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奪われたもの 3

レンベーレは、地面についた足に精一杯の力を込めて立っていた。

睨み付ける屋根上のアッシュの身体からは、膨大な魔力が燃え上がるようにして湧いている。

しかし、それは美しく揺らめく炎ではなく、赤黒く、その身に絡みつくような蠢く炎だ。

魔力が見えるレンベーレにとって、それは手足が震える程に恐怖を感じるものだった。


しかし、彼女は気力を奮い立たせて、それに対峙している。

なぜならば、()()は明らかにアッシュの魔力ではなく、別のものがアッシュを飲み込まんとしているのだと分かったからだ。



風は更に強くなり、太く編んだレンベーレの髪を重く揺らす。

「一体何だってこんなことになってるのよ!」

「……別の竜人だ」

やけくそ気味に吐いた言葉には、彼女の肩に止まっていた一羽の鳥が答えた。

レンベーレは、屋根上のアッシュを見て強く眉根を寄せた。

「別の竜人って、ドルゴールの!?」

もはや丁寧な言葉遣いなど吹っ飛んでいるが、鳥もそれどころではなく、ぷるると長い尾羽根を震わせた。

「いいや、違う。ドルゴールに辿り着いた竜人の他にも、生き残りがいたんだ。しかも、たぶん最悪の奴がね……」


大人の手の平に乗る程の大きさの鳥は、臙脂えんじ色の羽根を揺らして、(つぶら)な黒曜の瞳を器用に細める。

エルフ(ハルミアン)の使い魔だ。

魔力の高まりに驚いて部屋を飛び出したレンベーレのところへ、タイミング良く現れて、この場へ連れ出した。


旧領主館の魔穴まけつ消失は、度々情報交換をしていたエルフ(同族)の使い魔によって、ハルミアンにも即座に知れることとなった。

あの規模の精霊達の動きは、ドルゴールの空を見ていたハルミアンにも感じることがあり、報せを受けてすぐにここへやって来たのだ。

そうしたら、この有り様だ。



「女、邪魔をするな」

屋根上から尊大に見下ろしたアッシュ(ザムリドゥア)は、躊躇う素振りなく右手を振る。

途端に、上から小さな火球が幾つか降ってきて、鳥とレンベーレは飛び退ってそれを避けた。


火球は予想外に、難なく避けられた。

なぜなら、それはまるで魔術初心者が放ったような弱々しいものだったからだ。

そんなものを放ったのが、あのおどろおどろしい魔力を纏った竜人だと言うことに、レンベーレは困惑する。


「……なるほどね」

しかし、眉根を寄せるレンベーレとは違い、側の低木の枝に移った鳥は得心がいったように低く呟いた。

「何が『なるほど』なの!?」

「どれだけ膨大な魔力を有していても、乗っ取った身体がアッシュである限り、アッシュの能力以上のことは出来ないのさ」


レンベーレは思わず、睨みつけたままだったアッシュから視線を逸らし、枝の上の鳥に向けて目を剥いた。


「乗っ取ったですって!?」

「そうだよ。君ほどの魔術士なら、もう薄々は感じてるんでしょう? ()()はアッシュの身体だけどアッシュじゃない。別の竜人が身体を乗っ取ったんだ」

「乗っ取った……」

レンベーレは改めて上を向く。


戸惑うようにギルティンの血がついた手を見つめるアッシュは、やはり自分が直感した通り、その外見はアッシュでも、やはりアッシュではないのだ。


「乗っ取った奴を剥がせないの!?」

「分からない……いや、今はそれどころじゃないかも……」

鳥の声に焦りが滲んだ。

フラウレティアに引き摺られる形で共鳴を始めた精霊達の動きは、更に激しさを増している。

このままでは、ここは魔穴と化してしまう。



その焦りは、同じように屋根上にいるザムリドゥアも感じていた。

目の前の娘は既に正気を失くしていて、精霊を共鳴から解くことは出来そうにない。

このままでは、ここは巨大な魔穴と化すだろう。

本来のザムリドゥアならば魔穴の中に入っても問題はないが、今のこの融合に不安が残る状態で取り込まれることは避けたい。

せっかく手に入れた新しい若い身体うつわを破損するわけにはいかないのだ。


決断は早かった。

ザムリドゥアは髪を乱すフラウレティアを放置して身を翻し、アッシュと最初に対峙した場所に戻る。

そこには濃灰のローブが落ちていて、隙間から崩れたような黒いものが見えた。

ザムリドゥアの元の身体だ。

それは陽光に当たり、荒れる魔力と強風に晒されると、ボロボロと剥がれるように飛び散って空中で霧散し、みるみる間に消えていく。


もう戻る身体はない。

このままこの未熟な身体を持ち帰り、完全なる器に育て上げるしかないのだ。


ザムリドゥアは、ローブの横を躊躇いなくすり抜ける。

屋根にボウと青白い陣が浮かんだ。

これは、ザムリドゥアが王宮からこの場所に来る為に敷いた転移魔法陣だ。

竜人でも簡単に練り上げることの出来ない、高位魔法。

ザムリドゥアはここで若い竜人(アッシュ)の身体を手に入れるつもりであったから、最後の力を練り上げて敷いたが、これを潜って王宮に戻れば効果は消え、この未熟な身体では当分魔法陣など敷くことは出来ないだろう。



ザムリドゥアは陣を踏もうとして、一瞬階下に視線を向けた。

そこには、先ほど氷の刃を向けてきた人間()がいる。

荒れる魔力圧と暴風の中、満足に動けなくなっているというのに、小癪にも攻撃的な視線をこちらに向けて、発動体に魔力を集めたままだった。


竜人(自分)に牙を剥いた人間に何の報復もせず、そのまま去ることが、何やら腹立たしい。


そのわずかな感情を意識したことが、ザムリドゥアの失敗だった。

ろくに魔法を使えない身体アッシュである為に、魔法ではなく物理的にレンベーレを害そうと、ザムリドゥアは側に落ちていた長剣に手を伸ばした。


その時だった。


屋根に這いつくばり、もはや生命を落としたかと思っていた(ギルティン)が、突然身を起こして右腕を振りかぶった。

そして、長剣の柄を掴もうとしていたザムリドゥアの手を目掛け、握っていたナイフを渾身の力で振り下ろした。





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