老薬師の診察
「あれ? 師匠! どうしてフラウレティアさんが助手の仕事をしてるんですか!?」
エイムが、大きな木箱にいっぱい薬瓶を並べて、隣の部屋から戻ってきた。
医療用の大きな布を、細長く裂いて包帯を作っているフラウレティアを見て、眉を寄せる。
「この人手不足の折に、丁度手の空いている者がおれば、使わねば失礼というものじゃろ」
グレーンは机で診察記録を書きながら、横目で見る。
「何が失礼なんだか。意味が分かりませんよ」
エイムはブツブツ言いながら、木箱を机に下ろした。
薬瓶がカチャカチャと音をたてる。
木箱の中の薬瓶には、様々な薬がきっちり上まで詰められていて、棚の物と同じ白いラベルに、几帳面な文字が並んでいた。
どうやらラベルの文字を書いたのはエイムのようだ。
隣の部屋は調剤室なのかもしれない。
フラウレティアは、包帯にした布をくるくると巻いていく。
アッシュは、彼女が座っている椅子の下で、身体を丸めて目を閉じていた。
石灰色の耳がピクピクと小さく動いているので、眠ってはいないようだ。
「色々お話ししながらだったので、とても楽しかったです」
この砦に来てから、こんなに話をしたのは初めてだ。
医療のことや砦の生活のことなど、グレーン薬師と話をするのは楽しかった。
「それなら良かったですが……」
「それ見ぃ、問題なかろうが。フラウレティアは手際も良い。砦におる間、儂の助手にしておきたいくらいじゃ」
グレーンが髭を片手でしごく。
「師匠、フラウレティアさんはいつまでもここに居るわけじゃないでしょう」
フラウレティアが魔穴でここに飛ばされてきたことを、砦の皆はもう知っているようだった。
「そうなのかの?」
「そうですね……、足の具合もいいし、いつまでもここでお世話になるわけにもいきません」
フラウレティアが目を伏せて言うと、エイムがハッとした。
「そうだ! 足を師匠に診てもらおうと思って一緒に来たんでした!」
慌てて言うエイムを、グレーンは呆れたように見る。
「嬢ちゃんの調子は良さそうじゃが。おぬしの診察で手に余ることでもあるのかの?」
「それが、私の見立てよりも治癒の具合が早すぎて……」
チラリとフラウレティアを見て、エイムが頭を掻いた。
「治癒が早い? どれ、診てみようかの」
グレーンが椅子の前の寝台に上がるよう、フラウレティアに示す。
フラウレティアは寝台に上がり、服の裾を捲し上げて足首を出した。
アッシュは目を開けて首を持ち上げ、グレーンがフラウレティアの足首を触診するのを静かに見つめている。
「ふむ……。嬢ちゃんは、傷の治りが早いと言われたことはあるかの?」
グレーンはエイムの書いた診察記録を見ながら聞く。
「いいえ。特に言われたことはありません。……私、何かおかしいですか?」
フラウレティアは、俯き加減にグレーンとエイムを見比べる。
グレーンは目を細めると、モフモフと髭を揺らして笑った。
「おかしなことなど、ちーっともありはせんよ。足の具合いはもう良いようだから、普段通りに動いてもよかろう」
エイムは眉を寄せる。
「でも師匠、あまりにも治りが早すぎはしませんか?」
「治りが早いことに何の不都合があろうか。薬師にとって、なんとも嬉しいことではないか」
グレーンは、まだ納得いかないような顔をしたエイムの頭を、診察記録の用紙束でペシリと叩いた。
「同じ治療をしても、体質や基礎体力で効果は全く違うわい。おぬしももう一人前の薬師なのじゃから、柔軟に対処できるようにならねば」
エイムは開きかけていた口を閉じ、グッと表情を引き締めた。
フラウレティアは裾を直して寝台を降りる。
アッシュがバサリと彼女の肩にとまって、グレーンに深紅の瞳を向けた。
グレーンはその瞳を興味深く見つめ返す。
「フラウレティアはとても丈夫な身体をしておるようじゃ。何の心配もいらんよ」
そして髭をしごいてポツリと言った。
「それにしても腹が減ったのぅ」
エイムが、あっ!と声を上げて立ち上がった。
昼時などとっくに過ぎている。
「すみません、忘れてました! 急いで昼食を貰ってきます! あ、フラウレティアさんの分も貰ってきますから!」
エイムは手に持っていた物を置くと、慌ただしく医務室を出ていった。
きっとまたマーサに、食事を忘れていると叱られるのだろう。
クスッと笑うと、アッシュが首を傾げてフラウレティアの顔を覗き込んだ。
フラウレティアはこの日、日の入りの鐘まで医務室の手伝いをして過ごした。