バレないように立ち回るのも仕事のうち
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パッセロ商店に行くのは毎週獣の日。
リリーさんの依頼の家庭教師はその翌々日、虫の日。
それがこの夏の間、来月の終わりまで続く予定だ。
この週に一回リリーさんの依頼を受ける日は、朝食の後アベル達が出かけるのを見送って家を出る。
アベル達には来月末まで週一でピエモンでの仕事を引き受けたと言ってある。
ピエモンのギルドにまで行くとギルド長室へと通され、そこで家庭教師っぽい服にお着替え。
服はリリーさんが用意してくれた、かっこいい黒いスーツ。そして地毛よりも遥かに鮮やかな赤い長髪を金色のリボンで一つに束ねたウイッグに、瞳の色が赤く変わって見えるイヤカフスに、目元の印象が変わって見える金縁の眼鏡。
そんなものまでリリーさんが貸してくれて、それらを身に付けると別人とまではいかないがいつもの俺とはかなり違う雰囲気の俺になった。
これなら知り合い以外には見た目でばれることはなさそうだ。
リリーさん曰く、もしもの時のために俺の素性は隠しておいた方がいいだろうとのこと。
もし知り合いや顔見知りを見かけてもばれないように、上手く立ち回るところまで仕事のうちだ。
何だか訳ありっぽい依頼なので、もしお坊ちゃんに家庭教師を付けたことが親御さんにばれた時、俺までお叱りを受けないように気を使ってくれているのかな。
まぁ、そのせいで名前はレッドって名乗ることになったのだけれど。
どうしてそんなペンネームにしたんだ、あの時の俺ーーーー!!
着替えが終わると、現在地特定機能付きバッグはバルダーナに預けておく。
バッグだけではない、三姉妹の覗き見付与もギルドの仕事の規約があるから覗き見系の付与はばれるとやばいと言って解除しておいた。
この現在地特定機能はアベルとの距離が離れていると正確な位置はわからない仕様なので、今日は王都で仕事をしているアベルからは俺がピエモン辺りにいることしかわからないはずだ。
家に帰ってくるとピエモンの冒険者ギルドにバッグがあると特定されるだろうが、いつもアベルが帰ってくるくらいの時間までにはこちらに戻っている予定だ。
うっかりアベルが早く帰ってきてバッグを辿ってギルドに来たとしても、バルダーナならきっと上手く誤魔化してくれるはずだ。
信じているぞ、バルダーナ!!
「いいか、アベルにばれると絶対にぜーーーーったいに面倒くさいことになるし俺も絡まれることになるから、絶対にヘマするんじゃねーぞ!! あー、くそ! リリー嬢め……やっかいな仕事に巻き込みやがって……くっ、メイルシュトロックなんか見せられると釣られないわけがっ。綺麗な顔をしてやることがえげつないんだよ、あそこの一族は……」
「おう、アベルにばれないようにするのも契約のうちだからな」
そうそう、これはそういう契約。仕事上の機密事項なので、アベルに内緒なのは仕方ないのだ。
というか物騒な素材の名前が聞こえてきたな。
メイルシュトロック――深い海の底で長い時間をかけ膨大な量の水の魔力を取り込んだ鉱石。それはその名の通り圧縮された津波。
強い衝撃を与えると取り込まれた水の魔力が解放され、大量の海水が津波のごとく溢れ出す鉱石。
深海でしか生成されない鉱石のため非常に珍しい鉱石で、深い海のような黒に近い紺色の輝きを持つ美しさなのだが、うっかり落とすと周囲に津波の被害をもたらすというとんでも鉱石である。
そんなやべー鉱石の名前が聞こえてきたのだが、まさかそれに釣られてこの依頼の仲介をしたのか?
頼むからそんなやべーものをこの散らかったギルド長室に置きっぱはやめろよ? てか、そんなやべー鉱石を何に使うつもりなんだ?
でもコレクションにしたいならなんかわかるな。俺も収納の中に津波をストックしているけれど、報酬でメイルシュトロックをくれると言われたらきっと釣られる。
俺も報酬の一部をメイルシュトロックにしてくれてもいいのだけど?
