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眠れない夜に 2

フラウレティアは、引き寄せられて反射的に手を当てたディードの胸で、指を震わせた。


「……駄目です。だって、私」

「泣いてしまいそうだから?」

ディードの問い掛けに、思わずぐっと手を握る。

「泣かないって、誓ったんです」

「ああ、知っている。だが、何のために?」


フラウレティアは握る拳に一層力を込めた。


ギルティンの話を聞いて誓ったあの日、ディードは側にいた。

全て聞いていたはずだ。

いつも寄り添ってくれるディードなら、フラウレティアの気持ちを理解してくれているものだと思っていたのに、そうではなかったのだろうか。



身体を離そうと思い、握る拳でディードの胸を押す。

彼は簡単に腕を緩めてくれたが、見上げたディードの瞳を見て、フラウレティアは動きを止めた。

深い海色の瞳は、どこまでも優しい色だった。


「立ち止まらない為に泣かないと誓ったのなら、それは覚悟だ。泣くことで力を削がれて動けなくなるなら、泣いてはいけないかもしれない。だが、眠れない夜に会いたい人の名を呼ぶことを我慢して、一体どんな力になるだろう」

ディードはフラウレティアの後頭にまだ添えてあった手の平で、彼女の頭を一度軽く撫で、手を下ろした。

「君は強いよ、フラウレティア。もう前へと動き出している。……私には出来なかった」

フラウレティアは、ハッとした。

ディードこそ、過去に突然大切な家族を奪われ、それを耐えて生きてきた人だ。


ディードは一度目を閉じて、過去の何かを思い出すように深く息を吐いた。


「フラウレティア、アッシュの名前を呼んで泣いたって良い。会いたいと願って叫んでも良い。それでも朝が来れば、君ならまた前を向いて動けるだろう」

下ろした手をフラウレティアに差し出し、ディードは続ける。

「必要なら、私がいつでも、何度でも手を引こう。君が私を助けてくれたように、今度は、私が君を助けよう」


ディードには何度も助けて貰っている。

フラウレティアはそう思ったが、ディードの真摯な言葉が沁みて、その温かさを胸に留める。


涼やかな夜風が、フラウレティアの髪を揺らす。

頬をくすぐる髪先に、大丈夫だよと風の精霊が気持ちを添えてくれたようで、鼻の奥がツンとした。



「…………私が泣いたって、誰にも言わないでくれますか?」

「もちろんだ。父娘おやこの約束にしようか」

見下ろすディードの瞳が、少しだけ細まった。

フラウレティアの唇が、細かく震える。


「……アッシュに、会いたいんです、ディード様」

「ああ、そうだな……」

「寂しくて……」

ポロポロと、フラウレティアの大きな瞳から涙が溢れる。

ディードはフラウレティアが握ったままだった拳を握り、そっと引く。

近寄った彼女の後頭に手の平を添え、再び、顔が見えないように額を胸に付けてやった。


「寂しい……、側にいるって、どこにも行かないって、約束したのに、……アッシュのウソつき……」

しゃくりあげるようにしながら、フラウレティアが声を震わせる。

パタパタと、涙の粒がバルコニーの床に落ちてシミを作った。

「アッシュ……、アッシュ……会いたいよ……!」


堪らず、声をあげて泣いたフラウレティアを、ディードは抱きしめた。

その小さな背を支えながら、こうして守ってやることの出来なかった我が子(アンナ)を頭の片隅で想い、奥歯を噛んだのだった―――。





屋敷の外壁近くに並ぶ木々の太い枝に、一匹の黒猫がいた。

生い茂る枝葉に姿を隠すように、ちょうど影になった所に腰を落ち着けている。

まだ子猫の域を脱していないのか、それとも小柄な猫なのか。

長毛の華奢な姿に似つかわしくなく、闇の中で光る銅色の瞳は強い赤味を帶びていた。


猫はじっと動かず、真っ直ぐに二階のバルコニーを見つめていた。

そこには、肩を震わせるフラウレティアを抱きしめたディードの姿がある。



「あんな場面を見たら、妬けるかしら?」

突然下から掛けられた声にも、少しも驚くことはなかったようで、猫は長いヒゲを微風に揺らしただけだった。

「なぜ妬く必要が?」

「父親の役目をディード様に取られたから」

楽しそうに口端を上げて猫を見上げたのは、魔術士レンベーレだ。

深夜の為か、普段ならキツく編まれている長い髪は解かれていて、緩くクセのついた束を左肩に流し、片手で押さえていた。


「くだらん」

再び猫の口から出たのは、ハドシュの声だ。


この猫は、あくまでもレンベーレの使い魔として下した猫なのだが、ハドシュはもはや勝手に自分のものとして使うことにしたらしい。

深夜にレンベーレが目覚め、猫が姿を消しているので魔力を辿ってみれば、この状態だった。


レンベーレは笑みを消して、ハドシュを睨め付けた。

「なによ、くだらないって。フラウレティアの父親として何か思わないの?」

「私は父親ではない。フラウレティアが関係性を理解しやすいように、ハルミアンが勝手にそう教えただけだ」

「否定してなかったクセに。情が湧いてたってことでしょ?」

初めて猫が頭を動かし、レンベーレを見下ろした。

「……人間は、すぐに情とやらを持ち出す生き物だな」

レンベーレがムッとしたように唇を歪めた。


「必要であれば、手を貸せる者が手を貸す。今は私よりもディード卿の手がフラウレティアには必要だった。それだけだ」

「……それは、自分の手が必要であれば、その時は手を貸すってこと?」

猫は否定も肯定もせず、視線をバルコニーに戻した。


フラウレティアはまだ泣き続けていたが、懸念していたような魔力の暴走は見られない。

これも“慣らし”の成果なのか、フラウレティアの魔力制御力は確かに向上している。


しかし……。



「女、もしもアッシュを取り戻すことが出来なかった時は、フラウレティアをお前に任せる」

「は? なにそれ!? アッシュは」

思わず声が高くなってしまい、レンベーレは急いで声を落とした。

「……アッシュは生きてるって言ったじゃないの! 取り戻せるんでしょう!?」


猫は垂らしたふさふさの尻尾を、ゆっくりと揺らす。

「融合されていない以上、生きてはいる。しかし、取り戻せるかは分からぬ」

「なんですって!?」

猫がフッと威嚇の声を上げたので、再び声が高くなりそうだったレンベーレは口を手で塞ぎ、一度深呼吸した。


「取り戻せないって、どういうことよ」

「分からないと言ったのだ。始祖七人(円卓様)は、“魂移たまうつしの術”で生を繋いでこられた。始まりの頃より魔竜出現のあの日まで、一人も欠けることなく。つまり、一度も失敗したことはなく、今回が初めての事例だということだ」

レンベーレは、口元から下へと指を滑らせる。

喉を降りる時、ゴクリと音が鳴った。



術者(円卓様)器になった者(アッシュ)のどちらも、今後どうなるのかは誰にも分からない」

猫は、ようやく顔を上げたフラウレティアの横顔を見つめる。


もしもアッシュを失えば、今のフラウレティアは間違いなく魔力暴走を起こす。

精霊との共鳴能力を持ち、巨大な魔穴まけつをも生み出すかもしれない暴走だ。


「もしもの時には、私がフラウレティアの暴走を止める。しかし暴走を止めて、私が無事でいられる保証はない。(ゆえ)にその後は、お前に任せる」

猫が言って、枝の上でピシリと尻尾を振った。




命懸けの暴走抑制。


「……それこそが情だって言うの」

レンベーレは、乱れ落ちる髪を苛立ったように払った。




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