黒いナニカ
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天井の幕からビロンとぶら下がるように姿を見せた真っ黒なナニカ。
まるで影のように黒く、僅かに沌の魔力を感じるだけで気配がない。パッと見、何かの影が映し出されたようにも見えてしまう。
だが、そんな影ができるようなものが会場内にあるとは思えない。
身体強化スキルを発動したまま舞台の上をざっと見回す。
ソレがいるのは司会者の真上の辺り。しかし司会者はそれに気付いている様子はない。舞台端に見える警備員も同じく、天井を全く気にしている感じはない。
主催者側が何らかの意図があって置いているもの?
それなら俺が飛び出す必要はないが、もし司会者も警備員も気付いていない危険な何かだったら。
アベルに鑑定してもらえばわかるのだが――。
一般席でもソレに気付いた者がいたのだろう、小さなざわめきが起こった。
その直後。
ニュルン。
黒いナニカが更に伸び舞台へと垂れ下がった。
キャーーーー!!
一般席から上がった悲鳴が合図になり、ざわめきが会場全体に広がり、司会者や警備の者が異変に気付いた。
その間にも黒いナニカはビロンと伸び、真下の司会者の方へと迫る。警備員はまだ舞台の脇。
司会者がそれに気付き、天井を見上げたその顔が驚きと恐怖で歪むのが見えた時には、俺の手の中には収納から取り出した拳サイズの石ころ。そして身体強化スキルを維持した状態で、それをすぐに投げることができる体勢。
舞台にいるナニカが主催者側が配置しているもの、もしくは警備の者達で対応できるものなら俺が飛び出してもただの変な人になってしまうので、武器は取り出さず身体強化だけ発動させ飛び道具を握りしめていた。
ソレから感じる本能のような殺気と、司会者の表情でソレが想定外の存在だと確信し、手の中に準備していた石をソレに向かってぶん投げた。
天井からビロンと伸びてきた黒く長い影の先端がパカリと割れ、そこから覗く鋭い牙にそれが口だとすぐにわかる。そして影から生える、ヒョロッとした黒い前足と後ろ足らしきもの。
天井から伸びているように見えたのは長い尻尾で梁にぶら下がっているのだろう。その尻尾を放し落下を始めたのか、ソイツが舞台上の司会者との距離を一気に詰めた。
警備員達が武器を抜き、ソイツの方に向かって走っているがまだ距離がある。会場からはいくつもの悲鳴が上がり、バタバタと人が動き出す音がする。
俺の投げた石ころは、その黒い生き物の脇腹の辺りに当たり、そこから体にめり込むのが見えた。
身体強化を最大にしてぶん投げたので、拳サイズの石であっても威力は高い。しかし所詮ただの石、少しでもランクの高い魔物ならぶつかって終わりだっただろう。めり込んだということは、こいつはそんなに強くないか、もしくは防御面があまり優秀ではないということだ。
俺のぶん投げた石ころに当たったソイツは、その衝撃で落下の軌道が変わって体勢も崩れ、司会者の男性から少し離れた床へと叩きつけられるように転がった。
危機一髪だった司会者さんは、ソイツの狙いがそれて床に転がった理由がわからないようで、キョロキョロしながらも黒いソイツから離れる。
それと入れ替わるように舞台端から走って来ていた二人の警備員さんは、さすが石が飛んで来た方向に気付いたようでチラリと俺の方を見た。そしてすぐに視線を戻し、小型の丸盾バックラーを構えた体勢で警戒しながら、舞台上に転がった黒いナニカに剣を振り下ろしたのが見えた。
まだソレの正体がわからないので油断はできないが、俺ものすごくいい仕事したな!!
一般席では警備員さんが客の避難を始めている。黒いソレはやはり想定外の侵入者だったようだ。
「キルシェ達は念のため窓には近寄るな。正体がわからないから何があるかわからない。見た感じトカゲの魔物っぽいなぁ? ん?」
先ほどまで黒かったソレが、だんだんと明るい茶色に色が変化している。その姿は大型のトカゲのように見える。
真っ黒だったのは、何かスキルか魔法で色を変えていたのだろうか。
ただのトカゲの魔物のようにも見えるが、沌の魔力を僅かに感じるのがなんとなく引っかかる。
沌属性の魔物ってアンデッドや魔法生物系以外は、ランクの高い種類の魔物の場合が多い。ただのトカゲが沌属性というのは、全くないわけではないが非常に珍しい。
「黒から茶色に色が変わってるね。トカゲっぽいけどこいつ……リュウノナリソコナイ?」
「リュウノナリソコナイ?」
窓枠に足をかける俺の横からアベルが舞台の方を覗き、聞き慣れない魔物の名前を口にし不思議そうな顔をしている。
名前の意味はわかる。だが、俺の記憶ではそんな魔物はいない。
首を捻りアベルが口にした名を復唱する。
そうしている間にも警備員さんが剣をリュウノナリソコナイの首に刺すのが見え、体の色は完全に黒から茶色に変化して動かなくなっていた。
その色が床の色にそっくりで、俺達のいる場所からはよく見ないと床のどこにいるかわからなくなってしまいそうだ。
時々いるんだよなぁ、周囲の色に合わせて色が変化する生き物。そういうやつってだいたい気配を消すのも上手いんだよなぁ。
前世にもそんなやつがいたよな。なんだっけカメ……カメ……カメ……カメェ?
