閑話:ツイてない男
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なんだあれ、なんだあれ、なんだあれ、なっなななな!?
まずい、まずい、まずい、まずい、まずまずまずまずまずずずずずず!!
なんで、こんなについてない!? 今日は、ついてない!! こんな、こんなに、こここここんなに!!
逃げたい! 逃げたい!! 逃げたいたいたいたいたい!!!
だが、だが、だがだがだがだが、もう遅いかもしれない――。
犬に吠えられたと思えば、馬の糞を踏み、曲がり角に転がっていた丸太踏んでこけ、樽が転がってきてぶつかり、本当についていない。
俺のようなド底辺の平民が本来なら踏み入れることなどまずない豪華な建物――上流階級向けのオークションが行われている会場の天井裏から脱出し、警備の者に見つからないように用心しながら出口を探し関係者用通路を彷徨う。
慌てすぎて、思考がまったく纏まらない。ただ、逃げなければという気持ちが押し寄せてくる。
その俺の進む先に煌びやかな服に身を包んだ男、光源の関係で顔ははっきりと見えない。しかしこいつがこの仕事の依頼主なのは覚えている。
こいつの口車に乗ったばかりに状況は更に悪くなった、そのことを思い出し歯ぎしりをする。
ユーラティア王国王都ロンブスブルク旧市街地――この国、いやこの大陸で最も大きく華やかであろう都市の中にあり、その華やかな都市に似合わぬ古くて汚い地域。
数年前に今の王様に代替わりし、この汚い地域も少しは綺麗になった気がする。だが、それでも煌びやかな王都の表の顔に比べ、ずっと汚く貧しい地域。
何年も時間をかけ王都全体を綺麗にしていく計画らしいが、旧市街と呼ばれる古い町はまだまだ残っておりそこに暮らす住人も多い。
そうやって先に綺麗になった新市街地に住むのは貴族や平民でも裕福な者達ばかり。
その新市街地から離れるほど旧市街地は汚く治安が悪くなっていく。そう俺達のようなド底辺の平民が住む地域だ。
住めば都――誰ともなしにそんなことを言っていたが、そんなことはない。
確かにガキの頃から生まれ育ってよく知った場所としての安心感はある、だが貧しさと理不尽さしかないこの場所が都などとは思わない。
中にはここで貧しいながらも真面目に平凡に生きている奴がいる。いや、そういう奴の方が多いだろう。
冒険者でやっていけるだけの力を持っている奴なら、ド底辺の生まれでもそれなりにいい暮らしができるだろう。
俺にはそんな力はなくて冒険者に登録してみたものの、登録したばかりの給料の安いくだらない仕事に嫌気がさし、貰ったギルドカードは今ではただの身分証だ。
真面目に平凡に働くのは面倒くさい。それができたら冒険者のランクも上がり、子供が憧れるような華やかな冒険者の世界にいけていたかもしれない。
まぁ、子供の頃は憧れていたが大人になると魔物と戦うなんて命がけの仕事はしたくないと思うようになったな。
そんな感じでなかなか仕事が続かない、故に金もない。そんなド底辺だが楽に金を稼ぐ方法は、この汚い町にはいくらでもある。
汚い町にお似合いの汚い仕事。それが俺が選んだ道だった。
旧市街地の奥の方、かつてはこの地区のメインストリートだった通り、そこに俺の職場がある。
看板が上下逆にかかった酒場、そこが俺達の溜まり場。普通の職場でいう事務所のような場所だ。
ここで上司――この店の雇われ店長に仕事を貰いそれをこなし報酬を貰う。
冒険者ギルドと似たような形態だが、その仕事の内容は非合法のものがほとんどだ。
盗みや詐欺、イカサマ賭博、誘拐に人身売買、薬売りもすれば、人を殺めることもある。
もちろんただの平民だけでそれだけのことを好き放題できるわけがない。俺の職場のオーナーは名も顔も知らぬが貴族だと聞いている。
そのオーナーの指示に従い、高い報酬で法からはみ出た仕事をしていた。
