キルシェの夢
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昼食を終えたところでアリシアが店にでて入れ代わりで、パッセロさんが昼休憩のためやってきた。
偶然に高額品を手に入れてしまったキルシェ、自分でもどうしていいか判断に困っているようで、とりあえず保護者でありベテラン商人のパッセロさんに相談することを薦めた。
「ふむぅ……これはまた……」
白い手袋を嵌めて、キルシェから渡された赤い鱗をマジマジと観察するパッセロさん。その難しそうな表情からして、おそらくこの鱗の正体に気付いたのだろう。
「父ちゃん、どう思う? ものすごい値段のものらしいけど、やっぱ売っちゃうのがいいかな? 売ったお金でお店を広げたり、馬車を新しくしたりできるし?」
そうだなぁ、鱗を売った金で馬車を大きめのしっかりしたものに買い換えても充分おつりがくるだろうし、そのおつりでも店の設備を整えるにも足りそうだ。
しかしパッセロさんは更に難しい表情になる。
「ふむ、確かにその鱗を売った金を店のために使おうと思う気持ちはありがたい。しかし、それは偶然とはいえキルシェが手に入れたものだ。キルシェも商人であるなら、個人と店は分けて考えなさい、そして店はキルシェのものではなく私のものだ。これがどういう意味かわかるな?」
あ……。
「あー、僕と父ちゃん……父ちゃんの店は別で、僕がこれを売って馬車や店の設備を買うと、僕の資産を対価なしにお金を店に入れることになる」
「そうだ、たとえ身内であっても店と個人の線引きはしなくてはならない。自分に余裕がある時に対価なしに金を店に入れるということは、その逆もまたあり得るということだ。そして見合わない対価での取り引きは、自分に有利なことだとしてもよく考えて行わなければならない。ただより怖いものはない、安物買いの銭失い、これはキルシェも知っているだろう? 対価の見合わない取り引きは恐ろしいものだ。金は良好な関係の身内であっても、それを壊すことがある。よく考えて、その鱗はキルシェのものだとして扱いなさい」
キルシェとパッセロさんの会話を聞いてハッとなった。
俺も身内だからって結構適当にやっているところがあるなぁ。特にアベルには頼りすぎている気がする。だって転移魔法便利なんだもん。
アベルも付き合いがいいので、俺の行きたい場所に付き合ってくれることが多くその度にアベルの転移魔法に頼っている。
それが当たり前だと思わないよう、感謝の気持ちを忘れないよう……改めて礼を言うのは少し気恥ずかしいから、その都度ちゃんと感謝を伝えるようにしよう。そうだな、もう少しアベルの好きなメニューを出すようにしようかな。
「カ? カァ~?」
そうだな、カメ君も大サービスしすぎだな。
パッセロ商店の人達がカメ君の正体を知らないから今回は仕方ないけれど、やりすぎてそれが当たり前になってしまうと、カメ君もきっと辛い思いをすることになるだろうし、せっかくできた人との良好な関係が崩れてしまうかもしれない。
「そうだな、世の中には学ぶことはたくさんあるなぁ」
「カ~」
小さな声で囁くとカメ君がすぐ横で頷く気配がした。
「その鱗は高額のものなのはキルシェもわかるな? キルシェも商人としての自覚があり一人前の商人を目指すのなら、それを手に入れたキルシェが思うように使ってみなさい」
「僕の思うように……、だったらこの鱗を売って自分用の馬車か騎獣が欲しいかも。父ちゃんが復帰して僕の仕事も減ったし、この店は姉ちゃんが婿を取って継ぐと思うし、いつかは僕も自立しないといけないし、その時は色々な町を行き来する商売がしたいなって」
なるほど、キルシェが冒険者として活動を始めたのはそういう理由があったのか。
町を渡り歩く商人なら最低限自分の身を守れる程度の強さが必要だ。行商やキャラバンなどで移動の多い商人は、冒険者の資格を持っている者が多くランクもそこそこ高い者が多い。
「ふむ……、行商人か……」
「仕入れで色んな町に行くのが楽しいからさ、このままそういう仕事がしたいなって? だったら、こっちから行く時は物を持って遠くの町まで行って売って、帰りにはそっちの物を買って戻ってくるみたいなやり方にしたいなって。最初から大きな取り引きは無理だろうから、まずは色々な町で露店をしながら、五日市みたいなバザーを探して参加しようかなって」
将来のことをキラキラとした表情で話すキルシェとは対照的に、パッセロさんは少し困り顔だ。
そりゃそうだよなぁ……、キルシェの思うようにやっていいと言ったら、まさか他の町と行き来するために馬車か騎獣が欲しいだなんて予想外だったのだろう。もっとこう、鱗を売ったお金で自分の店を持ちたいとか、何かに投資したいという答えを予想していたに違いない。
他の町を行き来するとなると、事故や魔物以外に野盗の危険もある。パッセロさんの代わりに他の町に仕入れに行っていたといっても、人通りの多い整えられた街道沿いの町ばかりのようだったし、絶対というわけではないが、それでも比較的安全な方である。
遠くの町に行くことになると、治安の悪い場所もあり商人は特に狙われやすい。男ならともかく、キルシェは女の子だし、そりゃ心配だよなぁ。俺も心配だし。
しかしキルシェの思うようにしていいと言った手前、反対もしづらい状況だ。
「ふむ、グラン君とアベル君はどう思う? キルシェは最近、冒険者の仕事もしているみたいだが、グラン君達から見てキルシェはどうかね? 町の外のこと、遠い町のことはグラン君達の方が詳しいだろう」
え? そこ、俺に振るの!?
