表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
翼族  作者: Gustatolasse
4/32

決闘市場

 城を頂く皇塔のほぼ真北、都の外れに、恐ろしく背の高い塔形台地が立っている。頂上に高等牢獄が立つ、塔獄塔とうごくとうと名のついたその塔形台地は、翼族の国で一番高い。


 その塔獄塔のふもとは広い竹林になっていて、一方にさびれた神社が立ち、その反対側に粗野な造りの屋内闘技場が、十数軒の居酒屋を従えるように立っている。この闘技場は、決闘市場けっとういちばと呼ばれる賭博場で、無頼の格闘家たちが賭け試合を行う場所だ。身分を問わず、賭博好きの輩が集まり、常に賑わっている。


 決闘市場は木造で、中はさほど広くはないが、天井が高い。中央に、大人の腰くらいの高さの柵で囲まれた土床の試合場が二つ並んでおり、それを三階建ての観客席が三百六十度囲む。天井にいくつも梁が掛けられているのだが、その梁に客が座ることもある。


 一階の立ち見席は、主に職業賭け師たちが集う場所で、常に威勢の良い声と金とが飛び交っている。総じて乱雑な決闘市場だが、この辺りは、より活気に満ちて荒々しく、酒に喧嘩が茶飯事だ。


 翼族の民はそもそも格闘技を愛好し、決闘市場でも数種類の格闘試合が行われるが、中でも最も人気があるのが、飛武術ひぶじゅつと呼ばれる飛行術と剣術を合わせた、空中での格闘剣技だ。決闘市場で催される賭け試合のほぼ九割がこの飛武術の試合というほどで、建物の天井が高いのもその為だ。


 飛武術ひぶじゅつというのは、もともと国の推奨する武芸で、武術院の発行する免状を持った飛武術家は正式な職業として認められている。国で無数に開かれる大会で優勝杯と賞金とを競い合い、上位十指に入る飛武術家たちは、翼族の国では、押しも押されもせぬ大スターだ。


 有名なのが四天王と呼ばれる面々で、現在、各地で開かれる、数ある飛武術の大会の優勝杯の少なくとも半分は、この四人の手中に収まっている。正統派の美しい剣技と飛行術を誇る武術家たちで、翼族の民から絶大な支持を受けている。


 が、決闘市場に集うのは、当然無免状の剣士ばかりだ。ここでは、刀さえ使えれば、誰でも試合に出ることができる。


                * * *


 立夏を過ぎてからしばらく経った、ある昼過ぎのことだった。


 大分生ぬるくなった決闘市場の空気を、甲高い悲鳴がつんざいた。市場にいた全員が、一斉に悲鳴の聞こえてくる方向を見た。


 第二試合場で、雁翼の剣士が一人、血飛沫を上げながら落下して行った。上空では、コンドル翼の剣士が、笑いながらそれを眺めていた。

 そして、周囲が、突然の出来事に呆気に取られている間に、コンドル翼の男は、血振りをして刀を納め、地上に降り立つと、そのまま悠々と市場を出て行ってしまった。


 飛び入りの剣士だった。通常、試合には市場から木刀が供されるが、男は、突然、つまらぬ、とそれを捨て、自らの腰の刀を引き抜いて、相手を切ったという。


 決闘市場は騒然となった。


 切られた剣士は命を失い、仲間の常連剣士たちは、コンドル翼剣士に対する制裁を求めた。

 時に死者が出ることもある決闘市場だが、それなりの決まりというものはある。昔こそ、命を賭す決闘場だったものの、今は剣士が金を稼ぐ場だ。互いに無為な殺生はしないということが、剣士の間では暗黙の了解となっており、それを犯した者には、犯した罪と同等の報復が与えられることになっている。


 しかし、当の剣士は、市場を出るとあっというまに姿を消してしまった。痩せ気味だが、引き締まった身体つき。立ち居振る舞いは尊大で、正統の飛武術家と推測されたが、男が誰なのかを知っているものが誰一人としていなかった。

 仕方なく、せめてもの制裁として似顔絵が描かれ、賞金首として決闘市場とその周辺にばら撒かれた。

  

