決められた未来など
フラウレティア達がいる小村にディードが着いたのは、翌日の日の出から一刻ほど経ってからだった。
「フラウレティア」
呼ばれて顔を上げたフラウレティアは、前日に熱を出して眠っていた部屋のベッドに、レンベーレと共に腰掛けていた。
掠れた声で「ディード様」と言い終わる前に、ディードは駆け寄ってフラウレティアの足元に片膝をついた。
腿の上でキツく握られていた彼女の拳を、大きな両の手で包み、顔を覗き込む。
「フラウレティア」
ようやく止まったのであろう涙のせいで、フラウレティアの顔は酷いことになっていた。
感情を波立たせないようにする為か、それとも泣き疲れたせいか、どこかぼんやりとした様子にも見える。
ディードは昨日、何人もの人達と日の入り後まで旧領主館の現状を見て回っていたが、見張りなどを手配した後、少し離れた大きな街に移動していた。
今後のこともあり、急いで領主代行のローナスと連絡を取る為だ。
大きな街にのみ存在する魔術師ギルドには、昔の魔術士達が残した通信魔術が辛うじて残されており、緊急の際に使用されていた。
それを使って連絡を取り合い、朝方まで慌ただしくしていたところに、レンベーレからの連絡を受けたのだ。
そして、何を置いてもフラウレティアのところに駆け付けた。
フラウレティアは、ぼんやりとした頭のまま、ディードの顔を見つめた。
どれ程急いでここに来たのだろう。
ディードの髪は乱れ、息も整いきっていない。
そして、一日で酷く窶れたように見えた。
しかし、フラウレティアの拳を包むその手は変わらず温かく、深い海色の瞳には心からの気遣いが滲んでいる。
「話は聞いた。……辛かったろう」
その一言で、止まっていた涙が、フラウレティアの大きな瞳から溢れた。
しかし、堪えるように引き絞った唇から声は漏れない。
その泣き方が痛ましく、ディードは彼女の細い身体を引き寄せて抱きしめた。
引き締まっていても、竜人のものとは違う、熱く大きな胸と腕。
人間の男性にそうして抱きしめられるのは初めてで、一瞬驚いたフラウレティアだったが、体温の心地よさと、何よりも労りの気持ちが伝わってきて、そのまま大人しく身を委ねたのだった。
「必ず、アッシュの行方を突き止める」
暫くして、ディードが言った。
その言葉がゆっくりと耳から頭に浸透して、フラウレティアはディードの胸から離れる。
「アッシュの……」
名前を口にすれば再び零れそうになる涙を堪え、ディードを正面から見つめる。
「レンベーレからの報告では、アッシュは何者かに身体を乗っ取られたのだと聞いた。詳しいことは分からないが、アッシュを取り戻す為にも、まずは行方を探そう」
「…………手を貸して頂けるんですか?」
震える声で尋ねれば、ディードは僅かに眉根を寄せて即答した。
「当然だ。君とアッシュは我々にとって恩人だ。……それだけじゃない、私は君達が好きなんだよ、フラウレティア」
右肩に置かれたディードの大きな手は温かい。
隣に座って二人を見守っていたレンベーレが、フラウレティアの背中に優しく手を添える。
二人の真摯な気遣いに包みこまれるようで、フラウレティアは、ようやく安堵の微かな息を吐いた。
「ありがとうございます、ディード様、レンベーレ様」
フラウレティアが二人の顔を順に見てそう言った時、扉がノックされ、急いで入ってきた村人からギルティンが目を覚ましたと伝えられた。
「……よう。ひでぇ顔してんな、嬢ちゃん」
そう言ったギルティンは、自身も酷い顔色でベッドに横になったままだったが、ニヤリと笑う様子だけはいつもと変わらないように見える。
しかし、薄い掛け布団から覗く上半身は素肌で、胸にも腕にも、血の滲む包帯が幾重にも巻かれてあった。
アッシュの身体で竜人が去った後、ギルティンは屋根の上で倒れて意識を失っていた。
おそらく失血の為で、急いで治療を行う必要があった。
幸い、たまたまフラウレティアの治癒を行うために聖職者である神官がおり、神聖魔法を用いた治療を受けることが出来たが、神官が使える魔力ギリギリまでの回復魔法を使って、なんとか一命を取り留めたのだった。
もしもあの場で心臓が止まっていれば、下級聖職者である神官では、蘇生することが叶わなかっただろう。
運が良かったのだ。
側に寄り、「無事で良かった……」と辛うじて口にしたフラウレティアは、次に謝罪をしようとした。
もう“お嬢様”の立場から離れていたのに、自分の側に付いていた為に、ギルティンは巻き込まれてこんな目にあったのだ。
「なぁ、嬢ちゃん、“未来視”って知ってるか?」
謝罪の言葉を口にする前に、ギルティンが言った。
