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遺産相続人 〜猫たちの時間7〜  作者: segakiyui
3.事件

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4

「滝さん」

 廊下に立っていた周一郎は、俺の姿を認めて声をかけてきた。片頬を部屋から漏れる明かりに照らさせて、こちらへ近づいてくる。

「どうしたんだ?」

「さくが殺されました」

「っ」

「自室で、床の間に飾ってあった刀に首を当てて倒れ込んだ状態です。ただ…」

 瞳が暗く翳った。

「その刀は抜き身だったんです」

 ごくりと思わず唾を飲んだ。

 頚動脈というものを切ると、2~3メートル血が噴き上がると聞いたことがある。血の海なぞという『平面的』なことで済んでないに違いない。

 屋敷は妙なざわめきに満ちていた。パニック寸前の群衆の囁きが一番近いかも知れない。その中で周一郎だけが森閑と静まり返った湖を思わせる落ち着きを保っている。

「犯人は?」

「今のところは何とも。さくの部屋は誰でも自由に出入り出来たはずですから、疑うなら屋敷に居た者全てということになるんでしょうね」

 鈴音の様子が蘇った。蒼白な頬に強張った表情、乱れた髪の下、瞳の昏い熱っぽさにさくの殺人が重なる。

(冗談じゃない)

 それじゃあ、この屋敷は極め付けの化け物屋敷じゃないか。

 ぞくぞくして体を震わせると、周一郎が意味ありげな苦笑を浮かべた。

「何だ?」

「あなたは人を信じすぎます」

「じゃあ、お前は犯人が誰だかわかってるのか?」

「さあ…」

 瞳を微かに煙らせて周一郎はことばを濁した。

「…何か知ってるな?」

「まだ推測の域を出ていません。それより警察が来たようですよ」

 肩越しに視線を投げながら、周一郎はさらりと問いかけを躱した。

 釣られてそちらを見る俺の目に、どやどやと人の塊が進んでくるのが見える。久が緊張した顔で一目で警察畑とわかる隣の男と話しながらやってくる。

「…え?」

 その横の二人連れに気づいて、俺は呆気に取られた。

 相手も突っ立っている俺と周一郎に気づいたらしい。俺達に視線を留め、慌てる様子もなく、にっこり鮮やかに笑って見せた。

「あら、志郎」

「お…由宇…」


「珍しい所で会ったわね」

 お由宇は涼しげな淡いグリーンのワンピースをすっきり着こなして、俺の前で膝を揃えていた。

「まさか、」

 もう1人の知り合い、厚木警部が例によって例の如く、ポンポンと数カ所、ポケットを叩き回った後で内ポケットからハイライトを取り出して咥えた。こちらはややくたびれた灰色の背広上下、今は上着を脱いで胡坐をかいた状態だ。

「こんなところで君達に会うとはね」

「こっちこそ、ですよ。いいんですか、現場検証とかに付いてかなくても」

「何、こっちはちょいと『別件』でね。由宇子がいい機会だと言うから付いて来た

までだ。それに、志垣君もそうバカじゃない、必要なことは見てくれてるさ」

 志垣というのは、どうやら久と話していた少々目つきの悪い、腹の出た男のことらしい。

 俺達が居るのは、自室としてあてがわれた部屋の隣の間、8畳ほどのところだ。

 障子で廊下と窓のサッシから部屋は遮られ、適度に入ってくる涼風でしのぎやすかった。床の間には一輪挿し、部屋の片隅には上の方に透かしの入った屏風が立てられている。屏風には筆跡も美しい数枚の和紙が貼られていた。

 その屏風の前にピタリと正座していた周一郎が、一瞬瞳を光らせてお由宇を射抜いたようだった。鋭い視線をあっさりと受け止めたお由宇が謎めいた微笑を浮かべる。

「そう。この辺りで起こった事件なんだけど、石蕗家の圧力が強くて、なかなか入り込めなかったの。それで、ちょっと強引だけど、ね」

「どんな事件なんだ?」

「かなり有名よ?」

「あんまり新聞は読まないんだ」

「簡単に言えば、幼児誘拐殺人事件よ。1週間ほど前、この辺りに旅行にきた家族の末娘、5歳のこどもが行方不明になったの。誘拐の線で捜査が進められたけど、犯人からの連絡も要求もない。そのうちに子どもは死体で発見された」

「またその死体というのが」

 鬱陶しそうに煙を吐き出しながら、厚木警部は難しい顔で続けた。

「厄介でね。身体中滅多切り、血液はほとんど流れ出してしまってた。目立ったのは首と手首、腹の傷でね。素人どころじゃない『捌き方』なんだ。マニアックな変質者の犯行だろうということで、急遽、ちょうどこちらに来てた私が協力することになったんだが、由宇子が口を出してきてね」

「同じタイプの事件がかなり前から1、2ヶ月に1回の割合で起こっていたのよ。被害者は5~12、3の、子どもばかり。ただの変質者の犯行にしては、尻尾一つも掴ませないし、手際が良すぎる」

 お由宇の目は冷たい色を帯びていた。

「これは私の勘なんだけど、この事件には、もう少し深いものがありそうなの」

「それで、由宇子にせっつかれて来た、というわけだ」

 締め括った厚木警部は、物問いたげにちらちらと俺と周一郎を見比べた。今度はそっちが話す番だろう、そういう顔だ。

「…お由宇、お前一体何をやってるんだよ?」

 普段からずっと不思議だった。この際だ、突っ込んでしまえとばかりに尋ねると、

「私? 私は単なるオブザーバーよ」

 くすりと笑った。

「ちょっと『こういうこと』が好きで興味を持っている、ね」

「そんなもんか?」

「そんなものよ」

 お由宇はゆっくりと視線を周一郎に向けた。

「ところで、そっちはどうしてここに居るわけ?」

「ああ、あいつは商談で来たんだ。俺は…ちょっと妙なことになってさ…」

「なあに、それ?」

 興味深そうに唇を綻ばせるお由宇に、これまでのことを話す。

 お由宇はくすっといたずらっぽい笑みを零した。

「あなたって、本当に厄介事が好きなのね」

「俺が好きなんじゃない、向こうが勝手に俺を好いてるんだ」

 そうとも、誰が好き好んでこんなことに飛び込みたがるものか。たまたま出向いた先にいつもいつも事件が起きるからと言って、どうして俺が『厄介事吸引器』なぞという汚名を被らなきゃならない。俺はいつだって何にもしてない、至極素直に真面目に世の中を渡って行こうとしているだけなのに。

「諦めなさい」

 お由宇がこっちの気持ちを見抜いたように続けた。

「ドジ同様、天性みたいだから」


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