                * * *


 カイの十三回目の誕生日は、ちょうどその年の小満しょうまんにあたる日だった。城では、その日、賓客を招いて立太子の儀が執り行われることになっている。

 皇帝の長子は、この儀が済んではじめて皇太子として正式に認められることになるから、カイにとっては、戴冠式に次ぐ、最も重要な儀式と言ってもいい。

 国内外の賓客も、既に数日前から、続々と都に集まってきていた。


 それに先立ち、宮廷内で多少の動きがあった。


 まず、小満の数日前、人目につかない城の歩廊の片隅に、鶴翼の小汚い老人の姿があり、ある宮廷人の側近に小さな布袋を手渡していた。その後、その側近がゴオ卿の武術館へと使者を送っている。


 一日遅れて、城の老梟侯爵の書斎から二通の文書が送られた。一通は、神殿にいる継承君のもとに、そしてもう一通は、農村の外れにある古い庵に。


 さらに、同じく小満の数日前頃から、塔獄塔の麓にある神社に、鴉翼の使者が人目を避けるようにひっそりと出入りするようになっていた。以前、薄紅色の石盤を運んできた使者と同じ人物だった。


                * * *

 

 小満の前日。その日、カイは一日中、大広間で、梟族の学者三名から、細かい儀式の指導を受けていた。夕方も近くになると、同じ説明を聞くのがもう何百回目のことになるのか、カイには分からなくなっていた。


「……目が覚めたら、水の張られたたらいが用意されておりますゆえ、身を清め、白装束にお着替えくだされ。また、杯に清めの水がご用意されていましょうから、くれぐれもこの水以外はお口になさらぬよう。

「その後、神殿の大滝にお向かいいただく。乗り鳥が用意されておりますれば、ご自身の翼は使わぬこと。神殿に着きましたら神官が控えておりますゆえ、その指示にお従いくだされ。

「大滝の前には禊の間が用意されておりまする。まずは、白装束のまま大滝にお入りになればよろしい。朗唱される詞はよもやお忘れではありますまい。唱え終えた後は速やかに大滝より出で、禊の間にお入りになる。そこにも神官が控えておりまする。ここでは、御着替えは神官にお任せになり、黙って立っておられればよろしい。神官が、綱で御翼をお縛り申し上げるが、我慢召されよ。

「支度が済んだら、再び乗り鳥で城にお戻りになり、そのままご一族へご挨拶。大広間の控え室にお入りいただく。儀式の時間になったら使者を差し上げまする。儀式の手順は……」


 と、長々と続く学者たちの言葉を、掻い摘んで説明すると、実際の儀式の段取りは次のようになる。


 皇帝の玉座、筆頭賢者の前でそれぞれ、成年となる由を宣言し、大広間奥の神域に入る。神域の祭壇前で、献上舞、天への誓約を行う。

 誓約後、祭壇横に控える神官の手で、翼を縛る綱が断ち切られるのを待つ。これには翼族の神剣が使われる。綱が切られた後は、一度、神官と共に神域より退く。

 皇帝の玉座、筆頭賢者の玉座の前で、今度は、成年に達したことを報告、再び一人で神域に戻る。祭壇に置かれた神剣を抜き、天への誓い。舞を奉納し、神剣を納めて祭壇に戻す。速やかに神域及び大広間から退出。


 翼族の国では、礼節や、けじめ、仕来り、伝統などを事のほか重んじる。この儀式でも、歩数から礼の角度、回数までの一挙手一投足、文言の一字一句までが、事細かに定められている。

 こと、皇太子の成人の儀式である立太子の儀は、国で最も重要な通過儀礼の一つとされ、格式も高ければ、決まりごとも多い。


 ただし、カイにとっては、繰り返される儀式の準備も、儀式そのものも、ただ自分に押し付けられた面倒な義務の一つに過ぎない。学者たちの言葉が続く中、ひたすら欠伸を噛み殺して、その日の「義務」が終わるのを待っていた。


                * * *


 その日の晩のことだ。


 三人の少年が、慣れた様子で決闘市場にやってきた。

 一人は、白い狗鷲の翼をしている。カイだ。

 あとの二人は茶色い大鷲の翼をしている。背の高い痩せぎすの少年をスタン、がっしりとした体格で縮れた頭髪の少年をクランという。カイの昔からの剣術仲間で、二人とも今年からゴオ卿の飛武術館で本格的に訓練を受けはじめている。カイは、時々ゴオ卿に連れられてその飛武術館に行くから、この二人とは今でも定期的に交流がある。