「ふむ、準備ができたなら行くか。リリー嬢がそろそろ迎えに来る頃だ」
いつもなら物に埋もれて封鎖状態になっているギルド長室の奥の扉。
ギルド長室は相変わらず散らかっているが、今日はその扉の前だけ置かれている物が撤去され扉が使えるようになっている。
その扉の向こうは先日リリーさんの依頼を聞いた応接室。今のところまだ人の気配はない。
バルダーナが念のためといった風で扉をノックするがやはり返事はなく、そのまま扉を開けて奥の応接室へと入った。
それとほぼ同時に何もない空間に光の線が走り、前日と同じように光の扉が描かれてその扉がゆっくりと開いた。
まるで俺達が応接室に入るのを見計らっていたかのようなタイミング。
リリーさんの扉を使った転移、入り口はどこでも出せるらしいが出口はあらかじめ設定しておいた場所にしか出せないそうだ。
しかもあの扉の中に自分以外の生物を入れるのは魔力消費が非常に激しいそうで、それはその対象の大きさと数に比例して増えていき滞在できる時間も短くなるそうだ。
便利そうですごいユニークスキルだと思ったが、やはりそれなりの制限や代償はあるらしい。
今回の依頼の間だけその扉の出口をピエモンの冒険者ギルドのこの応接室に設定させてもらって、送迎をしてもらうことになっている。
「ごきげんよう、お迎えに上がりました。お待たせいたしました……うっ、家庭教師姿もすごくすごくすごくお似合いですわ。ええ、これはすごくありありのありですわね……」
淡い水色をした品の良いドレスを身に纏ったリリーさんが、護衛の女騎士さんと共に姿を現した。
その優雅さ、どこからどう見ても貴族のお嬢様。
「おっおっおっおはようございます! 全然全く待ってません! 服もちゃんと似合ってるならよかった!」
リリーさん達の方を向いて挨拶をしたが、緊張して素で敬語が出てきたぞ。
「それとどうぞいつものように楽になさってくださいまし。それはで早速フォールカルテの方へお連れいたしましょう」
「は、はいっ! よよよよろしくお願いします!!」
楽にしていいと言われても、これから侯爵家に向かうと思うと更に緊張してきた。
「おーい、緊張しすぎてヘマすんなよー」
バルダーナの声を背後に聞きながら、リリーさんに導かれ扉の中へと入った。
扉の中の道を進み、別れ道を本棚の壁の先に港町が見える方へと進む。
この空間の中心部分は図書館、出口付近はその出口が繋がっている場所のイメージに近い景色になっていて、この道がどこに繋がっているか知っていれば迷うことはないとか。
もちろんその景色の奥へと進むこともできるので、そうするとこの空間内で迷ってしまう危険もあるとのこと。
うん、絶対に迷わないようにするしはぐれないようにするよ。
振り返れば、俺がこの空間に入ったピエモンの冒険者ギルドの方向には深い森の景色が見えた。
「さぁ、こちらを出ればフォールカルテでございます」
この空間内を歩いたのはほんの数分。
港町の風景の中に不自然に浮かび上がる光の扉をリリーさんが開けると、暑さと湿り気、そして海の香りの混ざった空気が流れてきて被っているウイッグの毛先を揺らした。
暑い夏の海の香りを感じながらその扉の向こうへと踏み出した。
そこは落ち着いたインテリアだが明らかに質の良い家具が置かれた部屋。
明るい日の光が差し込む窓の向こうには白を基調とした壁とカラフルな屋根の町並みが見えた。
そして開けられた窓からカーテンを揺らし吹き込んでくる海の香りのする風に、リリーさんの言葉通りここがフォールカルテであることを実感する。
アベルの転移魔法で遠くの地に一瞬で移動することには慣れたつもりでいたが、アベル以外の転移系のスキルを目の当たりにするとやはり一瞬で長距離を移動できるというのはすぐには実感が湧いてこない。
「ここはリリーさんの所有する店だっけ?」
確かリリーさんが個人で所有する宿屋に一度移動した後、そこから馬車でリリーさんのご実家であるプルミリエ侯爵家の本邸へと行く予定になっている。
俺の設定はリリーさんが連れてきた平民の冒険者兼スライム研究家のアドベンチャラー・レッドで本名はレッド。
たまたまフォールカルテの宿に滞在していたのをリリーさんが見つけ、お坊ちゃんの家庭教師を依頼したということになっている。
その滞在していたというのがこの宿のこの部屋ということになっている。
なかなか苦しい偶然だが、世の中には絶対ということはない。そういう偶然だってありうるのだ。
「はい。それでは今日のわたくしはプルミリエ侯爵家長女アイリス・リリー・プルミリエ――これより先、わたくしのことはアイリス嬢とお呼びくださいませ、レッド先生」
いつもと違う貴族らしい姿のリリーさんが、貴族らしい優雅さで微笑んだ。
わ、わかっているよ。今日の俺はレッド先生。そう、レッド先生。
スライム好きの少年がどんな子なのかワクワクした気分と、侯爵家という辺境伯家よりも更に上の階級の貴族様宅にお邪魔することへの緊張のドキドキが入り交じった気持ちで、宿の部屋を出て用意された馬車へと乗り込んだ。
お読みいただき、ありがとうございました。




