理不尽な絶対的存在
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剣先がリッチの体に吸い込まれるように入っていき、カンという軽い手応えがあった。
それがリッチの核になっている魔石だと確信しつつ、魔剣ナナシの反動に備えた。
しかしそれより先に、ナナシに刺されながらもリッチが沌属性の矢を無数に召喚し、その先端を俺の方へと向けた。
ほぼ密着状態のこの体勢から剣を抜いて矢を避けるのは難しい。
リッチにとどめを刺しきれていないが、ナナシから手を離して逃げれば間に合うか?
いや、このまま魔石を貫けばリッチは消滅して矢も消える。
もしここでとどめを刺しそびれ、今の攻撃で俺の魔力を覚えられたら詰みだ。
いくつか矢を喰らうかもしれないが、このままとどめを刺す!!
「グオアアアアアアアアアアアアッ!!」
剣を握る手に力を込めた直後、耳元で野太い咆吼がしてビリビリと鼓膜が揺れ、腰が抜けそうなほどの威圧感で体中から汗が噴き出した。
え? 今のカメ君の声!?
って、今の野太い咆吼でリッチの周囲に浮かんでいた黒い矢が全部消えたけど!?
え? カメ君の魔力って覚えられていて無効化されるんじゃないの?
リッチに剣を深く突き刺しながら肩にいるカメ君の方を振り返ると、なんだか首が違う形からシューッて亀に変形したというか戻ったように見えたけれど気のせい?
「カメェ?」
可愛く首を傾げているけれど、今の野太い声カメ君だよね? もしかして少しだけ本気を出した?
気になるところだが、今はそれどころではない。リッチにとどめを刺すのが先だ。
「覚えてる覚えてる覚えてる覚えていても勝てない勝てない勝てない」
「絶対者絶対者広い広い広い広い海の海の海の主主主主巨大な巨大な巨大な絶対者」
「理不尽で理不尽な理不尽すぎる理不尽な存在理不尽理不尽理不尽理不尽な自然」
どんなに強力な無効化系防御を持っていても、絶対的な力の差の前には無意味である。
小さな虫がどんなに強い毒を持っていたとしても、大きな生き物に簡単に踏み潰されてしまうように。
「我らは小さき小さき小さき小さき存在ただちっぽけな存在」
「それでもそれでも生きて……生きていて……覚えてる忘れない忘れない忘れないで」
カタカタと顎を揺らし絶対的な相手に対する絶望と諦念そして信仰にも近い畏怖の籠もった言葉が紡がれる。
「いいや、お前達の記憶は仮初めだ、全部嘘だ。だからそれの仮初めの記憶に苦しめられる必要はない」
カメ君の野太い咆吼で、俺自身も怯んでしまって力が抜けかけた手で再び剣を強く握り、リッチの体に押し込むように魔石を貫いた。
パァンッ!
魔石が弾けるような手応えがして、耳の中に無数の声が響いた。
「覚えて覚えて覚えていて覚えて探して探して探してほしいそして見つけて見つけてそこにいるのそこそこそこそこ暗い海の底ずっとずっとずっと待ってる待ってる待ってる待ってるから見つけてほしい帰りたい帰りたい帰れないだけど気付いて気付いて気付いて小さい小さい我々小さい私達小さくても生きていた見つけてこここここここにいるから」
妖精の地図の中で作られた仮初めの命。
故に反動は緩めだと思っていたが、ゴーストシップという規模とその核ともいえるリッチの嘆きは、想像以上の大きな反動となって俺の頭の中に響いた。
もしかするとこの声は、リッチだけではなくこのゴーストシップを構成しているアンデッド達の声なのだろうか。
危険な船旅をするしかなかった者達の不安、海に憧れて船に乗った者の後悔、海賊達の密かな懺悔、そして海に飲まれ暗い海底で誰にも見つけられることない者達の永遠の孤独。
それらの感情が津波のように俺の中に押し寄せてきた。
いやいやいやいや、探してくれとか言われても海の底とか無理だし、海は広いし大きいし、無理無理無理無理絶対無理無理の無理ーーーーー!!
無理無理無理無理痛い痛い痛い痛い苦しい苦しい苦しい痛い痛い痛い頭も心も耳も頭も。
あ、やばい、聞こえてくる声に引っ張られて、自分とアンデッド達の思考の境目がわからなくなってきた。
「カーーーーーッ!!」
頭の奥で響く声と思考が入り交じり始め、その苦しみで心が埋め尽くされ激しい頭痛で意識が遠のきそうになった時、カメ君の声が聞こえて我に返った。
そして手がひんやりとして気持ちいい。
その冷たさでグワングワンと頭を支配する痛みが和らいで、耳の奥に聞こえる声が少し静かになった気がする。
「あれ? カメ君?」
遠のきかけた意識が戻ってきた時、カメ君が俺の手まで移動して前足でナナシを掴みながら水で俺の手を包んでいた。
ああ、ひんやりして気持ちよかったのはカメ君の水のおかげか。
ありがとう、おかげで戻ってこれたよ。
「カ……カァ……」
ナナシを掴むカメ君が漏らした苦しそうな声で、尻尾がビクンビクンと痙攣するように揺れていることに気付いた。
「カメ君!? もしかしてナナシの反動を受けてる? 剣に触れてるから? それともこの水!? とにかく手を離すんだ!」
怒濤のように押し寄せてきていた苦痛が和らいだのは、カメ君が俺と一緒に剣を握っているから?