 成年になってから生活が激変したカイにとって、もはや気の置けない仲間と呼べるのは、この二人だけになっていた。今日も城を抜け出し、飛武術館帰りの二人を捉まえてきたのだ。


 三人は、いつものように、第一試合場前の立ち見席に陣取った。

 第一試合場では、ちょうど試合が始まったところだ。燕翼の剣士と鳶翼の剣士の対戦だった。


 賭け試合では、先に十の打撃を取った者が勝つが、開始後間もなく鳶翼の剣士が立て続けに五本の打撃を取った。

 鳶翼の剣士は常連で、一見普通の中年男なのだが、とにかく強い。というよりも、上手かった。人より短い刀を使うが、その扱い方にも飛び方にも独特のしなやかさがある。本職が大工だから他の剣士とは身体の使い方が違うんだろう、と本人は言っているのだが、天賦の才があることは誰の目にも明らかだ。

 その試合でも、相手に一本も取られることなく、あっさり勝利を収めてしまった。


 カイは大の飛武術好きで、鳶翼が勝つと熱狂して拳を振った。それに気付いた鳶翼の剣士が、賞金を受け取ってカイのところに飛んできた。


「よお、若さん」

「さすがだな、ギギ」

「まあまあだねえ」


 汗をぬぐいながら、まんざらでも無さそうに笑う。短く刈られた茶色の髪。機転の効きそうな引き締まった顔立ち。笑うと、目尻に深い皺が出来る。

 カイたちが昨年まで通っていた初等剣術学校出入りの大工で、名をギギという。カイとその仲間を、「俺が引率者になりまさア」と、面白半分に決闘市場に連れてきた当の人物だ。


 ギギは、カイの二人の連れに目をやると、賞金の袋から銅貨を一枚取り出しポイと投げた。

「二、三杯買ってきな、麦酒だ」


 一瞬、むっとした顔を見せた二人だが、すぐに顔を取り繕うと、カイに頭を下げて去って行った。


 ギギは、人ごみに消えていく大鷲翼を見送った後で、「……なんだか、あの二人は変わったねえ、若さん」と言った。


「そうか?」

「まだ仲がいいのかい」

「あいつらとだけは、今でもゴオの飛武術館で顔を合わせるからな」 

「腐れ縁かい」

「……まあな」とカイは言葉を濁した。実のところ、他の仲間たちは、たとえ誘っても恐れ多いとカイについてくることがなくなって久しい。「身分も近い」と、カイはぶっきらぼうに付け加えた。

「ああ、そういうことかい」と、ギギは納得調子で頷いて、それからあっけらかんと続けた。「でも、もう、いけねえな」

「なんだって?」

「なんでもねえ。それよりも、一番身分が近え神官の坊っちゃんはどうした? 随分見ねえが」

「知らん」

 カイが仏頂面で答えると、ギギは「そうかい」と肩をすくめた。


 そこに、麦酒の杯を手に、二人が戻ってきた。


「ご苦労さん」


 立て続けに二杯をあおったところで、仲間の剣士がギギを呼びに来た。ビイと呼ばれる懸巣翼だ。中肉中背、長めの黒髪を後ろで束ね、少々得体の知れない雰囲気がある男だが、金の扱いや交渉ごとに長け、市場では剣士というよりも元締めの補佐のようなことをやっている。


「……元締めが」

「おう、お呼びかい、わかった。じゃあな、若さん。残りの一杯はやるよ」


 そう言い残して、ギギはビイと共に去って行った。


「……ギギは、近頃、態度が悪いな」とクランが言った。

「所詮、大工だからな。ねえ、皇子?」


 カイは答えず、スタンの持っていた杯を掴み、グイッと一気に空けて投げ捨てると、柵を超えて試合場の中に入っていった。


「飛び入りだ! 誰か相手をしろ!」


 まだ甲高い雄叫びが響き渡ると、観客席から歓声が沸き起こった。


                * * *


 立て続けに二試合終えて、カイが立ち見席に戻ってきた時、クランとスタンは顔を寄せ合って何かを話しあっていた。


「……おい、どうした」


 声をかけると、二人は、慌てたように振り向いて笑顔を作った。


「皇子、もういいんですか」

「試合はどうでした」


 見ていなかったのか、と思ったが、口には出さず、カイは「勝った」とだけ答えた。近頃、二人はこういう飛び入り試合に、驚くほど無関心だ。


「喉が渇いたでしょう。飲み物を買ってきますよ」

「麦酒でいいですね」


 そう言って、さっさと人ごみの中に消えていく二人を、カイは怪訝そうに眺めた。あいつらは、いつからあんなふうになったんだろう。ギギに連れられて仲間皆で来ていた頃は、地上試合にしか出られなくても、互いの飛び入り試合には、皆、声が枯れるほど熱狂していたはずだ。今じゃ、まるで俺の付き人みたいに振る舞いやがる。俺の供をして義務でここに来ているような……。


