臨時講師
ハドシュは、鍵と消音の魔法を掛けた扉の側に立ったまま、太い腕を組んで室内の二人を見ていた。
部屋の中央では、“慣らし”を受け持つと宣言したレンベーレが、フラウレティアと両手を繋いで向かい合っている。
“慣らし”を始める前に、フラウレティアの内包魔力の状況をまず見ているのだ。
本来なら、魔術士は魔力干渉はしても、“慣らし”は行わない。
強者が弱者に立ち入り、何らかの影響を与える魔力干渉と違い、“慣らし”は導くものだ。
導く為には完全に魔力を繋げなければならず、導く者の魔力の質や、その扱いのクセなども見せることになる。
つまり、手の内を明かすということだ。
好んで他人に手の内を明かす魔術士はいないだろう。
縁者でも弟子でもなく、ましてや出会ってまだ数ヶ月のフラウレティアに“慣らし”を行うなど、レンベーレの申し出は相当の覚悟があったはずだった。
手を繋いでいたレンベーレが、一旦フラウレティアの手を離した。
「うん、前より上手に制御できるようになってきているわね」
「本当ですか?」
「ええ」
レンベーレが迷わず頷いたので、フラウレティアはホッと息を吐いて表情を緩めた。
「でも、今のままじゃ暴走しやすいわ」
言ってレンベーレは、人差し指をピンと立てた。
“暴走”と聞いて、フラウレティアは急いで表情を引き締めた。
魔力が外に出るようになってから、フラウレティアは自分なりのやり方で自身の内包魔力に向き合い、制御出来るようになってきていた。
それはレンベーレが領主館で様子を見ていた時から分かっていたことで、その時よりも更に上手くなっているとは感じる。
しかし、所詮は素人止まり。
魔術士になるつもりで魔力の扱いを鍛錬する者とは、やはり違う。
「フラウレティアの制御の仕方は、例えて言うなら四角い箱の中央で、魔力をぐるぐる回してる感じよ」
レンベーレが指をくるくると回す。
「中央にだけ集中していると、一点に向けて魔術を発現したい時、そこに向けて中から勢いよく動かさなければならなくなる」
指をサッと横へ動かせば、指先から突風が吹いたかのように、窓際のカーテンが勢いよく捲れ上がった。
「一見強い力を発揮できるように見えるけれど、持続的には使えないし、使う度にいちいち疲れるわ」
レンベーレが指を戻し、一度フラウレティアを見た。
彼女が理解しているのを確認すると、頷き、次は両手の人差し指で、さっきよりもゆっくりと、四角をなぞるように動かした。
「でもこうして、常に四角い箱の中を隅々まで行き渡らせておくと……」
レンベーレは両手の指を左右別々の方向へ動かす。
揺れの落ち着いていたカーテンが再び捲れ上がったが、同時に離れた窓のカーテンも、同じように捲れ上がる。
すごい、と言うように、フラウレティアの目が丸くなった。
「こうして、どこへ向けても即反応出来るようになる。……まあフラウレティアは魔術士を目指すわけじゃないけど、魔力制御はこうして身体中に満遍なく同じ濃度の魔力を流して循環させるのが一番疲れない基本形なの」
レンベーレの説明に、フラウレティアはひとつ大きく頷いた。
「だからハドシュは全身に魔力を帯びろって言ったんですね」
なんの理論講習もなしで、即“慣らし”だったのだと分かり、レンベーレは振り返ってハドシュを睨んだ。
ふんぞり返って立っている―――レンベーレにはそう見えるハドシュは、何の反応も示さない。
魔力量だって半端なく違うのに、前情報なしで魔力を繋いでも、フラウレティアには負担なだけだっただろう。
つくづく竜人族というのは、人間とは別の感覚を持つ生き物なのだと感じた。
……いや、ハドシュが配慮に欠けるだけなのかもしれないが。
なぜだかフンと鼻を鳴らしたレンベーレを、フラウレティアは首を傾げて見上げる。
視線に気付き、レンベーレは一度軽く咳払いした。
「まあ、そういうことね。さ、意味が分かったところで、実践してみましょう。今度は本格的に繋げるわ」
重く垂れ下がった編み髪の束を後ろに払い、レンベーレは向かい合うフラウレティアの右手を取った。
「私がフラウレティアの右手から流す魔力を、全身に行き渡らせるイメージで一周させてから、左手から私に戻して。いいわね?」
フラウレティアはハドシュとの“慣らし”を思い出し、思わず身体を強張らせた。
他人の魔力は、違和感がある。
その違和感がある方が、魔力の流れを理解しやすい為に、“慣らし”はこの方法を取るのだ。
しかし、全身に感じるその違和感が、不快と思う原因であり、ハドシュの容赦ないやり方でフラウレティアは先ほど気分を悪くしていた。
左手を繋ごうとして、フラウレティアは緊張気味に一度深呼吸する。
しかし、目が合ったレンベーレがニコリと笑ったので、少し力が抜けた。
再び、今度は落ち着いて深呼吸し、フラウレティアは左手をレンベーレと繋いだ。
軽く力を込めたと同時に、「始めるわ」とレンベーレの囁きが聞こえ、右手にぞろりと他人の魔力が流れ込む。
レンベーレの魔力だと分かっていても、身体は違和感を感じ取り、当然抵抗しそうになる。
意図せずフラウレティアの眉間にしわが寄った。
それでも、ゆっくりと流れ込む魔力には、フラウレティアを気遣うレンベーレの気持ちが表れているように感じる。
放って置くことも出来たのに、レンベーレはフラウレティアの為に自分から先生役を買って出てくれたのだ。
その彼女の気持ちに応えたい。
自然とそう思えた。
フラウレティアはゆっくりと深く呼吸を繰り返しながら、右手から流れ込む魔力に集中する。
全てをレンベーレに委ねようと決め、無意識に抵抗しようとする自分の魔力を抑え込んだ。