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奪われたもの 1

屋根の(へり)を掴み、軽い身のこなしで窓から建物上へ移動したフラウレティアは、しゃがみ込む形で着地した前方に、人形(ひとがた)のアッシュを認めた。


「アッシュ」

なぜ人形(ひとがた)なのか、そんな疑問が(よぎ)る前に、フラウレティアはアッシュの姿がそこにあったことにホッとして名を呼んだ。

しかし、アッシュがゆっくりと顔を向けると身体を強張らせた。

アッシュの口から顎には、深紅の液体が幾筋も垂れていたのだ。


それは明らかに、血の跡だ。

しかも、今、付いたばかりの……。


「アッシュ、何があったの!? ケガは!?」

フラウレティアは斜めになった屋根の上だということも忘れて駆け寄った。

先程の異様な魔力は、やはり何かがあった証拠で、アッシュは()()と対峙することになったのではないかと思った。

そして、翼竜の姿でその何かに牙を立てた為の血の跡だと思ったのだ。

人形(ひとがた)のアッシュが、口元から血を滴らせている理由など、他には思い付かない。



しかし、棒立ちのアッシュにしがみついた途端、フラウレティアの身体に悪寒が走った。

それと同時に、フラウレティアの右手首を、アッシュの大きな手の平が強く掴んだ。

「痛……っ!」

少しも加減をするつもりのない掴み方にフラウレティアは怯んだが、アッシュは更にそのまま持ち上げるように腕を上げる。

「やめてアッシュ、痛いよ。……アッシュ!」

抗議の声は聞き入れられない。

爪先立ちでようやく屋根に足が付いている程度まで持ち上げられて、フラウレティアの右肩と腕はギシギシと軋み、思わず呻き声が漏れた。


フラウレティアが苦痛に顔を歪めているというのに、アッシュはのっぺりと平坦な表情のまま、自分が吊り上げた少女を眺めた。


「……やはり人間の娘だな。これは、何かの試みなのか?」

アッシュがようやく口を開いた。


たったそれだけの言葉であったのに、フラウレティアは強い衝撃を受けた。

声は確かにアッシュのものであったが、それが彼の口から出た言葉には到底思えなかったのだ。

常にフラウレティアに向けられる親しみや情というものが、一切感じられない。


まるで、全く別人の発した言葉であるようだった。


「アッシュ……?」

腕の痛みも忘れて、震えた声で呼び掛けるも、フラウレティアの声はアッシュには届いていなかった。

アッシュは変わらず冷たく平坦な声で、言い放つ。

「どちらにしろ、()()()()()()か」


フラウレティアが目を見開いた瞬間、アッシュは彼女の腕を掴んでいない方の右手を手刀の形にして、肩を引いた。




フラウレティアの目には、それはまるで、スローモーションのように見えた。


誰のものか分からない血の跡が残る鋭い爪を、真っ直ぐフラウレティアの胸に向け、何の躊躇いもなく突き出すアッシュ―――。


頭がまるでついていかない。

普通の人間よりもはるかに運動能力が高いはずのフラウレティアであるのに、彼女はほんのわずかにも動くことが出来ず、胸に近付く爪の先を感じながら、アッシュの冷たい瞳を見つめていた。




瞬間、大きな人影がフラウレティアの視界を遮った。


「させねぇっ!」

叫んで二人の間に割り込んだのはギルティンだ。

既に抜き身の剣を構えていた彼は、割り込むと同時に、フラウレティアの腕を掴んでいたアッシュの上腕に斬りつけた。


刃が届く寸前、アッシュはフラウレティアの手首を離し、素早く腕を引いた。

手首が離され、フラウレティアの身体はギルティンの背中にぶつかって、押される形でドサリと屋根の上に投げ出された。


「……っ……ぐっ!」

重く苦悶に満ちた声に、すぐさま顔を上げたフラウレティアは、自身に向けられていたアッシュの爪を、ギルティンが左腕で受け止めているのを見た。

受け止めたといっても、何の防具もつけてはいない剥き出しの腕だ。

当然竜人(アッシュ)の爪を無傷で受け止められるはずはない。

その爪は、ギルティンの胸の前で深々と左前腕に突き立っていた。


「ギルティンさん!」

「離れてろ!」

アッシュから目を離さず、ギルティンが鋭く言葉を吐く。

両足に力を込めて押し返そうとするが、アッシュの身体はびくともしなかった。

何の感情も乗らない冷静な瞳に、ギルティンは苛立つ。


竜人は、人間とは違うよく分からない生き物だと思っていた。

だが、近くにいて生活する内、アッシュという竜人はただ分かりづらいだけで、人間と大して変わらないのではないかとも思うようになっていた。


初めての恋に戸惑い、狼狽えながらも、精一杯フラウレティアを守りたいと足掻く、一人の若者。


いつしかギルティンは、アッシュを世話の焼ける弟のようなものに感じ、二人を無事にドルゴールへ送り返してやりたいと思うようになっていたのだ。



だからこそ、余計に()()()()()()()を現実のものにするわけにはいかない。



「アッシュッ! お前は誰に力を向けたか分かってんのかっ、バカ野郎がぁっ!」

ビリビリと空気が震えるほどの覇気で、ギルティンが叫んだ。


その瞬間、全く感情の見えなかったアッシュの瞳が、微かに揺らいだのを、ギルティンは見逃さなかった。

右手に持っていた剣を迷いなく落とし、素早くアッシュの長い灰色の髪を掴んで力一杯引く。

自然とギルティンの右手側に首を向けることになったアッシュの頭に、ギルティンは噛みつくように言った。


「彼女を見ろっ!」


視線の先には、崩れるように屋根の上に落ちて動けないフラウレティアがいる。

アッシュの薄い唇が、目に見えて震えた。


「アッシュ! 彼女は誰だ! 名前を言え!」

「……う……ウ」

「名前を呼ぶんだっ!」

「……フラ、……ウ……」


フラウレティアの瞳が、大きく開かれた。



「がっ……!」

ギルティンの左腕に深く突き立っていたアッシュの右手が、更に強く、押し刺される。

その爪の先は、ギルティンの腕を縫い付けるようにして、彼の胸まで到達していた。

ゴフッとギルティンの口から、鮮血が散る。


「器の感情など、必要ない。邪魔をするな人間」

わずかに見えていた感情の揺れは消え去り、のっぺりと平坦な顔で、アッシュは冷淡に言い放った。




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