 そのとき、一人の小柄な男が、スッとカイに近寄ってきた。オラフという名の賭け師だ。童顔で愛嬌のある顔。黒い剛毛を後ろで束ねている。鴎翼だが、生まれつき翼が奇形で弱いのだという。その代わり勘が鋭くて、賭け師として随分成功している。


「……白鷲の若さん、」


 カイが振り向くと、オラフが耳元で囁いた。

「今からお連れの奴らが持ってくる飲み物を、飲んじゃいけませんぜ」

「どういうことだ?」

「明日、なんか大事な用事があるんだろう? 飲んじまったらいけねえ。明日の晩まで夢ン中だ」

「……まさか。あいつら幼馴染だぞ」

「いや、間違いねえ。さっき、二人でコソコソ話してるのを聞いちまった。なんだか裏があるぜ。……やつら、口止めに俺を脅しやがった。常識のねえガキどもだ。口止めにゃ、金が一番だって教えてやりなよ。金が絡まなきゃ、情が勝つ。俺はあいつらよりも若さんの方が千倍好きだから、若さんに味方するってわけよ」

 伝えたぜ、と締めくくると、オラフは笑いながら去っていった。


 少しして、二人が戻ってきた。早速、クランがカイに杯を差し出した。


「どうぞ」

「まだありますよ」


 カイは杯を受け取った。いつものように笑う二人に悪びれた様子はなかった。カイは、杯を返して「先に飲め」と言った。念のためだった。二人は、いいんですかといって飲むはずだった。


 が、途端に二人の顔が引き攣った。カイの背筋に冷たい何かが走った。


「飲めんのか?」

「……俺たちは、さっきもう飲んだんですよ」


 スタンが言った。まだ辛うじて笑みを浮かべている。クランの顔は青くなっていた。


 カイは、無言のまま中身を二人の頭から浴びせ掛けると、杯を放り投げて決闘市場を出た。

 これが、カイが二人の幼馴染と、友人として言葉を交わした最後になった。


                * * *


 真っ直ぐに城に戻ったカイは、裏の小広間を抜けて自室に向かった。黙々と回廊を行くが、その目の前に立ちふさがった人物がいた。

 がっしりとした身体つき。焦げ茶と白の見事なふくろう翼。切り揃えられた白い顎鬚。深い皺の刻まれた額の下で、鋭い眼光がじっとカイを見据えている。


 カイは小さく舌打ちをした。


「……爺か」


 梟族の侯爵、俗に梟卿と呼ばれるカイの教育係だ。


「若様は、ご自分のお立場に対するご自覚がおありか。空獲りまでは翼もまだ自由というわけではない。誇り高き白鷲の翼が泣きましょう」


 厳かな声で、梟卿が言った。カイは返事をしなかった。


「嘆かわしい」

 梟卿は、上から下までじっくりとカイの姿を眺めた。

「……風呂を焚かせてありますゆえ、その埃まみれの身体をお洗いになるがよい」


 梟卿は、有無を言わさずカイを引っつかんで風呂場へと放り込んだ。


 カイが渋面のまま服を脱ぐと、懐から一枚の紙が落ちた。梟卿がそれを拾い上げた。

「若様、これは?」

「……決闘市場の尋ね者だ」 


 梟卿は、しばらく無言のまま似顔絵を見つめていたが、徐にそれを懐にしまうと、「この者のことは、決して城内でお話しになりませぬよう。また、仮にこの姿絵に似た人物を見ても、くれぐれもお騒ぎになってはなりませぬ」と告げた。


 実際、カイは翌日、この姿絵の人物を、儀式で見ることになる。


 が、梟卿はその時、詳しい事情を一切語らず、ただ「明朝、一番に神殿の大滝に禊に行って頂く。お忘れなきよう」と言って去っていった。

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