弱い奴らを殴って、馬鹿な奴らを騙して借金を作らせそいつらを顎で使い、世間知らずのお嬢様を攫って身の代金を貰って、身寄りのない者を違法な奴隷商に売って、渡された薬を売って、指示をされた奴を始末する。
バレれば裁かれる仕事ではあるが、多少のことならオーナーが揉み消していく。
それにこの旧市街地内で収まることなら、治安の連中もあまり絡んでこない。ここは貧しい者ばかりが暮らす、国からも重要視されていない場所なのだ。
国王のお膝元という華やかな都市の日陰。汚くて臭くて貧しいド底辺。綺麗になっていく煌びやかな場所の裏で、ただここに生まれただけという理由でいつまでも苦しい生活を強いられる場所。
治安の奴らも面倒くさがるような、ド底辺の掃き溜めのような場所。
汚い掃き溜めの中で汚い仕事をして生きていく。それがド底辺の俺の当たり前。
そんな汚い仕事の中でもチョロくて稼ぎがいいのが、貴族のお嬢様を誘拐してその家から身の代金を貰うだけの仕事。
体面を重要視する貴族は、その娘が誘拐されたなどと絶対に表沙汰にすることはない。家の恥でもあり、その娘の価値がなくなるからだ。
だから誘拐したことを表沙汰にせずに返すと言うと簡単に身の代金を払う。
そして、今日のような休日が仕事のしやすい日である。人で混み合う場所で連れのいないお嬢様、もしくは女だけで行動しているお嬢様を狙う。
後は人の目につきにくい場所で声をかける。息のかかった店に上手く連れ込めれば成功である。
今日もそんなチョロイ仕事をして、一儲けするつもりで仲間と一緒に休日の町をウロウロしていたのだが、いつもより騎士や兵士が多く人を攫うのは難しそうに思えた。
ある程度のことはオーナーが揉み消してくれるとはいえ、表通りで人攫いをして捕まれば揉み消しようがない。
しかもこういう仕事のため、捕まった時は単独犯だとしか言えないように契約魔法をかけられている。要するに、表で捕まってしまうと助けはない。
まぁ、収穫のない日もある。捕まってしまえばそこで終わりなので、今日のところは表通りは諦めて旧市街地で弱い奴らから小遣いでも貰おうかと思い裏通りへと入った。
そしたらいつもいる犬が妙に絡んでくるし、通ろうと思った道に樽がゴロゴロしており別の道を迂回すると馬糞を踏むし、曲がり角で丸太に足を取られてこけるし、まったくもってツイてない。
これだけツイてないのだから表通りで仕事をしなかったのは正解だったかもしれない。そんなことを思いながら職場への道を歩いていると、同じ職場の仲間が貴族令嬢とその連れの平民らしきガキを追っているのが見えた。
貴族令嬢はなかなか高そうな服を着ているし、騎士も兵士もこの辺りにまで用もなく来ることはない。
今日はツイてないと思ったがやはりツイている。
このお嬢ちゃんを捕まえて一儲け……、と思ったらいきなり樽が転がって来て逃げられるし。
そういえば樽が落ちていた場所はこの道の上の方だな、あれが転がってきたのか?
逃げるガキどもを追いかけようとしたら、変な亀に水をかけられまくって結局見失うし、その後しばらく逃げたガキどもを探したが植木鉢が落ちて来たり、散乱した丸い木の実を踏んでこけたり、やはり今日はついていない。
お嬢様は最近金持ちの間で流行っている髪の色が変わる魔道具をつけており、間違いなく金持ち貴族の令嬢だったので惜しくはあったのだが、今日はもう何をやってもダメな日だと諦めて酒場へ行くと、数日前から酒場の倉庫に閉じ込めている妖精の見張りを任された。
なんでも幸運を呼ぶ妖精だとかで、その妖精がいる場所は富み栄えるらしい。
うちのオーナーがどこからともなく持って来たもので、今夜引き取りに来ることになっていた。
幸運の妖精か、今日ツイていない俺にも何かいいことがあるかもしれない。
と思った矢先、先ほどのお嬢様と連れのガキが、なんでも自分らから店にのこのこやって来たから捕まえたといって連れて来られた。
これが妖精が呼んだ幸運というやつか? この妖精がいれば何もしなくても向こうから金づるが寄ってくるというのか?