「そうだなぁ、キルシェと一緒に行動したのはネライダ湖に行った時か、あの時はEランクだったっけ? あれからランクは上がってる?」
Dまで行けば冒険者としては脱初心者で、町の外の仕事が増えてくる。そのためDに上がる試験を受ける条件はそれまでより厳しく、試験の合格ラインも厳しい。
あの湖に行ったのが三ヶ月半くらい前だが、キルシェは冒険者に登録するまでは戦闘経験はほとんどなし、しかも店の手伝いと兼業だ。試験の条件を満たす数の依頼をこなすまでもう暫くかかるのではと予想する。
「いえ、まだ依頼の消化数が足りなくてDに上がる試験が受けられないんですよ」
やはり、予想通り。
「そうだねぇ、大きな街道沿いの町だけならDランクでも問題ないかな? でも何泊もしないといけないような遠くの町に行きたいとか、大きな街道から外れる町にも行きたいとなるとCランクは欲しいかな? Dランクで町の外の仕事が増えるといっても、町や大きな街道周辺、ランクの低いダンジョンの仕事ばかりなんだ。町から遠く離れる仕事はC以上のものがほとんど、つまり町から離れた場所はCランクかそれ以上の危険があるってことなんだ」
「Cランクですか……」
キルシェに戸惑いの表情が見える。
つい最近冒険者に登録したばかりの彼女には、Cランクというランクはかなり高いハードルだろう。
冒険者はDからCランクが最も多く、平均的な冒険者の上の方がCランクといった感じだ。 頻繁に活動しているDランクの専業冒険者で一般的な平民成人男性の収入と同じか少し多いくらい、Cなら生活に余裕が持てるくらいの収入になる。
冒険者自身と敵の強さ、依頼の危険度との兼ね合い、DからCランクが冒険者のボリュームゾーンである。
つまりそこまでランクを上げるなら、無理に行商をしなくても余裕のある生活ができるレベルに稼げるということなのだ。
それでも行商をする者が、高ランクの冒険者の資格を持っている者が多いのは、もっと稼ぎたいという人の欲望なのか、それとも根っからの商売好きの商人なのか。
「そうだなぁ、行商のために遠くの町と行き来していると、いつか野盗に遭遇することもあるだろう。そういったものの対処を考えるとやはりCくらいは必要だな」
「野盗ですか……」
そう、町の外を行き来する商人にとって避けては通れないのが野盗問題。
人通りの多い街道や治安の良い町の周辺では昼間ならあまり遭遇することはないが、治安の悪い地域、整備されていない街道、大きな街道であっても夜間などは野盗に襲撃されやすい。特に商人の荷馬車は最も狙われやすい。
盗賊に襲われると命の危険があるのは当然だが、それと同時に自分が生きるために相手――人間を殺さなければならない。護衛を雇って自分は積極的に戦わないとしても、人の死ぬ場面を見ることになる。それは野盗だけではなく、自分が雇った護衛が死ぬこともある。
もう随分冒険者として生活し、時にこういう破落戸と剣を交え命を奪うこともあり、それに慣れたと思っていても、この手の命のやりとりの後はやはり精神的にくる。
町の外を行き来する商人になるなら、絶対に避けては通れない。パッセロさんが困った顔になったのはこのこともあるのだろう。
「昼間のピエモン周辺ならそういう奴らはほとんどいないようだが、遠くの町と行き来する商人として活動すれば、予期せぬ事態で治安の悪い道や夜間の移動をしないといけない時もあるだろう、そうすれば賊に出くわすこともあると思う。冒険者ランクも必要だが、その危険とその場面――人同士の命のやりとりがあることを受け入れることも必要だ。その覚悟はあるのかい?」
厳しい質問だが、遠くの町と行き来をする商人になりたいというのなら、避けては通れない道なのだ。
中途半端な希望は、キルシェ自身の命と心に関わってくるのだ。
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