閑話:王都の休日――とある商人の娘の場合・弐
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「ハァハァ……、助かりましたわ。あのままでしたら、ついカッとなってあの者達を斬ってしまうところでしたわ」
広場の外に出て、そこからお嬢様の手を引いて道なりに暫く走り大通りが見える場所まで来たので足を止めると、可愛い声ですごく物騒なことが聞こえた。
僕は貴族とあまり関わったことはないし、貴族や法律についてはあまり詳しくないのだけれど、貴族が平民を傷つけても無意味に命を奪うようなことでなければ、あまり大きな罪に問われない印象がある。
いや、本来は罪を犯せば貴族も平民も罪に問われる。
しかし貴族の場合その身分や家門の社会的影響力を考慮して罪が軽減されることが多い。また、平民が貴族相手に罪を犯した場合は平民同士の時より重い罰を受けることとなる。
貴族と平民の間にある身分という壁は、非常に大きなものなのだ。
先ほどの場合、明らかに平民である男達の方に非があったので、彼女が刃物を取り出して男達を斬り付けていたとしても、おそらく彼女が罪に問われることはなかっただろう。
しかし法的に大丈夫だったとしても、刃物を持ち出せば相手が反撃してくることも考えられる。
「う、うん。斬るならちゃんと仕留めないと反撃されますし危なかったですね」
そのことを考えるとどう答えていいかわからず、思わずものすごく物騒なことを言ってしまった。
だって、刃物を出したら同じように刃物で反撃をされる可能性も高いから。
「カァー……」
肩の上からカメさんのため息が聞こえた。
「あ、違う。こちらが刃物を出せば、相手に刃物を出していい理由を与えてしまいますからね。それに人を傷つけると罪に問われることもありますし、無罪になったとしても人を傷つけたことは自分の心に残りますからね」
僕が臆病なだけ? 平民と貴族はやっぱり感覚が違う? 貴族にとっては軽い気持ちなのかな? お嬢様相手に平民の僕はもしかするとまずいことを言ったかな?
「そうですわね。手が伸びてきて、あまりに触られたくなくてつい剣に手をかけてしまいましたわ」
先ほどのことを思い出したのか、女の子の表情が曇った。そしてその手が少し震えている。
そうだよね、あんな男達に絡まれて、身を守るためだけれど刃物を持ち出しそうになったって思い返すと、どちらも後で怖くなるようなことだよね。
「あんな奴らに囲まれて怖かったですよね。でももう大丈夫ですよ、アイツらも上手く撒いたみたいだし、誰も傷つけずに済みましたからね」
震える彼女の手を両手で包み込むように握って、落ち着かせるように声をかけた。
「ええ……、貴方が止めて下さったおかげですわ。重ね重ねありがとうございます」
ほわーっとした笑顔を浮かべる女の子は僕と同じ人間と思えないくらい可愛い。
僕達のいる少し細い道の先に明るくて大きな道が見え、そこを歩いている人の姿もたくさん目に入る。きっとあれがグランさんの言っていた大通りだと思う。
あの通りなら人の目も多そうだし、さっきみたいな変な奴らがいてもお嬢様に絡みづらそうだし、ここならもう大丈夫かな?
「いえいえ、それじゃ僕はこれでー、お嬢様も気を付けて。ああそうだ、ちょっとお聞きしたいのですが、冒険者ギルドってそこの大きな道をどちらに行けばいいのかわかりますか?」
大きな通りは見えるもののどちらに進めばいいのかがわからないし、もし違う通りだったら更に大変なことになってしまう。ここで間違えるわけにはいかないので、知っていたら教えてもらおうとお嬢様に聞いてみた。
「冒険者ギルドですか? そこの大きな通りに出て右に曲がって道なりに進むのが、かなり遠回りではありますがわかりやすいルートですわ。……うーん、冒険者ギルドまでわたくしが案内致しましょうか?」
お嬢様が少し考えた後、にこりと優雅に微笑んだ。
「いいの? 広場にお連れの方がいるのでは?」
こんなお金持ちのお嬢様みたいな人が一人で出歩くものなのだろうかと思い、問い返した。
王都や貴族の習慣は本で読んだことくらいしか知らない。その中ではお嬢様は、普通なら一人で出歩くようなことはなかった気がする。田舎だけれど、僕の知っているお金持ちのご婦人方は、御者が護衛を兼ねて馬車で出かける人が多いけれど、田舎で道が汚かったり移動距離が長かったりで、お金持ちの人達は馬車移動が主流だからだろうか?
僕の知識は物語の中のことなので、少しオーバーな描写だったのかもしれない。王都のお嬢様達は実際には一人で出かけるものなのかな?
