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翼族  作者: Gustatolasse
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冬至祭

 冬至に始まる祭りは、立冬に行われる空獲りと対をなす行事だ。

 翼族の国では、小雪しょうせつから学年度が始まるから、空獲りが年度の終わりを、冬祭りが年度の始まりを象徴する行事となっている。ゆえに、空獲りから冬祭りまでの期間には、総じて人々の生活に様々な変化が起こる。

 年度変わりの慌ただしさがひと段落すると、大雪たいせつの頃には、本格的な冬祭りの準備が始まる。この頃から国全体がにわかに浮き足立ってきて、人々が、祭りの訪れを、今か今かと待ちわびるようになる。


                * * *


 冬至祭の前日。宮廷では、ひと月ほど前から、老梟侯爵の指揮下で、厳しい皇太子教育が始められている。


 カイは巨大な机の前に座っていた。白翼は椅子の羽掛はねかけ(翼族の椅子の背で、長いV字型をしている)にだらしなく垂れ下がっている。

 すぐ横には、ふくろう翼の男が立ち、淡々と話を続けている。梟卿ふくろうきょう直属の政治学者で、ここひと月の間、カイはこの男の顔しか見ていない。


 部屋は、巨大な机がある他はがらんとしており、壁に百翼の神の絵が飾られている。


 窓が一つ。扉が一つ。


 カイの目の前には、巨大な本が鎮座している。「歴代皇帝言行録」と題されたその本の頁は、びっしりと文字で埋め尽くされている。

 部屋に響くのは、それを解説する学者の声だけだ。


 明日から冬祭りが始まるというのに、この学者からは、その気配が微塵も感じられない。これほど不愉快な冬祭りの前日を、カイはこれまで経験したことがない。


 カイは、欠伸を噛み殺して、本から窓の外へと視線を移した。

 冬晴れだった。闘技場が見える。カイのいる場所からは見えなかったが、闘技場が立つ塔型台地のふもとには、低く巨大な卓状台地たくじょうだいちがあって、その上に翼族の国最古の市がある。市は冬祭り前の活気で賑わっているはずだった。


 知らず、大きなため息が漏れた。


 と、講義の声が止まり、「お態度が、」という声が続いた。

 カイは学者の方を向き、羽掛けに寄り掛かって、「なんだ」と言った。

「感心できるものではございませぬな」

「そうか?」

「真剣にお取り組み頂かねば困る」

「そうか」

「……梟卿にお出まし頂くことになりましょうぞ」

 学者の淡々とした脅し文句に、カイは小さく舌打ちをすると、ぶっきらぼうに「分かった」と言って巨大な本に目を戻した。


 それから小一時間も過ぎた頃、扉を叩く音がした。すぐに扉が開き、背の高い筋骨隆々とした男が入ってきた。三十代半ばといったところで、漆黒の大烏おおがらすの翼をしている。伝統的な緋色の戦装束をまとい、紅い鞘の刀二本を腰に差していた。そのどちらも、男が高位の大烏族剣士であることを示している。


「少々早過ぎましたかな?」

 男は、低く響く声で言った。ゴオ卿。武術を取り仕切る大烏おおがらす族の伯爵の嫡男で、カイの剣術指南役だ。


「いや、いい」

 カイはすぐに立ち上がり、ゴオ卿の後について、さっさと部屋を出た。

 部屋の扉の上には「天神の間」という立派な札が掲げられている。平たく言えば、皇太子の勉強部屋ということだ。


「大分お疲れのようですな、殿下」

 ゴオ卿が口を開いた。


「……まあな」

「殿下はよくやっておいでですよ」

「……まあな」


 ゴオ卿は苦笑して、元気づけるように、大きな節くれだった手をカイの肩に乗せた。

「明日からの祭り期間は、少し息抜きもできましょう。久しぶりに初等学校時代のお仲間に声をかけてごらんなさい。私の武術館で稽古が出来るよう、私から、梟卿に話しておきますゆえ」


「本当か?」

 カイは、そこで初めて顔を上げ、生気に満ちた目でゴオ卿の顔を見た。


 ゴオ卿は、苦笑しながら、「約束しましょう」と頷いた。

                 

                * * *


 明けて翌日、冬至祭の初日。


 冬至から三日に亘る冬祭りは、翼族の民にとって、新年を迎えるための、一年で最も華やかな行事だ。実際の新年は厳かに過ごすのが仕来りだから、事前に行われる冬至祭は、よりいっそう浮かれ騒ぐためのものになっている。


 朝食をかきこんで自室に戻ったカイは、真新しい刀を腰に差すと、すぐに走って部屋を出た。


 冬至の朝、城は、どこもかしこも活気に満ちている。祭り初日の晩には、城から民にたくさんの振舞い料理が出されるから、城の者は皆、その準備に忙しい。

 カイが横を走り抜けると、人々は慌てて腰を屈めたが、カイは全く急ぐ足を止めなかった。


 城を出て、正門前の大階段を駆け下りると、すぐに背の翼を広げ羽撃はばたかせ、そのまま中央神殿へと向かって飛び始める。人々が、手を休めてカイの飛び姿に頭を下げた。


 カイの白鷲の翼は、民衆からの評判が良い。通常、翼族の子供が母方の翼を受け継ぐことはないのだが、カイは白鳥族である母親から翼の色だけを受け継いだらしかった。

 翼族の間で、白鷲の翼は強さの象徴なのだと言われている。戦乱時代末期の狗鷲族の王、後の初代翼族皇帝が、やはり白い翼をしていたからで、カイが生まれたとき、人々は、七日七晩、誕生の祝いを続けたものだ。


