薄闇の先
別室に通されていたディードの下に、レンベーレが戻って来た。
村人が用意してくれたスープを受け取っていたディードは、顔を上げる。
「フラウレティアは?」
「疲れ果てて眠りました。安眠の魔術を掛けたので、少しはマシに眠れるでしょう。ギルティンも眠ったようです」
すぐに村人がレンベーレにもスープ碗を渡す。
湯気の立つスープが満たされた碗は、手の平にじわりと熱を伝えた。
その温もりにレンベーレはホッと息を吐き、ずっと身体が強張っていた事に気付いた。
「せっかくだ、頂こう」
ディードが部屋を出て行く村人に礼を言って、スープに口をつける。
ディードの様子を見てから、レンベーレもまた、スプーンを口に運んだ。
非常時であればこそ、食事は摂れる時に摂ることが重要であるし、それが混乱する思考を鎮める為にも役立つことを知っている。
喉を流れていくスープは、想像以上に安堵感をもたらした。
黙って半分ほど飲み、レンベーレは口を開いた。
「思ったよりも落ち着いておられますね」
同じく器の中の量を減らしていたディードは、視線を落としたままで微かに笑む。
「そうだな。自分でも不思議なくらい、落ち着いている。……ようやくやるべきことが定まって、地に足が付いたのかもしれない」
「やるべきこと……」
旧領主館の出来事は、それに関係する人々だけでなく、アンバーク領に住む人々を、出口のない薄闇に閉じ込めたままだった。
巨大な魔穴。
消えるわけでなく、ずっとそこに存在するのに、決して誰も手を出すことが出来ない。
理解の出来ないものであるからこそ、おそらくは、そこにいた者達は誰も生きていないであろうと予想出来ても、もしかしたら生きているのかもしれないという、微かな希望を持ち続けてしまう。
助け出すことも、弔うことも出来ない。
諦めきれず、かといって、何らかの手段を見つけることすら出来ない。
そんな曖昧な状況で、後ろ髪を引かれるような想いのまま生きざるを得なかった。
ディードは器に落としていた視線を上げ、レンベーレに向き合った。
「私は予定通り、中央の許可が下り次第ローナスに領主の座を譲る。今後はローナスの補佐を務めながら、あの場所にずっと取り残されていた人々を弔い、あの地を慰霊地にする為に動くつもりだ」
「……それでいいのですか?」
「もとより、領主を補佐するのが私の役目だった。相応しい立ち位置に戻っただけのことだよ」
その言葉には少しの迷いもない。
愛する家族を亡くした悲しみが消えたわけではない。
むしろ、この気持ちは小さくなったとしても一生消えることはなく、胸を締め付け続けるだろう。
それでも、不安定な足場のまま、出口の見えないところで息苦しさに喘いでいた日々は終わった。
家族は亡くなったのだと迷いなく口に出来、弔い、偲んでやれることは、ディードにとって一つの救いだった。
亡くなった人々にとっても、おそらくはそうだと思いたい。
亡くなった者も、生きている者も、アンバーク領の人々はもう十分に苦しんだのだから。
レンベーレは細く一つ息を吐いて、スープを一口啜った。
まだ温かいスープの湯気が、頬を優しく撫でて消える。
「ディード様のご随意に。……忙しくなりますね」
「ああ。フラウレティアとアッシュのことも、すぐにでも動かなければならない」
二人の間の空気が、ピリと張る。
レンベーレは器を下ろし、濃い褐色の瞳に力を込めて問い掛けた。
「ディード様は、アッシュの身体を乗っ取った竜人の心当たりがお有りなんですね?」
「確信があるわけではないが、可能性は高いのではないかと思っている」
ディードは思い出すように目を眇め、視線を宙に放る。
その脳裏に、王宮の風景が過った。
以前、王宮で一度だけその姿を感じた。
いや、そこに居るはずだったのに、不確かな存在として、違和感を残した者。
女王アクサナに取り入り、王宮に居座っている正体不明の魔術士だ。
あの時、アッシュが使う隠匿の魔法に似ていると思ったことを、ディードは思い出していた。
竜人の血肉という知恵を授け、女王にドルゴールに向けて出兵させたのも、もしかしたら竜人族に関わる何かが関係しているのではないかと思わせた。
「王宮にいるという、あの魔術士……ですよね?」
ディードの思考を読んだかのようなレンベーレの声が耳に届き、ディードは思考の中に落ちていた意識を戻した。
「ああ、そうだ。……しかし、なぜそう思った?」
右手で持っていたスプーンを離し、重く垂れ落ちた長い編み髪を払って、レンベーレは自分の着ている紺のローブを指で摘んだ。
「ローブが残されていたんです」
「ローブ?」
「ええ。アッシュの身体を乗っ取った奴が着ていた物です」
屋根に上がった村人達がギルティンを助け起こした後、レンベーレが気付いた時には、ローブの中に有ったのであろう身体は殆ど砂の塊のようになっていた。
ローブを軽く持ち上げれば、空気に晒された残りはあっと言う間に霧散してしまったが、ローブだけは残ったのだ。
「濃灰色のローブです。国が支給する、高位魔術士に与えられるものですね。国章が刺繍されていましたから、間違いありません」
以前その存在をディードから聞かされていたレンベーレは、ローブの国章を目にした時にすぐ思い浮かべた。
そして繋げて考えるのなら、王配の奇病すらその魔術士に何かしら関係するのではないかと思えてきた。
「ハルミアン殿の推測が正しいのなら、ドルゴールに住む竜人以外にも生き残りがいて、その者が王宮に入り込み、女王陛下を唆したんじゃないでしょうか」
「仮にそうだとして、そんなことをする目的は何だ?」
ディードの問い掛けに、レンベーレは軽く首を振る。
編んだ髪が重く揺れた。
「分かりません。ですが、ドルゴールと何かしら繋がろうとしているのではないかと」
「その為に、力のある若い身体を欲したと?」
「はい」
魔術士が一人で行動していること、そしてそのやり方から、生き残っている竜人は一人だけで、それ程には力がなかったのではないかと推測出来る。
そもそも生き残りだというのなら、若い竜人ではない。
であれば、求めるのはやはりドルゴールの竜人達との合流か……。
「急ぎ中央に駐在している者に連絡を取り、王宮の様子を探ろう」
はっきりとした魔術士の存在を確定出来なくても、新たな身体を手に入れたのなら、何か動きを見せるかもしれない。
ディードは残りのスープを一息に飲み干し、立ち上がった。