田舎者の僕にはわからないや。
「いいえ、一人で出てきたので連れはいませんことよ。せっかく一人で出てきたのに目的は果たせませんでしたし、しかも変な人達にも絡まれてしまいましたし、今日はもう帰ることにしようかと思いまして。帰り道もそちらの方向ですので、助けていただいたお礼に冒険者ギルドまでお送りいたしますわ」
「そうですか、それならお言葉に甘えさせてもらおうかな。よろしくお願いします!」
お嬢様にペコリと頭を下げる。
やっぱり王都のお嬢様も一人で出かけるものなのかー。
物語にあるような護衛をゾロゾロなんて超高位の貴族とか王族くらいなのかな。そういえば僕の持っている貴族女性が主人公の物語は、階級の高いお嬢様が主人公の話がほとんどだった。
でももしお嬢様がまた変な人に絡まれそうになったら僕が頑張って追い払ってあげよう。
えへへ、そう思うとなんかお嬢様の護衛になったような気分かも? 実際はただの迷子だけれど。
「カァ……」
肩の上でカメさんのため息が聞こえた。
「暁の獅子と白夜の竜は黄昏れに見ゆ――は僕も読んでます読んでます! すごく面白い小説ですよね! 広場の人混みはその演劇の観客だったのですか。あー、見てみたかったなー、あの人混みのせいでグランさんと逸れちゃったんですが……あ、グランさんというのは僕の連れの人ですごい冒険者なんです」
「役者の方が舞台に入られる前の人混みはすごかったですね。役者の方を一目見ようとした方々が固まって役者の方について回っていたようで、わたくしもあの人混みを避けて広場の外れに行ったのですよね。演劇は観てみたかったのですが、人が多すぎて諦めました。キルシェさんのお連れの方は冒険者なのですね、わたくしのお兄様も冒険者として活躍してるのですよ」
茶髪のお嬢様――ルナちゃんと少し汚い道を並んで歩きながら、広場でのあの人混みの原因を知る。僕が読んでいる小説をルナちゃんも読んでいて、何だか嬉しいような楽しいような気分になった。
とりとめのない話をしながら歩いているだけなのに、グランさんといる時とはまた違った意味で楽しい。
僕達が歩いているのは大通りではなく、大通りより少し奥まった場所にある道。
ルナちゃん曰く、この辺りは旧市街地らしく、この道は昔のメインストリートだった道だそうだ。
大通りに比べれば道幅は狭く、そこに色々な物が置かれているゴチャゴチャとした通りだが、僕の住んでいるピエモンに比べればずっと都会に見える。
大通りは旧市街地を迂回するように大きく曲がっているらしく、こちらの道から冒険者ギルドへ行く方が近いらしい。
僕一人だったら大通りから行くしかなかったけれど、地元ッ子のルナちゃんが案内してくれるなら安心だし、近道で冒険者ギルドにも早く到着できる。
ルナちゃんを助けたつもりが僕の方が助かっちゃった。
「キルシェさんもアシユをお読みになっていらしたのですね。それに女性の方だったなんて……てっきりお若い殿方かと思いましたわ」
アシユは"暁の獅子と白夜の竜は黄昏に見ゆ――"という冒険小説の略称だ。
時々仕入れで行くアルジネにある本がたくさん置いてある喫茶店で、店主のお姉さんに勧められてそのままハマってしまい、冒険者をしながら貯めたお金で刊行されている分は全巻買ってしまった。
まさか、王都では演劇をやっているなんて、すごい人気なんだなぁ。演劇はピエモンの五日市でたまにやっている小規模のものしか観たことがなかったし、大好きな小説の演劇なので観てみたかったなぁ。
「すみません、たまに住んでいる町とは別の町に仕入れに行くので、安全を考えて男の子みたいな恰好をしてるんですよぉ。そのせいで口調もー、っていきなり手を掴んだりしてびっくりしたよね、ごめんなさい!」
そうだった、男の子みたいな恰好をしていきなり貴族の女の子の手を引っ張ってしまった。ものすごくびっくりさせてしまったかもしれないし、無礼だったかもしれない。
「いえいえ、少し驚きましたけどキルシェさんのおかげで助かりましたし感謝していますわ。それにわたくしと同じくらいの年だと思いますのに、あの機転も素晴らしかったですし、植え込みを飛び越えられたのも素敵でしたわ。それに別の町まで仕入れなんて……まさかお一人で?」
可愛い子にめちゃくちゃ褒められるとすごく照れる。
なるほど、グランさんが姉ちゃんの前でデレデレしているのはこういう気分なのか。
「今は父ちゃんと一緒に行くことが多いですが、父ちゃんが仕入れに行けない時とか近い場所は一人で行くこともありますね。あ、冒険者の仕事をしている時は一人で町の外に行くことが多いかな? ランクが低いので町の傍だけですけど」