突然向けられた問いがあまりにも場違いに思えて、フラウレティアは瞬くばかりで返事も忘れた。
ギルティンはフラウレティアの様子を気にすることなく、昔を思い出すように宙に視線を飛ばす。
「……俺は以前、傭兵をしててな。ある時、たまたま居合わせた旅の魔術士に未来視されたんだ」
それは、仕事を無事終えて、仲間と共に酒場で気持ちよく飲んで騒いでいた時のことだった。
そこにいた魔術士が、何人かの傭兵を視ていた。
ギルティンもまた、そこで未来を視られ『将来、多くの兵を率いる長となるだろう』と言われた。
「宴席の余興みたいな感覚だったしな、必要以上に誰かとつるむことも、一所に長く居座ることも嫌いだった俺は、そんな未来が来るわけがないと思って、すぐに忘れたんだ」
しかし、何年も経って、偶然の出会いでディードやナリスに好感を持ったギルティンは、アンバーク砦の兵士として落ち着き、第一部隊長に任命される。
そこで、ようやく未来視の内容を思い出したのだ。
「レンベーレ様に聞いてみれば、未来視は大昔から存在する正当な魔術で、いわば予言と同等のものだと教えられた。てっきり占いみたいなもんだと思っていた俺は、震えたね……」
多くの機会を自分の意思で選び取り、選択を重ねた先に、今の人生があるのだと思っていた。
この“現在”は、自分自身の力で作り上げてきたものだと。
しかし、それはずっと前から予定されていた未来だったのだとしたら……。
自分の人生は、もうこのずっと先まで決まっているのだろうか。
別の道をと足掻いてみても、結局はその先すらも予定されていたものに繋がるのだろうか。
そして、愛する人を失った。
彼女の死もまた、決められていた未来だったのか……。
「……俺は頭が悪いから、頭がこんがらがりそうになってたよ。そんな時、嬢ちゃんと共鳴した中で、ひとつの場面を見た」
アンバーク砦でナリスの残した声を届ける為、フラウレティアは初めて意識的に自分の魔力を使った。
しかし、それは本人にも完全に制御出来るものでもなく、フラウレティアの様々な記憶や、よく分からない映像も流れ込み、結果的にアッシュ達竜人についてギルティンに知られることとなった。
その時見た映像の中に、屋上での場面があったのだ。
「なんとなくだ……、だが不思議と、これは未来だと分かった。嬢ちゃんが無意識に見せた、“未来視”ってやつなんだと。いや、もしかしたら精霊っていう、俺にはわけの分からないもんが、嬢ちゃんの先を案じて見せたのかもしれねぇ……」
淡々と語っていたギルティンが、初めてフラウレティアの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「その中で、アッシュはおかしなもんに取り憑かれて、嬢ちゃんの身体を刺し貫いていた」
フラウレティアの身体が、ビクリと大きく震える。
「だが俺は、そんなものは変えてやると思った。何が何でも、変えてやるって」
ナリスを亡くした直後だったからだろうか。
アッシュがフラウレティアを害する場面は、その時のギルティンには決して受け入れられないものだった。
未来視は、まだ来ぬ未来を見るもの。
しかし、それはあくまでも限りなく高い可能性の未来であって、現在の事実ではないのだという。
だから決めた。
この未来を変える。
何が何でも、変えてみせると。
その為に、護衛として付いて来た。
ギルティンは腕を伸ばし、包帯を巻かれた右手で、フラウレティアの手首を掴んだ。
「俺は変えた。俺が見た未来は、確かにアッシュがお前を殺してた。だが、お前は生きてる!」
手首を握るギルティンの指に、力が籠もる。
「アッシュだって、大人しくやられるもんか。アイツは俺と同じく馬鹿だが、強い」
言ったギルティンは痛みに顔を歪めたが、言葉を止めない。
「未来は、自分自身で変えられるんだ、嬢ちゃん。決まった未来なんかない。お前がアッシュを取り戻すと思えば、それを求めて動け。ぼんやりすんな! お前自身の力で、望む未来を引き寄せるんだ!」
息荒く、痛みに顔を歪めても、ギルティンはその手の力を緩めなかった。
フラウレティアの瞳から、また涙が零れ落ちる。
しかし、その瞳には、確かな光が戻って来ていた。
「私、絶対……絶対アッシュを取り戻します。その時まで、もう、もう泣かない。だから……」
フラウレティアはギルティンの腕に縋るように、ベッドに身を伏した。
「……ああ、今だけ、思い切り泣け」
ギルティンはそれだけ言うと、細く息を吐いてディードとレンベーレを見上げた。
ディードは頷き、レンベーレがフラウレティアの背を優しく擦る。
部屋には、フラウレティアの嗚咽だけが響いていた。




