突然の訪い
早朝ではないとはいえ、まだ午前の二の鐘が鳴る前だ。
貴族の訪いは午前の二の鐘以降が常識の世の中にあって、更に王族がお忍びでとは、長年中央の屋敷で執事を務めている男であっても、全く初めてのことだった。
王族は、この屋敷の主であるディードに会いに来たらしいのだが、間の悪いことに、ディードはアンバーク旧領主館での一件に関わることで連絡を取る為、魔術士ギルドへ出掛けたところだった。
その旨を説明すると、王族はフラウレティアと会えるかと尋ねたのだという。
説明を聞いて、レンベーレが眉根を寄せた。
「女王陛下の召喚に応じたとはいえ、フラウレティアはまだ未成人よ? 一体誰がそんな無配慮な要求を?」
「ウルヤナ王子殿下でございます」
「ウルヤナ王子?」
レンベーレがフラウレティアを見た。
フラウレティアも驚きの表情だ。
「要求という程強いものではなく、あくまでも『ここに居るのなら会うことは出来るか』とお尋ねになっただけなのですが、私では何とも返答し難く……」
執事が額の汗を拭う。
前触れなしに王族が訪問というだけで大事だというのに、主不在の中、勝手に断ってそのまま帰して良いのか、しかし主が帰るまで待たせるのもどうなのか迷うところなのだろう。
かと言って、未成人のフラウレティアを一人で対面させても良いものなのか。
執事の迷いを読み取ってか、ウルヤナは『フラウレティア嬢が断るなら無理にとは言わない』と付け足した。
暗に、本人に聞いてこいということだろう。
それで、執事は躊躇いつつもここへ来たというわけだ。
「ディード様も私も、明日王宮に行くことになっているのに、どうして今日会いに来たりするんでしょうか」
フラウレティアが不思議そうに言えば、レンベーレは面倒臭そうに首を振る。
「さあ、どうしてかしら。第一、王族がお忍びでアンバーク領の者を訪うなんて、今までなかったことよ。早く会わなきゃならない何かがあったってこと……」
そこまで言って、レンベーレが言葉を切る。
そして、改めてフラウレティアを見下ろした。
アズワン湖での園遊会で、フラウレティアは確か、王族の兄妹からいたく気に入られたのだと聞いている。
……まさか、それでフラウレティアに会いに来たんだったりして?
「会ってみれば良い」
低い声がした。
女性二人から答えを待っていた執事は、驚いて声の聞こえた方を見る。
今まで全く気配を感じなかったのに、壁際に目立たない男が立っていた。
「どうして?」
レンベーレが怪訝そうに顔を向ければ、男は微動だにせず答えた。
「王子にも影響を及ぼしているのか、確認出来るかもしれぬ」
「そっちの可能性も有りか……」
レンベーレがボソリと言って、赤い唇を歪めた。
王宮にいるはずの竜人は、アッシュの身体を手に入れてから表立った動きを見せていないのだ。
もしも水面下で、何かしらの目的の為に動いているのだとしたら、既に王族を中心とする王宮の人々に影響が出ているのかもしれない。
ウルヤナ王子自身の意思でなく、竜人の思惑があって動かされているのだとすれば、会えば何かを感じることが出来るかもしれない。
結局、レンベーレから指示を受ける形になって、執事は壁際の男の印象もよく分からなくなったまま部屋を出た。
軽く首を捻ったが、王子を待たせていることを思い出し、早足で歩き去った。
王子に面会する為に、手早く身支度を整えたフラウレティアは、応接室の少し前で廊下を歩く足を止めた。
「フラウレティア?」
後ろを歩くレンベーレも又、隣まで来て止まる。
保護者であるディードが不在の為、レンベーレが後見人の立場で付くのだ。
フラウレティアが未成人ということだけでなく、王子と彼女は、未婚の男女だ。
王子がお忍びで来たと言われても、この場合周りには目が必要だ。
「……魔術士のことを尋ねてはいけないですよね?」
床に視線を落として呟くフラウレティアの肩を、レンベーレは横から軽く抱く。
「そうね。気持ちは分かるけど、せめて王宮の様子を知るまでは、ね」
フラウレティアにしてみれば、魔術士の情報はどんなものでも欲しいに違いない。
しかし、状況が漠然としたままで焦って動いても、ろくなことにはならないだろう。
フラウレティアは一度唇を引き結んだが、一呼吸置いて顔を上げると、レンベーレに頷いて王子の待つ応接室へと入った。
ソファーに腰掛けていたウルヤナ王子は、部屋に入ってきたフラウレティアを見て一瞬驚いたような顔をしたが、その後表情を固くした。
ウルヤナは、肩までの淡茶色を一括りにし、上質ではあるが地味にも思える苔色の長衣を着ていた。
知らずに見れば、纏う雰囲気で身分ある者とは想像がつきそうだが、王族とは思わないのではないだろうか。
そんなことを考えながら、形式通りの挨拶をして顔を上げたフラウレティアに、ウルヤナはなぜか不満気に口を開いた。
「まさか、本当に正妃候補として王都に来ているとは」
「え?」
「アンバーク領は大事があったばかりだと聞く。そんな時に召喚命令を受け、さぞや大変なことだろうと思って来てみれば……」
ウルヤナの知らないところで事が進み、フラウレティアに召喚命令が出されていた。
園遊会の印象の限りでは、おそらくフラウレティアは召喚に応じないだろうと思ったが、断りを入れる為にもディードは王宮に参じなければならなくなる。
自領の大変な時に、王族の勝手で呼び出される領主。
心身の疲労や中央への不満は如何程のものだろう。
その原因を作ったのが、己の正妃選びだというのだから情けないではないか。
ウルヤナはせめてディードに一言、詫び言を述べたかった。
だが、今回は女王が召喚命令を出しており、王宮で対面すれば、ウルヤナにはそんな気持ちを表す場は与えられないだろう。
だから事前にお忍びでここまで来た。
それなのに、ディードは不在の上、てっきり拒否したと思っていたフラウレティアがここに来ていると聞いて驚いた。
「あれほど素気無くイルマニの誘いを断っておきながら、なぜ今になって召喚に応じるのだ」
ウルヤナの声に棘が混じる。
いっそ潔いとまで思った彼女だったのに、今ここにいることが裏切られたように思えて、なぜか苛立った。
「やはり王族に連なる地位は魅力的か」
フラウレティアは、呆れたように口を開けてしまった。
何なんだろう、この言い分は。
「……自分達が勝手に決めて呼び出しておいて、応じたら応じたで文句を言いに来るなんて。意味が分からないわ」
お嬢様らしくしようと思っていたが、一方的なウルヤナの言葉に黙って微笑んでは居られなかった。
後ろに控えていたレンベーレがわずかに顔を強張らせたことに気付かず、フラウレティアはもう一言放つ。
「私の気持ちも知らないで。気に入らないなら、妃に選ばなければ良いだけでしょう!」
今度はウルヤナが呆気に取られてパカリと口を開いたが、フラウレティアはフンと鼻息ひとつの後、素早く立礼をすると、許可も得ずにさっさと退室した。
あまりのことに、ウルヤナだけでなく後ろに控えていた侍従さえも動けずに止まったままだった。




