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「俺は『これ』を母親から引き継いだだけだ。母は言っていた、お前は石蕗家の主、ここを治める領主、その領主が自分のものである領民をどうしようと、俺の勝手だ、と。そうだ…いつもいつも……石蕗家……石蕗家、と…」
声が暗く重いものになった。
「そうして、母は俺の自由を奪ったんだ。石蕗家だと?! 糞喰らえだ!」
久はケタケタと常軌を逸した笑い声を上げた。
「ああ、そうとも、母が死んで、清々したとも!」
俺は唾を飲んだ。
「じゃあ…さくさんを殺したのはあんたなのか…?」
「俺? 俺が殺れるわけはないじゃないか! 母は強大だった。いつも俺の上に君臨していた。だからと言って殺したって? いや、俺が母を殺せるわけはない! 俺は母が好きだったんだ。大好きだったんだ。たとえ、親父を殺そうとも…」
「っ」
無茶苦茶な言い草に思わず目を剥いた。
久の顔は妙に引き攣れていた。病的な笑いが絶えず唇から漏れていた。これが、あの傲岸不遜な久だとは思えない変化だった。
「この人は…お義母様を愛していらっしゃいました……殺せるはずがありません」
鈴音が静かに言った。久の気が違ったとしか思えないはしゃぎ方と対照的だ。
「伸次さんを…さくさんが…」
俺の声は掠れていた。
「親父はこれを止めさせたがっていたのさ! 止めなければ、実子であろうと訴えるなんて脅しやがって…だからお袋が殺ってくれたんだ。俺のやる事を邪魔するような親は要らないと言ってな」
「じゃあ……鈴音、さんが…?」
「いいえ」
鈴音はゆっくり首を振った。
「お義母様がなぜ亡くなられたのか、私も知らないのです」
「でも、あなたはあの時…」
充満した血の匂いに溺れそうになりながら尋ねる。
「あの夜…第三の悲劇が起こる…って…?」
「てっきり、この人がお義母様を……でも、よく考えれば、この人にお義母様を殺せるはずなかったんです。抑え付けられて、お義母様を殺したいと憎みながらも、結局、お義母様から離れられない人ですもの」
鈴音の声には哀れみが響いた。
ふっと周一郎が目を上げる。その目に肯定が浮かんでいる。周一郎は、そんな久の性格など、一目で見抜いていたのだろう。
「因果ですわね、二代続けて、連れ合いを殺すなんて…」
「え…」
「朱音さんを殺したのは、この人なんです」
鈴音はさらりと魂の欠けた口調で言い放った。
「あいつが殺してくれ、と言ったんだ。朱音が、もう生きていたくないと…」
久が口の中でぶつぶつと唸る。
「朱音さんは自殺願望があったんです。けれど、自分ではいつも死に切れなくて」
「…それで…第三の悲劇…」
「朱音さんを殺した時に、既にこの人は血を求めずにはいられなくなっていたんです。それが恐ろしく、怖くてたまらなかったのは事実です。でも、その時には…」
儚い微笑が零れた。
「私はこの人を愛しすぎていました。それら全てを受け入れてしまえるほどに……私の中の『魔』が、この人のものと一緒にどんどん大きくなっていくのが、恐ろしくもあり、また不思議に嬉しくもあったのです」
奇妙な告白だった。
血の匂いも香の薫りも全て消し去るような妖しさを含んだ告白だった。
鈴音はゆっくり久に体をもたせかけた。
「だからと言って」
俺は混乱する気持ちをなんとか吐き出そうとした。
「だから、と言って」
「私は、この人がどんな人であってもいい。どんな悪人でも、私は他の誰よりもこの人を愛しているんです」
「…流れ切ったな」
会話と無関係にぽつりと久が呟いて、どきっとした。
「あなたのことを調べた時に、私、あなたと朝倉さんの関わりを知りました。朝倉さんがどれほど頭の切れる方か、どれほどあなたのことに必死になられるのか…」
寂しげな表情を瞳に浮かべて、鈴音は小首を傾げた。
「あなたがいらっしゃった時、私はお義父様に感心いたしました。確かにあなたを呼べば、朝倉さんが乗り込んで来られるのは必至、幸い、あなたは孤児で身内らしいものもおられず、呼ぶのも容易かった。そして、朝倉さんはお義父様のお見立て通り、約束を繰り上げ、スケジュールを調整し直されてまで、あなたの後を追っていらっしゃった……石蕗家の良からぬ噂を耳にされていたのでしょう」
「周一郎…」
じっと鈴音を見上げている周一郎に目をやった。
「お前…」
「…」
俺の視線を眩そうに受け止め、周一郎は怒ったように顔を背けた。微かに赤面したようだが、続いた鈴音のことばにきらっと目を光らせた。
「それに、私、滝様がいらっしゃる前後から、しきりに青灰色の猫を見ましたわ。あれは朝倉さんの猫でしたのね」
「は、はは……。……っ?!」
なんだそんな時からルトが来ていたのか、そう笑いかけてはっとする。
なぜ、『そんなこと』を気にしている?
俺の疑問に答えるように鈴音は微笑んだ。
「滝様のご様子を見に来させていらっしゃったのでしょう? そう言った噂を耳にしたことがありますわ、猫の目で、物が見える少年の話を」
細めた周一郎の目が猛々しい色を帯びていた。
「誰にも話していませんわ。ご心配には及びません」
「それにな」
久の太い声が突然入ってくる。台の上から無造作に死体を蹴落とし、周一郎の方へ近づいてくる。
「そんな噂もこれから聞かれなくなるさ」
「っっ」
ことばの意味が電流のように体の中を走り抜けた。一部分、あるいは数カ所ぐらいショートしたのかもしれない。腕を掴まれた周一郎が、どんな目に合うのか、見えるようにわかってしまった。
「おい、何をする!」
「騒ぐな。どうせお前も、後から追うことになる」
冷ややかな声で俺の抗議を断ち切る。もがきながら、周一郎が台の上に引きずり挙げられる。乱れた着物の上から巻き付けられていた紐が1本外され、片腕を捻り上げられたまま袖から抜かれる。
「1滴でも無駄にすると惜しいからね」
果物からジュースを絞るように言い捨てて、久は周一郎を台の上に押し付け、片腕を伸ばさせた。
「ばか! あほ! おたんちん! 何する気だ!」
喚き散らす俺の前で、鈴音が剣を振り上げる。
「やめろっ! ボケナス! ボケきゅうり! ボケにんじん!」
鋭い周一郎の目が鈴音を、続いて俺を捉える。
「あまり傷つけるな。ゆっくり絞った方がいい」
もがきかけた周一郎の腕がより強く押さえつけられる。頷いた鈴音の剣が灯皿の光を反射し、一瞬強く光った。
「やめろおおおっっ!!」