この妖精がいれば俺も――。
なんて考えが頭をよぎり、この妖精の力をどうにか利用できないかなどと考えていたら、妖精やガキどもを閉じ込めている地下室のドアが吹き飛んで、変なトカゲの群れと共に奴らが飛び出してきた。
すぐに捕まえようとしたが変なキノコを投げられ笑いが止まらなくなりしばらく動けなくなってしまった。
完全には笑いは止まらなかったが、店の方が騒がしいのでそちらに逃げたと思い裏口から店に入ると、カウンター裏のドアに丸太が刺さっていた。
その隙間から店内を覗く。
目に入ったのは赤い房のついたヘルムを被っている白銀の甲冑を身に纏った騎士とチンピラのような男が二人。いや、一人は冒険者か?
その近くにはお嬢様とガキと妖精。
店内は乱闘状態で店にいた俺の仲間の方が数で勝っているが戦況は不利のようだ。
赤い房の白銀の騎士、飾り付きヘルムということは隊長クラス。その騎士の光る拳――この王都にいる数多の騎士の中で最も有名な騎士も、強力な光属性を武器に変え戦うという話はよく知られている。
そして俺達が獲物だと思っていたお嬢様。最初に見た時はありがちな茶髪だった、しかし髪を結っていたリボンが解けた後は目の覚めるのような金髪になった。
真夏の陽光のように眩しい金髪のお嬢様に、怒り狂う白銀の騎士。
そこで気付いた。
やはり今日の俺はとことんツイてない。
相手があの騎士なら、俺達みたいなチンピラが何人束になっても勝てるわけがない。それに騎士だけではなくお供の赤と青のチンピラも強い。
仮に今は追い返せたとしてもその先は絶望しかない。
落ち着いて見ればわかりそうなことなのに、何故誰もそれに気付かず無謀にもあれに向かっていっているのだ!?
パチッ。
金髪のお嬢様と一緒にいた黒髪のガキに抱きかかえられ、それまで目を閉じていたあの白髪妖精が目を開き、丸太の隙間から中を窺う俺と目が合った。
その後、ニヤァとした不気味な笑顔。
全身が寒くなるような恐怖を感じた。
まだ変なキノコの効果で笑いが止まらないというのに、心の中は恐怖しかなかった。
あ、あれは幸福を呼ぶ妖精などではない! 不幸を呼ぶ妖精に違いない!!
俺はすぐさまその場から離れ、裏口から逃げ出した。
今ならまだ逃げ切れるかもしれない。店の者達には皆、捕まった時は単独犯だとしか応えられない契約魔法がかけられている。
それを解除できる者はいるだろうが、俺のところまで捜査の手が伸びるまでは時間がかかるだろう。それまでの間に遠くに逃げないと。
そして店から逃げ出して自宅に向かう途中でそいつにあった。
こんな汚い場所に似つかわしくない高そうで小綺麗な服を着た男――何度かオーナーの遣いで店に来たことのある男。
だが、何故か後で思い出そうとすると顔が思い出せない奴。
そいつが言う。
一つ仕事をすれば姿を変える道具と新しい身分証を用意し、離れた場所で新しい生活と新しい仕事も用意してやる。
俺はそいつの話に飛びつき、そいつの手引きで上級貴族達が住む地区にあるでかい建物の中に連れてこられた。
仕事はとある貴族の監視。
その貴族が何を話していたか、何を落札したかを記録して報告しろ? 別に失敗してもいい? とりあえずできるところまで監視しろ? 護衛がたくさんついているから気配を消すポーションをくれる?
へぇ、そんなポーションがあるんだ。まるで血のように赤い色をしたポーションだな?
なるほど、確かにこれを飲んだら体が軽くなった気がする。ホントだ、足音なく動き回れる。これなら盗みも盗聴も楽にできそうだな。
ん? ポーションの副作用で少し酒に酔ったみたいになるかもしれない?
