遥かな影-2
少年は大谷剛といった。美加の家の裏に住んでいた。小さい頃から馴染みで、小学校の間も何度か同じクラスになった。美加が緑ヶ丘学園に進学してからは、あまり会うこともなくなった。それでも、母親同士の付き合いから剛の噂を聞くことはあった。
「ひ、久しぶりね」
「どうしたの、こんな時間に」
「あ…、塾。塾の帰りなの」
「そうなんだ。やっぱり、緑ヶ丘学園行ってると勉強が大変なんだろうな」
「ま、まぁ、それもあるけど、受験も近いから」
「あぁ…そうだね」
「剛君は、どうしたの?こんなとこで」
「オレ?オレは、まぁ…」
言いよどみながら剛は煙草を持った手に目をやった。そして顔を上げて美加の様子を見た。
「タバコ、気になる?」
「…うん。吸ってるの?」
「まぁね…。ちょっと前から…。…友達に誘われて…」
「そうなの…」
言葉は続かなかった。
剛は足元に煙草を落とすと踏みつけて消した。美加はそんな仕草をじっと見ながら、心の中ではどうやって立ち去ろうかと思案していた。
「あのさ…」
剛が立ち上がって、話し掛けてきた。
「何…?」
「ちょっと、言いにくいんだけどさぁ…、頼まれて欲しいことがあるんだ」
「何?」
「あのさ…、ちょっと…一回でいいから、オレの先輩に会ってもらえないかな…?」
「何、それ?」
「いゃ…、たいしたことじゃないんだけどさぁ…、ちょっと…女の子、紹介して欲しいって言われて…、それで、宛がなくて、困ってたんだ。美加ちゃん…、一回でいいから、会ってやってくれない?」
「それって…、何?何なの?」
「別に、そんな厄介なことじゃないだよ。会ってくれれば、取り敢えず紹介したことになるからさぁ…。ね、お願い。困ってるんだ」
「ん……、…その人…どんな人?」
「オレの先輩でさ、城南から藤工に行ったんだ。結構、藤工じゃ有名なんだよ。名前が知れてて」
「高校生なの?」
「うん、そう」
「それって…、何か、やだ…」
「どうして…」
「だって…、何か…変……」
藤工は緑ヶ丘学園からは割と近くにある工科高校だったが、あまり偏差値は高くなく、学生の素行も悪いという評判だった。その藤工の先輩が、わざわざ城南中学の後輩に女の子を紹介しろと言いつけることに、何か魂胆があるように思えた。
「大丈夫だよ。結構、人望もあるし、友達も多いし、変な人じゃないから」
「いい、あたし。遠慮する」
美加は後ずさりして、駆けるようにその場を立ち去った。呼び止める声が聞こえたが、聞こえないふりをして家へ急いだ。