 中央神殿は、皇塔のすぐ横に聳える、賢者けんじゃの塔と呼ばれる塔型台地の上に立っている。

 カイは、ゆっくりと旋回し神殿の方へと下りていった。やがて神殿前の広場に下り立つと、着地の勢いそのままに、神殿内へと駆け込んだ。


 いつもは静かな神殿の中も、今日は活気づいている。今晩から三晩続けて、神殿の至る所で神話劇が上演される。珍しい青髪の宮廷役者や楽士たちが、神殿の広間を慌しく行き交う。その合間を、神殿の本来の主である、賢者の一族が静かに行き交う。


 カイは、広間を抜け、神殿の中庭に入った。

 と、中庭の古い桜の木の下で、翼の無い、五才くらいの少年が、一人しゃがみ込み弦楽器をいじって遊んでいた。キノコのような形に切り揃えられた真っ直ぐな黒髪。白と藍の神官装束を身に着けている。


「おい、ラル!」と叫んで、カイは少年の方へと走っていった。


 キノコ頭の少年がくるりと振り返り、「あ、皇子!」と無邪気に叫んだ。愛らしい顔がはにかんだ笑顔でくしゃくしゃになった。立ちあがって、カイが来るのを嬉しそうに待っている。


「久しぶりだな、ラル。空獲り以来だ。一人か? ハルは?」


 すると、ラルの顔から笑顔が消えた。

「……兄うえなんか、知りません」

「なんだ、喧嘩でもしたのか?」

 ラルは「知らない」と顔をしかめた。珍しいことだ。カイは、「仲直りさせてやる。一緒に来い」と手を掴んで歩き出したが、ラルはその手を振り切った。


 カイは驚いて少年を見た。

「……いいのか? 後で祭りに連れていってやるぞ」

 無言で首を横に振る少年に、よほどひどい喧嘩をしたな、とカイは思った。


「俺が取り成しておいてやる」とラルの頭を撫でてから歩き出すと、甲高い声が追いかけてきた。

「……皇子、兄うえは、へんですよ!」

 カイは笑って、「分かった」と手を振った。


 中庭を抜けると、奥に殿舎が立っている。守衛の詰め所を抜ければ、長い廊下にでる。その突き当たりの、白い引き戸がハルの部屋だ。


 カイは、勢いよく戸を開けて部屋の中に入った。ひと月ぶりのことだった。


「ハル、いるか!」


 しかし、室内に人影はなかった。


 ハルの部屋は板敷きで広い。壁際に大きな勉強机が置かれている。右奥にある続き間が、小上がりのような座敷になっているのだが、カイは、ふすまを開けたままになっているその入り口まで歩いていって、いつものようにかまちの辺りに、どかっと腰を下ろした。

 部屋のあちこちに本が散らばっている。ほとんどが、翼族の歴史に関する本だった。カイは、手近にあった分厚い本を手にとってパラパラと頁を捲った。かつて滅亡した部族たちの詳細などが書かれている。


「……僕の部屋で、何をしているんですか」


 険のある口調に驚いて顔を上げたカイは、入り口に立つハルの姿を見て更に驚いた。


 痩せこけて、いつもの神官服がだぶだぶになっている。前髪が伸びて無造作に顔に掛かり、目の下に浮き出た隈が、白い顔をより一層青白く見せていた。


「どうした、ハル、大丈夫か!」


 カイは飛び上がって駆け寄ったが、ハルは「大丈夫ですよ」とそっけなく答えて、カイを避けるように机へと向かった。手には数冊の本を持っている。

 机に着くと、机上の本を整理しながら、カイの方を見向きもせずに、「何の用ですか」と言った。


 躊躇いながら「ゴオが、武術館の稽古場を貸してくれる。あいつらにも声をかけたから、お前も……」と言うカイの言葉を、ハルは途中で遮った。


「僕はもう皇子たちと稽古はしませんよ」


 冷たい声だった。カイは驚いたようにハルを見た。ハルはカイの方を見ようともせず、パラパラと本を捲っている。


「……何かあったな。爺か。何を言われた」

「何もありませんよ。梟卿も関係ありません」


 苛立ったカイが、「こっちを向け」とぐいと肩を掴むと、ハルは弾かれたようにピシリとその手を振り払った。

 カイは呆気に取られてハルを見た。ハルの目は、冷たい怒りに満ちている。


 無言のまま睨み合い、暫くの沈黙の後で、ハルが静かに言い放った。


「仮に何かがあったとしても、皇子にできることはありません。放っておいてください」


 かっとなったカイは、「勝手にしろ!」と叫んで部屋を飛び出した。


 ゴオ卿の厚意も冬祭りの休暇も、それで台無しになった。


 生まれた時から共に育った二人だが、それから半年近くの間、まったく顔を合せないことになる。ハルは、その日を境に、カイの生活の中から、完全に姿を消してしまった。

 

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