見えない姿
「何の動きもない?……本当に、何も変わりはないのか」
「そうみたいです。通信での報告では、例の魔術士は相変わらず表には出ていないと」
レンベーレはそこまで言って口を閉じ、ディードと共に小さく溜め息をついた。
あれから数日経って、二人は今、領主代行のローナスがいるアンバーク領主館に戻って来ていた。
ディードの私邸であった頃に使っていた書斎はそのまま残されていて、先日簡単に片付けをさせて使っている。
少々埃臭さは残るが、今私室として使うには十分だ。
ディードをはじめとする領主館の関係者は、旧領主館の魔穴消滅の事後処理に追われている。
その内の一つが中央との遣り取りだ。
既に王宮付きの魔術士が主導で、調査班が迅速に編成されてこちらに来るような話は出ている。
しかし、中央の“迅速”は当てになるものでもない。
旧領主館の建物や土地の状態は調査班が来るまで現状を維持しておくつもりだが、多くの白骨化した遺体については、ディードの指示で、既に親族を探す為に領内の者だけで動き出していた。
そして、ディードとレンベーレが中央との遣り取りに並行して行っているのが、王宮で不気味な存在感を保ったままの、魔術士についての調査だった。
その動きを中央に駐在しているアンバーク領の官吏に探らせているが、アッシュの身体を奪って数日経っても、王宮内で特別目立った動きはないという。
ディードは無精ひげの生えた顎をゆっくりと指でなぞる。
王宮の奥に潜んだままの魔術士は、アッシュという新しい身体を手に入れたというのに、なぜ動かないのだろう。
フルデルデ王国のローブが残されていたことから、魔術士が関わっていることは間違いない。
ならば、ディード達が推測した、ドルゴールの竜人達と接触を図るためという目的自体が間違っているのか。
それとも、動けない理由が別にあるのか……。
ディードは一度深呼吸をして考えを整理する。
魔術士が女王に取り入って、ドルゴールに向けて派兵し始めたのは約一年半前のことだ。
その頃はもちろん、アッシュとフラウレティアはドルゴールにいた。
竜人族と接触する為にはドルゴールを目指すしかないが、魔術士が老いて力のなかった竜人だと仮定するならば、自ら出向く事が出来なかった為に人間を利用しようとしたと考えるのが妥当だ。
そして、偶然にもフラウレティアと共にアンバーク砦に入ってしまったアッシュは、おそらく何らかのきっかけで魔術士に見つかったのだろう。
だからディードが女王に謁見した際、女王は『もう兵は出さない』と約束した。
別の治療法が見つかったと魔術士が言ったからだと。
ドルゴールに向けて働きかけをしなくても、若い竜人が手を伸ばせる範囲に入ったからだ。
それで、魔術士は派兵をやめてアッシュの身体を手に入れることにした……。
無意識に奥歯を強く噛んでいたディードは、軽く首を振って、だるさを感じる顎を再び撫でた。
「考えれば考える程、腹立たしさが増すばかりだな」
そう呟けば、レンベーレも大きく頷いて同意する。
「全くです。竜人の血肉を手に入れるよう唆した魔術士本人が竜人であるなんて、皮肉にもほどがあります」
愛する者を救いたくて必死に足掻く女王の側に、その者は何を思って立っていたのか。
人間を下に見ているとしか思えない。
いや、同等とか下とか、そういうことではないのかもしれない。
目的の為に利用する手段のもの。
ただの“駒”であるのかもしれないのだ。
開けていた窓から風が入り、どこからか飛んできた鳥の白い羽毛が視界を横切った。
『どれだけ膨大な魔力を有していても、乗っ取った身体がアッシュである限り、アッシュの能力以上のことは出来ないってことだよ』
レンベーレが聞いたというハルミアンの言葉が引っ掛かる。
竜人族としてはまだ若く、フラウレティアと共にいることでドルゴールから離れていたアッシュ。
彼を見つけて身体を奪ったことは、魔術士にとって幸運であったのか、それとも……。
魔術士が動かない原因は、もしかしたらここにあるのかもしれない。
ディードは屈んで落ちた羽毛を拾った。
「やめよう。ここでこれ以上考えていても埒が明かない」
「そうですね。……では、“旧領主館の魔穴消滅について意見を聞きたい”という名目で、魔術士に謁見を願い出てみるのはどうでしょう」
人差し指を立てて、レンベーレが提案する。
ディードは腕を組んだ。
「直接会うのか。……陛下と魔術師長が許可するかどうか分からないが、謁見申請をしてみるか」
多くの耳目のある場ならば、直接会ってみるのも手だ。
「……それで、フラウレティアはどうしている?」
部屋を出る前に窓を閉めようと近付いて、ディードが尋ねる。
レンベーレは太く編まれた髪を払い、赤い唇を僅かに歪めた。
「静かですよ、とても。表向きは旧領主館でのことに胸を痛めているという感じですけど、動きたいのを我慢してるっていうのが本当かもしれません」
フラウレティアもディード達と共にこちらに戻って来ているが、ギルティンの前で泣いて以降、彼女はとても落ち着いて静かだった。
もちろん、そう見えるだけで胸の内は乱れているのだろうが、やみくもに動いても何もならないということは冷静に判断しているようだった。
ディードからすれば、逆にそれが痛々しい。
「魔の森には行かせるんですか?」
「……他に方法がないならな」
レンベーレの問いには躊躇いがちに頷き、ディードは窓を閉めた。
ハルミアンの使い魔が消滅して、彼が今無事であるのか分からない。
その為、今回のアッシュの事がドルゴールに伝わっているのかも分からなかった。
アッシュがいない今、それを伝えられるのはフラウレティアだけだが、いくら魔の森に慣れているとはいえ、常にアッシュと一緒に動いていた彼女を、さすがに一人では送り出せない。
そこで、フラウレティアが連絡手段として持っているという特殊な発煙球を、魔の森の際まで行って使う事になった。
森の奥まで入らなければ、魔穴や魔獣に遭遇する可能性は低い。
護衛として人は選ばなければならないが、手掛かりを得るまで何もせずに待てと言うのも、あまりに酷だった。
二人が部屋を出ると、従僕のエナが廊下を急ぎ足でこちらに向かって来るところだった。
ディードの姿を認め、エナは軽く息をつく。
その雰囲気から、何か良くない事があったのだと察し、ディードはレンベーレと目を合わせた。