「冒険者! わ、わたくしも冒険者になりたくて、今日冒険者ギルドに行ったら失敗してしまって……わたくしもお兄様のような冒険者になりたいのに。冒険者になって町の外、そして遠くの町にも自分の力で行ってみたいですわ」
冒険者の話になると急に興奮して、その後少し落ち込んだ様子になりながらも目を細めながら夢を語るルナちゃん。ルナちゃんの剣に手をかける動きが素速くて慣れていたのはそういうことだったのか。
遠くの町に自分の力で行ってみたいという気持ち、とてもよくわかる。
僕もいつか、アベルさんやグランさんの力を頼らず、自分の力で遠くの町に行ってみたい。
「失敗した? 年齢の条件さえ満たしていれば、登録するだけならまず断られない気がするけど、何かあったのですか?」
ジュスト君がシランドルにいる頃に年齢を低く見られて断られたと言っていたなぁ。
ジュスト君は獣人だし少し小柄だからかなー? でもそれは特殊なケースだと思うんだよね。
「断られたというか、ちょっと不都合があって逃げてきたというか……家族に反対されたので内緒で登録をしようと思ったのですが、職員に顔見知りの方がおられまして家に連れ戻されるかと思い思わず逃げてきてしまったのです」
なるほど……確かにこんな可愛くて儚いお嬢様が冒険者になりたいって言ったら家族も反対するよね。パッと見ただけでもものすごくいいところのお嬢様みたいだし。
ああ、今ならわかる。僕はルナちゃんのようなお嬢様ではないけれど、父ちゃんやグランさん、アベルさんが、僕が遠くの町まで商売に行きたいと言った時に困った顔をした理由が。
今日会ったばかりの子、僕と同じくらいの女の子、その子が冒険者になりたいと言っているのを聞いて心配になった。
反射的に、安全な場所で暮らせるのなら、無理に危険な冒険者にならなくてもと言いそうになった。
昨日、父ちゃん達が心配していることを頭ではわかっていたつもりだけれど、冒険者になりたいというルナちゃんの話を聞いてその心境をはっきりと理解することができた。
「そうだね、確かにルナちゃんみたいな可愛い子がいきなり冒険者になりたいって言ったら、ご家族もびっくりして反対しちゃうかもね。でもルナちゃんのご家族がルナちゃんのことを心配して、ルナちゃんのことが大切だから心配しているのなら、ちゃんと話し合って――説得できる材料を順番に揃えて説得してみるのはどうかな? それでもやっぱり心配で反対はされるかもしれないけど、内緒で登録するのは最後の手段でいいんじゃないかな?」
アベルさんが教えてくれたこと。
何の段取りもなしにいきなり大きな目標を現実にするのは難しい。小さなことからコツコツと積み上げて、最終目標に近づいて行く。
「そうですわね、大兄様とお母様にはどうやっても反対されそうね。でもエク兄様なら話は聞いてくれるかも。あ、エク兄様が冒険者として活動している、魔法使いのお兄様です。わたくしに剣を教えてくれた騎士のノワ兄様も、もしかすると話を聞いてくれるかも」
「反対しているのはお二人で、他のお二人は相談に乗ってくれそうなんですね? だったら二人のお兄さんに相談しながら、自分のできることを示して、足りないのなら説得材料を増やして、まずは二人のお兄様を味方にしてみては? いきなりご家族全員を説得するのが無理でも一人ずつ説得していくのです。それでもやっぱり冒険者は危ないことはたくさんあるから、ご家族とよく相談されて、ルナちゃんの力と覚悟を示さないといけませんね」
だいたいグランさんとアベルさんに僕が言われたことだけれど。
「そ、そうですね。まずは話を聞いてくれそうなお兄様達に相談しなおしてみますわ。それから大兄様とお母様ともう一度ちゃんと話し合ってみますわ」
ルナちゃんは貴族だから、きっと僕の場合よりもっともっと冒険者への道のりは厳しいだろう。
命の危険もある冒険者だから本当はやめるように説得するべきなのだろうけれど、ルナちゃんの遠くへ自分の力で行きたいという夢を僕には否定することができなかった。
ただルナちゃんと話しているうちに、父ちゃん達が心配していたこともわかったし、自分なりにこれからどうしたいか頭の中を整理できた気がする。
僕もまた自分のできることから少しずつ自分の目標に向かって進んでいこうと、ルナちゃんと話しているうちにやる気がみなぎり始めた。
でも、まずはグランさんと合流して迷子から脱出しないと。
お読みいただき、ありがとうございました。




