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結局、お由宇はなぜ鈴音を疑っているのか、話さなかった。
そろそろ昼近い日差しの中を、ぼんやり歩きながら俺は考えている。
(何か理由があるんだろうが)
もともとお由宇の考えていることはよくわからないし、考えても無駄かもしれない。
「だよなあ、まあ今はとにかく」
俺は俺なりに、そう、例えば着物の裾を踏んづけてこけなくなっただけ、進歩したことを喜んで…。
「わーい…あ!」
どすん、と背後から突き当られてバランスを崩す。慌てて踏み直した右足がいつかのように宙を踏む。
「へ?」
「滝様!」
鈴音の声が背後で流れた。
「おじちゃん!」
「どあっ!」
バシャン、と勢いよく池に飛び込んで、慌てて跳ね起きた。そりゃあこれだけ何回も突っ込めば動きも速くなるだろう。
「ふふふ俺だってなあ学習効果というものがだなあ」
胸元に突っ込んでびちびち跳ね回る鯉を暗く笑いながら引っ張り出す。
「おじちゃあん……大丈夫?」
すぐ側にペタンと座り込んだ皖だか亘だかわからん子どもが、口調だけは心配そうに覗き込んできた。
「亘! もう、なんてことを!」
慌てて駆け寄ってくる鈴音に着物を絞りながら池から出る。
「申し訳ありません! すぐにお着替えをお持ちしますね」
「びしょ濡れだね!」
嬉しそうな亘をじろりと睨んだが、相手は堪えた様子もない。無邪気ににこにこされていると、何となく仕方ないなという気になってきて、溜め息混じりに尋ねた。
「一体何してたんだ?」
「鬼ごっこ! かあさまが鬼なの!」
「亘! いけません、先にお謝りなさい」
「はい、かあさま」
亘はちょっと舌を出してぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい」
「本当に申し訳ありません、早くこちらへ」
鈴音の白い指先が腕にかかってどきりとする。
「どうぞ」
「はあ…」
引っ張られていきながら、視界の端に白いものが見えてギクリとした。そうっとそちらへ視線だけ動かすと、木立の陰に小さな人影が立ち竦んでいる。側ではしゃいでいるのとそっくりな、とするとこちらは皖なのだろう。
どうしてそんなところに隠れてる、と首を捻りかけて相手の表情に気づく。寂しそうに不安そうに唇を嚙んで眉をひそめ、それでも諦めようとして諦めきれない何かを追うように、目を見開いて、こちらを見つめている。
「?」
ついそちらを向いてしまうと、はっとしたように相手はなお身を竦めた。怯えたような目になって、1、2歩後ろへ下がったかと思うと、くるりと身を翻し、引き止める間もなく姿を消す。
「滝さん?」
「あ、はいはい」
鈴音の促しに急いで足を踏み出したが、俺はその時の皖の表情が妙に心に引っかかった。




