訪いの波紋
王都の中心地にある魔術士ギルドでの用事を終え、屋敷に戻って来たディードは、執事からウルヤナ王子が突然訪問したと聞いて驚いた。
そして、フラウレティアとの面会の顛末も聞き、苦笑いした。
「しかし、なぜ突然ウルヤナ王子が?」
ディードは、ウルヤナとほぼ面識はない。
避暑園遊会で初めて言葉を交わしたくらいで、直接詫び言を伝えられる程、近しい関係は持っていないはずだ。
それが突然、こうして接点を持とうとするのはどうしてか。
「アンバーク領の現状を配慮しない女王陛下のやり方に、思うところがあったみたいですが……」
答えたのは、執事と共にディードを迎えたレンベーレだ。
彼女が歯切れ悪く言葉を切るのを見て、ディードが脱いだ上着を整えていた従僕と共に、執事を退室させる。
扉が閉まるのを確認してから、ディードは首元を緩めながら表情を曇らせた。
「レンベーレ、もしや、ウルヤナ王子もあの魔術士の思惑に絡んでいるのだろうか?」
「あ〜、それも確かに考えたんですが、その線は薄そうで」
「薄い?」
「あの王子には、魔法の影響を受けた痕跡がなかった」
突然窓際から低い声がして、ディードは咄嗟に身構えて振り返る。
特徴のない男が静かに立っているのを見て、ひとつ溜め息をついて力を抜く。
隠匿の魔法を使っていると分かっていても、その気配を完全に消されていては心臓に悪い。
「王子を見たのか?」
「使い魔を通してだがな」
ハドシュが腕を組む。
「あの者が最近魔法に触れたとは考え難い。……勿論、魔法は関係なく、自ら竜人の思惑に乗って動いているのなら話は別だが」
ディードは表情をより固くした。
竜人としての姿を隠し、アクサナ女王に取り入っているはずの魔術士。
その魔術士が、女王だけでなく、他の王族や王宮に出入りする家臣達に関わりを持ち、その思惑に沿うよう影で操っているのだとすれば、想像していたよりもずっと、フルデルデ王国の深層に根を張っている可能性がある。
そして、ウルヤナ王子が女王からどんな扱いを受けているか、皆が知るところだ。
その王子と繋がっているのだとすれば、魔術士の行為は女王にとって裏切りにも似たものではないのか。
「王子が魔術士と繋がっているとしたら、一体なんの利があって?」
口に出してみても、全く想像がつかない。
考えられる要素は、深読みすればいくらでもありそうだが、なにせウルヤナ王子とは今まで接点がなかった上に、公での存在感がとても薄かったのだから、どれもあり得そうでもあり、あり得なさそうでもある。
「ん〜、いや、もしかしたら、そういうことでもないのかもしれませんよ?」
「なんだ、さっきから。歯切れが悪いぞ」
ディードが怪訝そうにレンベーレを見ると、レンベーレは赤い唇を微妙に歪めて、爪で顎を掻いた。
「ディード様、これは女の勘ですが」
「女の勘?」
「ええ。だから確証はありませんけど」
「だから、なんだ?」
レンベーレは曖昧に笑う。
「ウルヤナ王子は、単にフラウレティアに会いたかったのでは?」
ディードは一瞬固まったが、園遊会でのウルヤナ王子の様子をよくよく思い出し、深く息を吐いて額に手を当てた。
昼の鐘が鳴るまでに余裕を持ち、フルデルデ王宮に戻って来たウルヤナは、正面の馬車寄せに馬車を止めさせず、奥で降りて通用扉から王宮に入った。
使用人達が使う狭い通路を通れば、お忍びで出掛けたことを察してか、特にすれ違う人々から声を掛けられることもない。
いや、ここを通るのはほとんどが使用人なのだから、王族であるウルヤナに軽く声を掛けられる者はいない。
そう思ったが。
広間に通じる手前まで進んだ時、先を塞ぐように立っている者がいて、ウルヤナは密かに溜め息をついた。
「兄上様、一人でこっそりとどこへ行ってらしたの?」
立っていたのは妹王女のイルマニだ。
フルデルデ王国貴族女性特有の、胴を絞らずゆったりとした形のドレスを着ているのに、腰を掴むように両手を当てているので、肩から腰に掛けて斜めに渡された美しい薄布がシワだらけになっている。
そして、可愛らしい顔も今は不満そうに歪められていた。
「少し街へ降りていただけだ。声を掛けなかったのは悪かったが、ちゃんと土産は買ってきた」
ウルヤナは膨れる妹を宥めるように微笑むと、後ろの侍従が持っているいくつかの箱を目で示した。
しかしイルマニはそんな物には興味がないようで、巻かれた長い髪を大きく揺らして、横をすり抜けようとした兄を遮った。
「目的はそれだけですか?」
「そうだが」
平然と答えた背の高い兄を、下から覗き込む。
「アンバーク邸に行ったのでしょ?」
「なぜ私が」
「フラウレティアに、会いに行ったのでは?」
いつもの微笑を張り付けていたウルヤナの頬が、わずかに動いたのを目敏く見付け、イルマニはようやく不満気な雰囲気を収める。
「やっぱり」
ウルヤナが何も言わずに通路を先に進むので、イルマニは軽い足取りでついて行く。
「ふふっ。まさか王配殿下が兄上の正妃候補にフラウレティアを選んでくれるなんて。思いも寄らないことだったけれど、悪くはありませんね」
“悪くはない”と言いながらも上機嫌に見える様子で、イルマニは緑翠の瞳を細める。
園遊会での晩餐の後、なぜかひどく心乱されて、母である女王への気持ちを吐露したイルマニだったが、翌日になればほぼ落ち着き、それからは普段と変わらない様子になっていた。
しかし、口に出した言葉は父トルスティとウルヤナの胸に刻まれた。
それから一度も口にしていなくても、変わらず普段通りに生活していても、白い布に落とした一滴の透明な油のように、見えないけれども、じわりじわりと広がり続けているように思えた。
通路を出て大広間に入ると、イルマニは後ろから隣に移動する。
「兄上様は、フラウレティアを選ばれるおつもりなのでしょ?」
「まだ顔合わせすらしていないのだぞ。そもそも、私に選ばせてもらえるのかどうか」
女王に存在を無視されている王子だ。
そんな選択権を与えてもらえるのか、怪しいところだ。
大広間を横切り、上に上がる階段に向かう。
イルマニもそのまま並んで歩いた。
「勝手に決めるつもりなら、候補を三人も作るかしら?」
「さあ」
興味がなさそうに歩くウルヤナを、イルマニは一度横目で睨めた。
「いいわ。兄上様が選ばなければ、フラウレティアは私が侍女として貰いますから」
階段下まで来ていたウルヤナは、思わず足を止めてイルマニを見下ろす。
口を開きかけたその時、低く柔らかな声が二人の間に割り込んだ。
「これはイルマニ王女殿下、ウルヤナ王子殿下」
声の主は、ゆうに六十を越していそうな男だった。
彼がゆったりと垂らした上質な濃紺の肩布には、胸元に貴族院の証である記章が付いていた。




