王宮からの書簡
エナに連れられ、領主代行のローナスが執務を行っている部屋に入り、執務机に置かれた書簡を見たディードは険しい表情になった。
書簡に押された封蝋は、赤と黄土の二色が重ねられたもの。
フルデルデ王家の者が使うのがこの二色であるが、混ぜずに重ねる使い方は、代々女王だけのものだ。
タイミングとして、旧領主館に関することで送られてきたのだろうと思ったディードは、なんとも言い難い表情で書簡を手渡すローナスを見て、相当面倒な内容であることを覚悟した。
代行を任されている彼は、既に書簡を開いて目を通している。
にも関わらず、内容を口にせずにディードに渡すのだから、余程のことのはずだ。
息を吐きながら書簡を開いたディードは、冒頭の文だけ見て、思わず顔を上げてしまった。
「フラウレティアに召喚命令だと?」
視線がぶつかったローナスは大きく肩を竦めた。
再び視線を書簡に落とし、素早く最後まで読むと、ディードは側で怪訝そうに両者を見ていたレンベーレに突き出すようにして渡した。
「どういうことだ。まず急すぎるし、陛下からの王命などと、おかしいだろう……」
旧領主館の一件に関わるものだとばかり思っていたディードは、困惑して額に手をやる。
書簡は女王アクサナからの王命が記されていた。
内容としては、アンバーク領主の娘フラウレティアを、ウルヤナ王子の正妃候補として選出したというもので、その件で一度王宮に召喚するというものだ。
アズワン湖で行われた園遊会で、フラウレティアがイルマニ王女に気に入られたのは確かだ。
側室トルスティの反応からも間違いない。
しかし、それならばイルマニ王女の友人として招くか、侍女候補に挙がるのが妥当だろう。
突然ウルヤナ王子の相手になど、不自然だ。
もしかしたら、別れ際にトルスティの提案をディードが断った為に、ウルヤナ王子がフラウレティアを妃候補として王宮に招くことを提案したのだろうか。
ウルヤナ王子は、まだ臣籍降下する予定はなく、今のところ妹王女を補佐する立ち位置だ。
フラウレティアを気に入った妹王女の為に手を貸したとしても、不思議ではない。
王侯貴族の婚姻は、候補に選出されても、形式上は選ばれた側が断ることが出来るが、侍女候補の選出を断る程には簡単ではなく、ましてや王子の相手となればさらに難しいのだから。
それに、もしかしたら、イルマニ王女以上に、ウルヤナ王子がフラウレティア気に入った可能性もあるかもしれない。
ディードは、王族三人の園遊会での様子を思い起こして考えていたが、一度軽く頭を振る。
しかし、問題はそこではない。
問題は、召喚状がウルヤナ王子や側室トルスティから出されたものでなく、女王からのものであるということだ。
王子に対して無関心を貫いてきたアクサナが、こんなことをするだろうか。
王女の為だろうか?
それにしても、不自然すぎる……。
「それで? 一体全体なにがどうなってこうなってるんだ?」
椅子に座り、思案に暮れるディードを上目に窺っていたローナスが、とうとう痺れを切らして口を開いた。
「園遊会から帰って早々にフラウレティアを領外へ出すと言ったと思ったら、旧領主館のあれだ。しかも今度は正妃候補だって?」
ローナスはグイと上体を机の上に乗り出し、ディードを強く指差した。
「ディード、フラウレティアは、一体何者だ? 本当はアンナじゃない。そうだろう? 本物のアンナはこの間お前が」
「フラウレティアは私の娘だ」
ローナスの言葉を遮って、ディードが宣言した。
「ディード」
「ローナス、旧領主館で見つかった遺体は、まだほとんどの身元は判明していない」
静かに言たディードを、ローナスは怪訝そうに見上げて目を細めた。
旧領主館の魔穴が消滅して、多くの混乱が生じている中でも、ディードはすぐに我を取り戻して動き始めた。
もちろん、立場的にそうであるべきだし、これまでにいくらでも心構えや準備をする時間があったと言えばそれまでだが、まるで旧領主館の魔穴がいつ消滅するのか、分かっていたかのようだった。
そして、こちらに戻ってきた時、ディードは密かにある荷物を持ち帰っている。
何とは明かしていないが、ローナスはそれが、白骨化した彼の妻と娘の遺体であると思っていた。
なぜなら、それが子供を入れる為の棺に似ていたし、何よりその持ち帰り方やディードの様子で、そう思えたのだ。
白骨化した多くの遺体の身元は、既に領内の者達が動いて、身元を確実に証明出来る者から遺族の手に渡っている。
それこそ、領主一族の者であれば、それを証明できる指輪等の装飾品を身に着けていたはずだ。
誰よりも早く発見し、ディードがその者達を拾い上げていないことの方がおかしいのだ。
ディードはローナスの視線を受けたまま、一度大きく息を吐いた。
ローナスは気付いているのだと、ディードにも分かっている。
「……フラウレティアは、今はまだ私の娘だ」
言い換えたディードを見て、ローナスは乗り出していた身を戻し、強く眉根を寄せた。
「なるほどね」
『今は』と言うのなら、いつかは明かす気があるのだ。
しかし、ここで理由を言わないのだから、ローナスがまだ知らない方が良いということだろう。
つまりは、現アンバーク領主の一存で行っていること。
もしかしたら、何かあっても座をローナスに譲ることでアンバーク領は守れるとまで考えているのかもしれない。
「私は何も知らない、それで良いんだな?」
溜め息交じりにローナスが言えば、ディードは頷き、黙って見守っていたレンベーレは、重く垂れた髪を払って、持っていたままの書簡を振った。
「それじゃあ、召喚に応じるんですか? 断るにはそれこそ、“娘は人違いだった”と言う手だってあると思いますけど」
「それで陛下が取り下げると思うか?」
レンベーレは苦々しく口元を歪めて、書簡をディードに渡す。
受け取った書簡を開けた窓に向け、ディードは差し込む陽光に翳した。
これは確かに女王アクサナからのもの。
何かしらの思惑があって送られて来たはずだ。
そしてその後ろには、必ずあの魔術士の狙いが潜むはず。
「……思わぬ形だが、直接対決が叶うかもしれない」
未成人であるフラウレティアには、後見人の付き添いが必要だ。
ディードは、窓から見える庭園にフラウレティアの姿を認め、書簡を懐に入れて部屋を出た。




