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遺産相続人 〜猫たちの時間7〜  作者: segakiyui
7.儀式

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4

「っっ!」

 声にならない悲鳴を上げて、びくんと周一郎が跳ね上がった。剥き出しになった片腕に一筋鮮やかな紅が走り、見る見る粒を作って膨れ上がる。やがてそれは傷を伝って指先へ流れ出し、ポトン…と小さな音を湯船の中で立てた。

「っ、っ、っ」

 顔を背け、眉を顰め、激痛に猿轡を噛み締めて、周一郎がもがく度に血は次々と溢れて腕を伝い落ちて行く。ばさりと周一郎の髪が額に乱れ、汗が一筋二筋流れた。

「放せ! てめえ死んでこい! 化けて出てやるからな! 一生ここに取り憑いて、お前のやったことを夜毎に恨んで出てくるからなあ!」

 馬鹿なことを口走っているとは思ったが、とても止められなかった。

 ポタ、ポタ、ポタと血の落ちる間隔が短くなり速くなるのを聞きながら、次第にぐったりとしていく周一郎が見える。苦痛に彷徨っていた瞳がだんだん閉じていく。眉が緩み、唇から力が抜けてくる。瞼に青い影が澱み始め、汗で張り付いていた髪が滑り落ちていく。

「ばか! しっかりしろ、周一郎! こんなとこで死ぬ奴があるか! 怪奇に殺人、ポルノにSMの4本立てを作る気かよ! ここは三流映画館かよ!!」

「元気がいいな、お前は」

 呆れたように久が呟き、周一郎の上から退いた。

 だが、周一郎はもがくだけの力もなくなってしまったようにぐったりしている。流れ続ける鮮血、湯船の中に溜まっていくとろりと赤い液体。

「さあ鈴音、準備はできた、お入り」

 久は優しく促した。頷いた鈴音が一歩、湯船の中へ踏み込む。

「っっっ」

 寒気が体を走った。おぞましさに震える。

「もう少し増やしてあげるから、それを浴びて永遠に若く美しくいておくれ…さて、次は」

 囁きながら振り返った久が歩み寄ってくるのに、泣きたくなってきた。

 誰がこんなシナリオを書いたんだ。俺はスーパーヒーローじゃない。いきなり立ち上がって久をぶっ飛ばし、周一郎を助け出しなぞという芸当ができるわけはないのだ。

 けれども何かをしない限り、俺も周一郎も一巻の終わりには違いなかった。でもって、手元にある武器といえば、この縛られた体だけだ。

 近づいてきた久がついにぐっと俺の肩を掴んだ。

 と、まるでそれを待っていたように、周一郎が目を開き、戸口へ視線を走らせた。思惑通りのものが見つかったのか、傷つけられた片腕を突き、眉をしかめながら体を起こす。

「!」

 ぎょっとした顔で振り返る久の顔に、青灰色のスライムが(その瞬間は確かにそう見えた)へばりついた。ただし、このスライムは爪付きで、おまけに主人思いこの上ないところへもって、流された血に野生の呼び声を掻き立てられていたと見え、バリバリと音がしたんじゃないかと思うほど久の顔を掻きむしった。

 偉いぞルト! 頑張れ俺! そうとも、ここでやらなきゃ男じゃない!

 俺は必死に足を延ばすと、尻を支点に久の足元に勢いよく振り回した足をぶつけてやった。

「うわっ!!」

「あなた!」

 怒号混じりの叫びと悲鳴が交錯する。もろに上下の攻撃を食らった久が、床板の上にぶっ倒れる。慌てて駆け寄ろうとする鈴音を制するように、高らかに響く聞き慣れた声。

「そこまで!!」

 もがいて起きようとしていた久も、助けようとしていた鈴音も、身構えた俺も、声の方に振り向いた。

「真打ち登場……って言うのは出来過ぎかしらね、志郎」

 左手の戸口に立っていた女がにっこり笑った。その両側からばらばらと警官が飛び出してきて、右手の戸を固め、俺と周一郎の拘束を解いてくれた。

「うん、かなり」

 じっとりとお由宇を睨む。

「帰ったんじゃなかったのか」

「私があんな中途半端な状態で納得すると思ってたの?」

「思ってない、思ってないけど…」

 どうしてもっと早く来なかったんだよ、見ろ、周一郎がやられちまったじゃないか。

 唸りかけた俺を珍しく周一郎が呼ぶ。

「瀧さん…」

「うん? 何だっ?!」

 慌てて側へ飛んでいくと、相手は淡い苦笑を浮かべている。

「実は…僕との作戦だったんです」

「何ーっ?!」

「これで状況は逐一伝わっていて」

 周一郎は懐の奥から小さな塊を取り出した。

「盗聴器…?」

「つまり、周一郎は囮だったってわけ」

 にこやかに笑うお由宇と僅かに済まなそうな周一郎を、俺は見比べた。

 んじゃ何か? ハラハラしてたのは俺だけで、周一郎は不安も心配もしていなかったってわけか?

「にしても! もうちょっと早く来れば、こいつだって怪我せずに済んだし、あの子だって殺されずに済んだんだぞ!」

「そうね…」

 お由宇は暗い目になって、床に転がった少女を見下ろした。

「大きな失策、だわね」

「あ、いや、その…」

 助けに来てもらったのは確かに嬉しいのだ。あのままでは生還の確率なんてほとんどなかったんだし、それこそ周一郎がどうなってたかわからない。

「石蕗久さん、鈴音さん」

 厚木警部が進み出た。

「殺人現行犯と未遂の容疑があります、ご同行願えますな?」

「し、失敬な! 志垣は何をやってるんだ!」

 喚く久に警部は冷たく突き放した。

「彼は贈収賄容疑で取り調べ中です」

「…録音は?」

 さすがに弱々しい声で周一郎がお由宇に尋ねた。

「うまくいったわ。感度がよかったわね」

「ろく、おんっ?]

「はい」

 周一郎は俺を見上げた。台の上で何とか体を支えながら、先ほどの塊を示す。

「今の会話も全部」

「おいおい…」

「脱がされた時は見つかるかと、ちょっとひやりとしましたが」

「そうだ、お前、傷は!」

 慌てて覗き込んだ右腕には既に手当てがされていた。白い包帯が目一杯巻かれているが、止血仕切れていないのか薄赤く血が滲んでいる。

「そう、ですね」

 ぼんやりとした声で周一郎は頷いた。

「ちょっと、流しすぎた、かも…」

 ふらりと揺れた上半身が倒れかかるのを、危うく受け止める。ことん、と無防備に周一郎が頭をもたれさせて来た。

「大丈夫か?」

「すみ、ません」

 にゃあん。周一郎の膝に登って来たルトが心配そうに鳴く。

「少し休んでろ」

「はい…」

 疲れた顔で目を閉じる周一郎を支えながら、厚木警部と久の方を振り向いた。追い詰められた獣のような久の表情が猛々しい。警官達は周囲を取り巻いてはいるものの、厚木警部の指示待ちなのか、それとも有力者である久の白旗を待っているのか、それ以上は接近しないようだ。

「もう逃げられませんよ、石蕗さん」

「…」

 厚木警部を睨みつける久、身動きしない厚木警部。睨み合いの緊迫に、もう1人の犯人のことは忘れられていた、その時、ひらりと鈴音の手が動いた。

「が!」「しまった!」

 ぎくりと体を硬直させる久の後ろで、再び鈴音の手が閃き、警官達が駆け寄る前に隠し持っていた剣を自分の胸へと突き立てる。


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