断れない誘い
ウルヤナ王子が口を閉じた後、フラウレティアはキョトンとした表情で、目をパチパチと瞬く。
いたたまれない、又は、どうして良いか分からない、というような反応を返されるだろうと思っていたウルヤナは、フラウレティアのその反応に軽く眉を寄せる。
「……どうした?」
「あ、いえ。よく分からなくて……」
「分からない?」
フラウレティアは軽く頷いて、領主館で講師に教えてもらったことを反芻する。
「フルデルデ王国が、代々女王陛下が治める国だとは教えてもらいました。でも、今はまだイルマニ王女様は未成人で立太子なさっていないのですよね? だったら、成人されていて年長のウルヤナ王子様に、先にご挨拶するのが当然だと思ったのです」
ウルヤナは眉を寄せたまま、数度瞬いた。
そして軽く頭を振る。
「……確かに立太子の儀はまだだが、次代も女王であることは決まっている」
「では、イルマニ王女様が即位されると決定しているのですか?」
フラウレティアは、単に疑問を口にしただけだ。
しかし、兄妹はどちらも一瞬口籠った。
「……そうだ」「いいえ」
同時に答えた兄妹の声が重なり、二人は驚いて目を見合わせた。
その途端、見かねた侍女が口を挟んだ。
「ご令嬢、控えなさい。王位継承権について、軽々しく尋ねるなど不敬ですよ」
フラウレティアはハッとして、すぐに頭を下げた。
「出過ぎた発言でした」
確かに、ただの疑問だったとはいえ、王族相手に、まだ公に発表されていない国政に関することを尋ねるなど、良くないに決まっている。
自分が失敗すれば、ディードに迷惑が掛かってしまうだろう。
慌てて言葉を重ねる。
「あの、本当に私の学びが足りなかっただけで他意はありません。王子様をご不快にさせてしまったのであれば……」
「不快ではない」
言葉を遮られた驚きでフラウレティアが目線を上げれば、遮ったウルヤナが、その発言に自分で驚いたように口元を手で覆った。
「あ……、不快ではない。ただ……驚いたのだ」
ウルヤナがバツが悪そうに目線を逸らした。
ふ、と軽くイルマニが笑った気配がした時、離れていた侍女が、遊覧船に乗る時刻だと伝えに来た。
「フラウレティア、ねえ、貴女も一緒に乗りましょう。もっともっとお話ししたいわ」
イルマニは立ち上がってフラウレティアの腕を引く。
フラウレティアは、やんわりとその手を止めた。
「いえ、心配しているでしょうから、そろそろ父の下に戻らなければ……」
元々、あまり印象に残らないようにして去る予定の園遊会だった。
それなのに、王子や王女と一緒にお茶をしている時点で、随分注目を集めてしまっているはずだ。
これ以上の同伴は、王族に懇意にされている存在として強く印象に残ってしまうだろう。
せめてそれは避けたい。
しかし、イルマニは引かなかった。
「アンバーク公には言伝するわ。だから、ね?」
軽く窘めるような顔をした侍女に指示を出し、イルマニは再びフラウレティアの腕を取った。
「お願い」
そもそも、王族の頼みを、強く蹴ることなど出来ようはずがない。
しかしそれ以上に、イルマニの視線にどこか懇願するような雰囲気を感じ、フラウレティアは断ることが出来なかった。
「……分かりました」
フラウレティアが小さく頷くと、イルマニはパッと表情を明るくした。
「良かった! 行きましょう、ほら、兄上様も!」
イルマニが軽い足取りで歩き出す。
手を離すつもりはないらしく、フラウレティアは小走りになって付いて行く。
イルマニに腕を引かれるまま、遊覧船に向かうその姿を、多くの貴族たちが何やら囁きながら見ていた。
特に若い令息令嬢達は、兄妹から一向に離れないフラウレティアのことを、恨めしそうに見ていた。
彼等はおそらく、今日この場で王女と縁を持ちたいと願っていたのだろう。
結局、一度も手を離されることなく、フラウレティアは美しく装飾をなされた、大型の遊覧船に初めて乗り込んだのだった。
「同乗は一人だ」
遊覧船へ乗り込んだフラウレティアに続き、渡り板向かったギルティンとアッシュは、直前で王家の護衛騎士に止められた。
王族所有の遊覧船内の護衛は、王族の護衛騎士が担うというわけだ。
どうする?、というようにギルティンが後ろにいるアッシュを振り向いた。
アッシュがフラウレティアから離れたくないのは知っているが、侍女ならまだしも、男性の付き人に見えているであろうアッシュを乗せるのは不自然だ。
「……アンタが乗ってくれ」
ここで止まったままでは、不自然に注目されてしまう。
アッシュはギルティンに同乗を譲って、渡り板から離れた。
船上から、フラウレティアが僅かに不安気な視線を向ける。
アッシュは、不器用ながらも出来る限り大きく笑んで、頷いて見せた。
不安に思わなくてもいい。
何があろうものなら、例え正体がバレようとも翼竜となって瞬時に側に行く。
気持ちが伝わったのか、ギルティンに促されたからか、フラウレティアは船の縁から離れた。
渡り板が外され、船が動き出した。
それと共に、フラウレティアと離れる心細さも感じ、アッシュは自嘲しながら視線を落とす。
瞬間、ぞわりとしたものを背に感じ、弾かれたように振り返る。
船を見送る人々の最後方に立っているので、後ろには誰もいない。
少し距離を置き、涼し気な日陰を作る四阿の並びと、更にその向こうに連なる木立があるだけだ。
しかし、その木立から、あの粘るような気配を感じた―――。
アッシュは深紅の目を眇めて木立を睨んだが、その気配はすぐに消え失せた。
領主館で時折感じたこの気配を、ここに来てまで感じるとは。
「一体、何なんだ……?」
思わずそんな言葉が口から漏れたが、木立は変わらず微風に葉を揺らすだけだった。