウルヤナがその立場だが、もちろんそんなことは許されていない。

ここでももどかしい気持ちが湧いて、しかし強く口には出来ず、ウルヤナはただ、情けなさとオルドジス達貴族院の者達への感謝を込めて一度目を伏せた。


それすらも、普段のウルヤナであれば表には出さない。

しかし、他の者に比べてオルドジスには親しみがあり、そのように出すことが出来る。

なぜならば、オルドジスは父トルスティの叔父であり、ウルヤナとイルマニにとっては大叔父にあたる人物だからだ。

二人が幼い頃より王宮に出入りしていたオルドジスは、何かと二人を気に掛けてくれていたものだった。



オルドジスは鼻の下にフサフサと揃う口髭を親指で撫でる。

「せめて王配殿下がご回復なされば、あるいは女王陛下も、昔のような明るい……」

言いかけて、イルマニの表情が曇ったことに気付き、軽く咳払いして言葉を切った。

イルマニは明るく快活だった頃の女王を知らない。

そのような頃を懐かしむように言われても、女王が変わったのがイルマニ(自分)のせいだと言われているようで居心地が悪いばかりなのだろう。


それで、オルドジスは気遣うように話題を変えた。

「そういえば、明日はとうとう妃候補との顔合わせですね。良い縁に恵まれることを願っております」

「ああ、感謝する」

ウルヤナの婚姻話も、過去何度もオルドジスを通して貴族院に議題が上がっていたはずだった。

ウルヤナは素直に感謝を述べ、イルマニもようやく笑顔を見せて、オルドジスと別れたのだった。




立礼したまま、階段を上がっていく王子と王女の一行を見送ったオルドジスは、密かな足音と共に側に寄る従僕を横目に見た。

「やはり、ウルヤナ王子がお忍びで出ておられたようです」

「行き先は」

「アンバーク邸だと。どうやら、娘はアンバーク公と共に明日の召喚に応じるようです」

「……辞退はしない、ということか」


は、とオルドジスがひとつ息を吐いた。


「なるほど、王子がアンバーク公の一人娘を気に入ったらしいというのは、本当のようだな」

従僕が頷き、一歩下がる。

誰もいなくなった階段上を見上げるオルドジスの顔に、笑みはない。


「アンバーク……。内政に干渉せぬという姿勢を貫いておれば良いものを、王配に続いて、王子妃の座も狙うか」

忌々しいと言うように、低く言ったオルドジスは、謁見の間や応接室へと続く中央の大廊下へ向かわず、魔術士館がある西側へ歩き出す。

「魔術士ザムリは」

「魔術師長が会いに行っているはずです」

後を付いて歩く従僕が答えれば、オルドジスは鋭く舌打ちした。

「使えぬやつめ」





まだ何かと話を聞きたがったイルマニを躱し、ようやく自分の居室まで戻って来たウルヤナは、侍従に上掛けを脱がせてもらって、ようやく深く息を吐いた。

お茶の用意を侍従に頼み、彼が部屋を出て一人になったところで、窓際で壁に凭れる。


窓から見える空は雲ひとつなく、明るく鮮やかな青だ。


それがふと、目の前で翻った空色のスカートを思い出させて、ギュッと眉根を寄せる。

腹立たしさを隠そうともせず、許可も得ずに踵を返して部屋を出て行った少女。


フラウレティアだ。



「はあ……、私は一体何がしたかったのだ」

フラウレティアを不敬だと怒る気にもなれず、むしろ己の言動を振り返って気恥ずかしさが募り、ウルヤナは再び溜め息をついて前髪を掻き乱したのだった。 




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