それくらいなら、なんとでもなるな。
日が沈み空が暗くなった頃、ターゲットの貴族は個室の席にいるからと、席の配置図とそのフロアの間取り図を渡され、関係者しか立ち入ることのできない区画にある空き部屋から天井裏へと入った。
似たような個室が多く少々迷ってしまい少し遅れたが、ターゲットの貴族が個室に入った直後くらいにその部屋の上に来ることができた。
ここまで来るまでの間に、人のいる個室席の上を通ったがまったく気付かれることはなかった。これが気配を消すポーションの効果か。
指定された個室の天井には小さな穴が開けられており、そこから中を覗くと若い男が二人と小柄な少年、そして亀がいた。
亀……今日は昼間にも亀がいたな。
ポーションの副作用か? 少し頭にモヤがかかったようで頭がボーッとして、細かいことが思い出せない。
少し頭がボーッとしているが、これで監視や記録の仕事はできるのか? まぁ、そんな仕事なのに、こんな副作用のポーションを渡した奴が悪いな。
部屋にいる男二人。
銀色の方は明らかに上位貴族のオーラが出ている、こちらがターゲットの奴だ。
赤い方は……パッと見いいとこの子息風だが上品さがないし、聞こえてくる話ではどうやら平民のようだ。
そして黒髪の少年――どこかで見たことあるような見たことないような。いや、こんな美少年、見たことあったら覚えているな。
プラス亀。
こいつらが、呑気に話しながら飲み食いをしているのを上から見るだけの仕事。
その光景を見ているうちに腹が減ってきたなと思い始めた頃。
パチッ。
小さな穴から覗いているだけ、しかも気配消しのポーションを飲んでいるはずなのに、赤毛の男と目が合った。
驚いて少しだけ身じろぎした直後。
ポンッ!!
小気味の良い音が聞こえたかと思うと、赤毛が持っていたシャンパンのコルク栓が覗き穴にスポリと嵌まった。
そして、コルク栓が穴を塞ぐ瞬間、それが妙にスローモーションに見えた。
迫ってくるコルク栓でだんだんと狭くなる視界。
そして完全に天井の下が見えなくなる直前、机の下からピョコッと出てきた白い影。
それの首が壊れた人形のようにグルリと回り、ニタァと笑顔を浮かべた幼子の顔が見えた。
ひっひっひっ昼間の妖精!!
机の下から顔だけ出し、こちらに向け不気味な笑みを浮かべる妖精。
それが覗き穴が塞がれる直前に見た光景だった。
一瞬で背筋が凍るような気分になり、後ずさりしながら覗き穴から離れた。
何だあれは。
妖精も赤毛も、何だ何だ何だ何だあれは。
見つかってしまった、穴も塞がれた、監視などもう無理だ。できるところまでやって、失敗してもいいといわれている。
逃げよう。逃げよう。逃げよう。ニゲ……にげにげにげにげにげげげげげげげげ……。
驚きと恐怖で混乱しているのと、ポーションの副作用のせいで思考が纏まらない。
ただわかるのは、とにかく逃げないと。
幸いポーションの効果なのか体は妙に軽い。動きにくい天井裏を這うように四つん這いで移動し、天井裏に入った部屋へと戻る。
天井裏から空き部屋に、空き部屋から廊下へ。
慌てているので上手く走れず度々転びそうになり、その度に手を床についてこけないように体を支えながら走った。
急げば急ぐほど足が縺れ手をつく回数が増え、面倒くさいのでそのまま四つん這いのように走っていた。
そしてあの男――俺にこの仕事を与えた貴族と廊下で会った。
失敗した。穴、塞がれた。
見つかるのはやい? 違う、赤い奴がおかしい。怖いアイツもいた。
白いアイツ、怖い。俺、ニゲる。にゲたい。はやくニげないと。
ついて、コい? ニゲ道そっち?
男が誘導する方へと素直についていく。
ニゲ……ゲゲゲゲ……。
ゲッ……ゲッ……ニ……ゲ…………ッ。
………………ゲッ!
お読みいただき、ありがとうございました。