ん? 保護色?
いやいや、首に剣が刺さっているしもう死んでいるだろ?
まさかなと思いつつ、すっかり床と同じ色になったリュウノナリソコナイを、身体強化状態で上がっている視力で観察する。
ピクッ。
前足が少し動いた。
「油断するな! そいつまだ生きているぞ!!」
窓から乗り出し叫んだ。
それとほぼ同時にリュウノナリソコナイが尻尾を振り回すように飛び起き、床に倒れていたソイツを片付けようとしていた警備員さん達を、咄嗟に構えたバックラーの上からなぎ払った。
町の中には魔物なんて滅多に現れない。王都のような、外壁と結界でガッチリと守られた町なら尚更だ。ランクの高い魔物となると更に。
よって、こういう場所での警備は対魔物よりも対人を主として想定されており、そちら方面に向いた人材がそれに合わせた装備で配置されている。
そのためこの会場の警備員のほとんどは、屋内で立ち回りやすい短めの剣と受け流すための小型盾という装備で、尻尾を振り回すようなリーチの長い殴打攻撃をしてくる魔物を相手にするのは向いていない装備である。
もちろん対魔物を想定した警備員も配備されているはずだが、そういう者はだいたい建物の外を中心に配備されている。
魔物を侵入させないためであり、当然のようにペットの持ち込みは制限され厳しいチェックのあるような場所では、魔物の襲撃は内側ではなく外側から来るものだから。
稀におチヨちゃんみたいに気付けばそこにいるような存在もいるが、妖精は気まぐれ故に積極的に人間に関わってこない者が多いのが救いだ。それでも魔物除けの結界をすり抜ける系の妖精さん達マジで警備泣かせの存在である。
しかしこいつは、おチヨちゃんのような妖精系には見えない。
大きさは見た感じ三メートルくらいだろうか? こんなやつこの建物に入る以前に町に入った時点で見つかりそうだが、もしかすると周囲に合わせて色を変える能力と気配を消す能力で警備をすり抜けてきたのだろうか?
どちらにせよ舞台上に魔物がおり、周囲を見る限り対魔物の装備をした警備員の姿が見えないのは確かである。
体色を変え気配を消す能力に加え、普通の生物なら致命傷だと思われる首への攻撃を受けてなお生きているこのトカゲ。更にトカゲの癖に沌属性の魔力。
こいつもしかして、思っているよりも厄介なやつかもしれない。
魔物慣れしていない者だと手こずりそうだな。
「ちょっと行ってくる」
「俺も行くよ」
「カッ!」
俺も冒険者用の装備ではないのでベストな状態ではないが、収納スキルのおかげで武器や薬品はあるので、対魔物の専門部隊が到着するまでの時間稼ぎなら難しくない。
俺が窓から飛び出そうとしたらアベルも着いて来る素振りを見せ、カメ君が俺の肩にピョコンと飛び乗った。
だったらアベルの転移魔法で舞台までピューッと――。
「失礼します、緊急事態のようです。アベル様、避難を」
ノック音と共に返事を待つことなく入り口の扉が開き騎士風の警備が部屋に入ってきて、アベルの眉間に皺がよった。
「俺は大丈夫だから、そこの女の子二人を安全なところにお願い。その後はすぐに会場にいる人の避難を手伝って」
アベルが警備員さん達を横目で睨むように見ながら言う。
「しかし――」
「ここの警備員達より俺達冒険者の方が魔物慣れしてるのはわかるでしょ。警備員達があの魔物を相手にして手こずるより、俺達が相手にして君達は会場にいる人を避難させることに集中した方が効率的でしょ? わかったら、たまたまAランク冒険者の俺達が運良くここにいたと思ってさっさと行って。兄上には俺が適当に言っておくから」
何か言いたそうな警備の騎士さんの言葉を遮ってアベルが強い口調で言った。それが何故か妙に威圧感があり、言われたのは俺ではないのにその雰囲気に思わず気圧された。
「行くよ!」
アベルが俺の服の襟を後ろから掴む。
ぐえ~、首が絞まるぅ~。
「グランさん、アベルさん、気を付けて!」
不安そうなキルシェの顔と、ニコリと笑うおチヨちゃんの顔が目に入った直後、視界が切り替わった。
おおう、任せろー、かっこいいAランク冒険者の俺達がパパパッと片付けてやるからなー!!
あぁ~、席に入る時にはいなかったおチヨちゃんのことをどう説明するか考えておかないと~。
お読みいただき、ありがとうございました。
明日の更新はお休みさせていただきます。日曜から再開予定です。




