慣らし
フラウレティアと魔力を繋げたレンベーレは、ゆらりゆらりと体表を動く魔力を見ていた。
同時に、身体の中を動く見えないはずの魔力も、俯瞰的に見る。
人間の魔力は、だいたいその者の主属性によって色味が違って見える。
レンベーレの魔力は黄緑、風の属性だ。
その黄緑に色付いた魔力は、今フラウレティアの右手から彼女の中へ流れ始めている。
まず、押し返されるような抵抗を感じた。
当然だ。
他の魔力を、無抵抗で受け入れることの出来る生き物はいない。
防衛本能でもあり、生理的反応でもある。
しかしフラウレティアの抵抗は、想像よりも極僅かなものだった。
押し返す力はすぐに弱まり、レンベーレの魔力は、ゆっくりではあるが、間違いなくフラウレティアの右手から彼女の身体へ流れ込んでいる。
これは、魔力干渉と呼ばれる段階だ。
強者が弱者に立ち入り、何らかの影響を与えるもの。
魔力の扱いにおいて強者であるレンベーレが、弱者であるフラウレティアに干渉する。
フラウレティアの受け入れがあまりにもスムーズで、レンベーレは逆に心配になって瞬きした。
目の前のフラウレティアは、始まりこそ一瞬眉根を寄せたものの、今は軽く瞼を閉じて身体の強張りはない。
厚みのある唇を薄く開き、呼吸する様子もリラックスして見える。
「フラウレティア?」
「……はい」
呼ばれてパチリと開いた銅色の瞳は澄んでいて、何か指示があるのかと、レンベーレの顔を真剣に見つめてくる。
「あ〜……、大丈夫かなと思って。ほら、さっき気分悪くなってたから」
「はい、大丈夫です。続けていいですか?」
「ん? ハイハイ、いいわよ」
普段通りの調子で返され、拍子抜けした。
しかし、抵抗が強くて上手くいかないよりもずっといい。
何しろ、何日もかけて“慣らし”を行う程には、時間の余裕がないのだから。
そう思い直し、レンベーレは集中を高めた。
フラウレティアは目を閉じ、右手から流れ込む魔力を自分の中に通しながら、よく見る。
レンベーレの魔力の主属性は風。
荒々しさを感じる程の強さを持ちながらも、繊細な質感。
それは、レンベーレ自身の人間性を表しているように感じた。
魔力は生まれ持ったものだから、魔力を持つ人そのままを表すのかもしれない。
それならば、やはりこの場は全て委ねて正解なのだろう。
そう思う程には、フラウレティアはレンベーレに信頼感を持っていた。
ハドシュのことも信頼しているが、竜人の中でも長く生きてきた彼の魔力は、その量も質感も、フラウレティアとはあまりにも差がありすぎた。
委ねるというよりも翻弄されるようで、ひどく酔ってしまった。
それに比べれば、レンベーレの魔力はとても優しい。
それで、左手から魔力を返す時もフラウレティアは少しも躊躇うことなく、そのまま流れに乗るようにした。
レンベーレは、繋いだ左手に魔力が戻って来るのを感じた。
ここからが“慣らし”だ。
フラウレティアは、自分を通って覚えたレンベーレの魔力を感覚で追うことで、どのように普段魔力を循環させ、どのように扱えば良いかを疑似体験することが出来る。
ここでもまた、レンベーレは驚いていた。
フラウレティアから戻る魔力には、僅かながらフラウレティアの魔力が混ざる。
立場的にこちらが強者とはいっても、やはり他人の魔力が混ざるのは気分の良いものではないはずだった。
しかし、その違和感が全くと言っていいほどない。
確かに、別の魔力だとは感じる。
しかし、不快に思うような違和感ではないのだ。
むしろ、混ざり合う心地良ささえ感じる。
相性が良いんだわ、とレンベーレは一人納得した。
極稀なことだが、フラウレティアの魔力は、おそらくレンベーレと性質的によく似ていて、すこぶる相性が良いのだろう。
目の前に立つフラウレティアは、変わらずリラックスした様子だ。
覚悟していたような違和感もなく、順調に“慣らし”が行えていることに、レンベーレは自然と気分が高まる。
そう、気が付けば、高揚していた。
フラウレティアと繋がり混ざり合う魔力は心地良く、己の魔力をどこまでも広げていけるような気がした。
まるでスウと霧が晴れるかのように感覚が澄み、不思議と力を増したかのような錯覚を覚える。
魔力の質や、扱いのクセ、魔術士としては他へ晒したくない手の内も、フラウレティアになら何もかも見せても問題がないと思え、全て委ねてもよいのだと……。
「やめろ」
ガン、と頭を殴られたような衝撃に、レンベーレはぐらりと上体を揺らした。
現実の世界から切り離されていたかのように、一気に覚醒して身体の重みを感じ、その場に座り込む。
喉はカラカラで、大きく息を吸い込むと、思わず咳き込んだ。
「ハドシュ」
フラウレティアの声が聞こえ、レンベーレは軽く頭を振る。
レンベーレと同じように座り込もうとしたのか、フラウレティアは目の前で膝をついていたが、その片腕はハドシュがしっかり掴んでいた。
繋がっていた二人の魔力に、ハドシュが介入して強制的に“慣らし”を終了させたのだと気付き、レンベーレは痛む頭を抑えて唇を歪めた。
「ちょっと、なんて乱暴なやり方で止めるのよ。いい感じで“慣らし”を進めてたのに…」
「あれは“慣らし”ではない」
「……は?」
「フラウレティアは、意図的にお前と合わせようとしたのだ」
素っ気なく言われた言葉の意味をレンベーレが理解するより早く、ハドシュは腕を掴まれたまま見上げるフラウレティアに向けて、言葉を重ねた。
「あれが、“共鳴”だな?」
ハドシュを見上げるフラウレティアの瞳は、血のように赤い色だった。
しかし、フラウレティアに自覚はないのか、どこかぼんやりとしたまま、何度か不思議そうに瞬きをする。
「共鳴……?」
瞬きながら呟く内に、瞳の赤味は少なくなり、元の銅色に戻っていった。