俺に来るはずの苦痛をカメ君が持っていってくれているから?
「カッ! カーーーッ!!」
剣から手を離すように促すと、鋭い声が返ってきた。
カメ語はわからないが、剣から手を離す気がないのは伝わってくる。
カメ君が一緒に苦痛を受け入れてくれている間に、リッチにとどめを刺せと言いたいのか。
「わかった、やるよ」
カメ君と共にナナシを握り、それをリッチの体を貫いた状態から上へと振り上げた。
すでに魔石はナナシによって貫かれ、アンデッドの存在を維持する沌の魔力はナナシのアライメント・ゼロの効果で中和されつつあるリッチの体は、ただのミイラ化した死体程度の強度になっていた。
ナナシを振り上げると、朽ち果てた脆い肉体がパリパリと崩れる感覚が手に伝わってくる。
そして聞こえてきた。
「我々は小さき存在小さい小さい大きな大きな大きな海海海海の小さな存在気付いて気付いてくれたそこにいるのそこで生きていたのそこそこそこそこそこにいたの知って死って志って広く大きな海で眠って……」
最後はだんだん小さくなって聞こえなくなって消えた。
ああ……ここにいたのは仮初めの存在だが、その元になった者達はこの世界の広い海のどこかに沈んでいるんだな。
長い長い時を海の底で、誰にも見つけられることもなく忘れ去られ、そしてそこに縛られているんだな。
深い海の底なんて人間にはどうしようもない場所。
人間にはどうしようもないが、そこに行くことのできる存在になら彼らを見つけることができるかもしれないな。
暗い海の底で救いを求める者達に、いつか救いの光が届く日が来ることを祈りながら振り切った剣を引いた。
最後の最後に誰の想いだかわからないが、それでも海が好きだったと小さく聞こえて来た気がした。
剣を突き刺したヘソの辺りから、振り抜いた頭のてっぺんへとリッチの体が二つに切り裂かれ、その体が末端からサラサラと砂となって崩れていき、頭蓋骨の中の目の光がチカチカと点滅した後だんだんと薄くなって消えた。
リッチの纏っていたどす黒い魔力はナナシの光に照らされて霧散し、全て消える頃にはリッチの体も全て砂になって、最後に船の形をした透明な魔石が真っ二つに割れた姿で地面に転がった。
そして周囲にいたワイトもリッチの消滅に合わせてサラサラと砂になって崩れ落ち、それに取り憑いていたものも光の粒となって消え始めた。
「ケッ!」
声が完全に聞こえなくなった後しばらく反動の余韻で頭がグワングワンしていたが、いつの間にか俺の肩に戻ったカメ君の声で我に返った。
カメ君を手に乗せた状態で思いっきり剣を振り上げたけれど、振り落とされなかった?
必死すぎてカメ君を気遣う余裕がなかったよ。
「カメ君、手伝ってくれてありがとう」
ナナシを使った疲労感でゲッソリしながらカメ君にお礼を言う。
一人だと押し潰されそうだったけれど、カメ君が一緒に反動を引き受けてくれたから耐えることができたよ。
「グラン、大丈夫?」
「さすがグラン、やったか!?」
心配症のアベルがバタバタとこちらに走ってくる気配がした。
その後ろからカリュオン。つい言いたくなるが不吉な言葉はやめろ。
カリュオンがちょっと不吉な言葉を口走ったが、周囲を見回すとゴーストシップの壁が溶けるように白いもやになって空中に消えていっているのが見えた。
主が消えたことにより、ゴーストシップも消え始めたのだろう。
「ああ、今度こそやったみたいだな。ナナシもう腰紐に戻っていいぞ」
リッチを斬ってやたらキラキラしているナナシに声をかけると、満足そうにカタカタとした後スーッと黒い色に変化し俺の腰紐に戻っていった。
その黒色がやたら艶々して見えたのはやべー強いリッチを斬ったからだろうか。
足元に転がっているリッチの中から出てきた魔石――真っ二つに割れてしまったが船の形をした透明な魔石を拾い上げながら上を見上げると、因果応砲で空いた大穴が更に広がっており、そこから眩しい夏の空が見えた。
幽霊船の中に入ったが財宝は手に入れることはできなかった……なんてことはない。
消えていく哀れな海の亡霊船を見送りながらも、拾った透明な船の魔石にニヤニヤが止まらない。
割れてしまっているが、元のサイズは俺の両手からはみ出すくらいの魔石。
人型のリッチから出てきたにしてはかなり大きく、大型の魔物の魔石サイズである。
そして透明。ものすごく透き通った透明。
元は真っ黒な沌の魔石だったと思われるが、おそらくはナナシのアライメント・ゼロの効果で沌の魔力が無へと変えられてしまったのだろう。
魔力がなくなったわけではない、無という属性になっただけだ。
そしてこの無という属性、無属性という存在が少ない故にその魔石も他の属性に比べて圧倒的に手に入りにくい。
手に入りにくい。そう、つまりお高い。しかもこのサイズ。その上船の形。
うおおおおおおおお!! これは下手な金銀財宝より高級品じゃないか!!
その値段を考えると、ナナシを使った疲労感なんてすっかり忘れてニヤニヤが止まらなくなった。
お読みいただき、ありがとうございました。




