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翼族  作者: Gustatolasse
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失われた翼

 蝋のように白いハルの顔を見た時、カイの背になぜかゾクリと冷たい何かが走った。

「……どうした?」

 ピコも顔色を失っている。ゆっくりと頭を横に振ると、口を開いた。「アタシにもよく分からないわ。剣を抜いて何かを叫んだのよ。それから、」

「ずっと気を失ったままなのか?」

 ピコは直ぐには答えなかった。少ししてから、静かに言った。

「……もっと悪いわ。息をしていないのよ」

「何だって?」カイは、顔を顰めた。

 ピコが深い溜息を吐いた。


 その時、突風が吹き、カイの背後で砂が舞い上がる。その中に巫女の霊が現れた。ピコがその姿を凝視する。

「……サレイ?」

 ピコの言葉に、カイは後ろを振り返った。

 巫女の霊がゆっくりと跪く。そして、静かな声で言った。『天空の神より下られた方とお見受けしておりました。どうぞ、我等が愚行をお許し下さいませ。そして、私に王をお返し下さい』

「何だって?」カイは、再び顔を顰めた。

 精霊はゆっくりと立ち上がって、すっと手を差し出した。

 すると、それまでカイの身体を包んでいた薄い白光がカイを離れた。霊はそっと手を伸ばして、カイの身体からその白い光を奪い取った。白い光が徐々に形を成して、ハルの姿になる。

「……ハルか?」カイは呟いたが、返事は無かった。


 再び突風が吹いた。乾いた砂が舞い上がり、カイは思わず目を閉じる。そして再び目を開けたとき、二人の姿はもうなかった。

 カイは困惑の中に取り残された。

 振り返ると、ピコの腕の中にもハルの姿がある。ハルはピクリとも動かない。


 カイは、暫くの間、所在なげに佇んでいた。それから、急に我に返ったようにピコのもとまで歩く。手に握っていた剣を無造作に放り投げ、砂の上に腰を下ろした。

「おい、ハル?」

 ハルの肩を揺すぶるが、反応がない。カイは困ったようにピコを見た。

「何でハルは返事をしないんだ?」

「もう、息をしていないのよ」

「だから、それはどういう事だ?」

 カイは眉を顰め、考え込んだ。それから、怒ったように、ぶっきらぼうに付け加えた。

「まさか、死んでるって言うんじゃないだろうな?」

 ピコは大きく一つ溜息を吐いた。それから「そのまさかよ、殿下」と言った。

「いい加減なことを言うな!」

 カイはハルの腕を引っつかみ、力の抜けた身体をピコから奪い取った。が、ハルの灰のように白い顔を食い入るように見つめた後で、困ったように、再びピコを見た。それから「何でハルは息をしていないんだ? 何だかよく分からん」と、やけに幼い調子で呟くと、ぼんやりと空を見つめたまま、動かなくなった。


 放心したように空を眺めるカイの頭は、しかし、精密な機械のように回り続けている。記憶を手繰り寄せ、繋ぎ、理由付けを繰り返している。

 やがて、その瞳が再び正常な色を取り戻した。ゆっくりとピコに目を移す。

「おい、俺は、さっき禿鷲に刺されたな? どうして生きている?」

 ピコは答えない。

「何で、ハルが死んでいるんだ?」

 カイの目がぎらりと光った。噛み締めた唇が震え始めた。怒りとも悲しみともつかない表情で真っ直ぐに前を睨みつけたまま、カイは嗚咽とも叫びともつかないような低い唸声を響かせた。絞り出しているとも、押さえ込んでいるとも取れる音だった。


 ピコは短く一つ溜息を尽き、忌々しげに呟いた。

「……我ながら性質(たち)の悪い宿命の下に生まれてきたものよねえ。これじゃあ、前とちっとも変わらないじゃない」


 遠くで、羽音が聞こえた。

 ピコが東の空に目をやると、翼族の一行がこちらに向かっていた。


                * * *


 上皇が、老神官とビイを従えて廃墟にたどり着いた時、カイは、ハルの亡骸の前で、胡坐をかいて地面を見ていた。上皇が近づいても、カイは身動き一つしなかった。


「さて……何があったものか」と、上皇が呟き、側に跪くピコを見た。

 ピコは「ご説明申し上げます」と、簡素に的確に、これまでの経緯と状況を説明した。


 ピコの話を聞き終わると、上皇は老神官に向かって言った。

「……これは、どう考えたものか、ウル?」

 すると、老神官は静かに「陛下、我等賢者族には、望んだ相手に自らの命を譲り渡すことが出来る秘術が、代々伝わってございまする」と答えた。

「ほう、では継承は皇太子のためにそれを使った、と申すか」

「御意」


 神官の言葉にも、カイは一切反応を示さなかった。二人の老人は、静かに目を見合わせた。それから、ビイとピコを下がらせた。


 そして、微動すらしないカイに向かって、上皇が静かに語り始めた。

「皇太子、わしの声が聞こえているのはわかっておる。そのままで良い。これからわしが話すことをよく聞いておれ」

 カイはピクリとも動かない。

 上皇は構わずに続けた。「賢者族の真実を教えよう。この一族の起こりと、翼族におけるその本当の意義を……」

 それから、上皇は、老神官に向かって、「背の傷を」と言った。

 老神官は頷いて、ハルの骸の上着を脱がせると、うつ伏せに横たわらせた。それから、背に手をかざし、小さく呪文を唱える。すると、ハルの背に小さな傷が、二つ浮かび上がった。

「普段は隠されておりますが、これは、我等賢者族のもの全てが持つ傷」と、老神官が静かに言う。

 上皇が、言葉を継いだ。「白水族はくすいぞくと呼ばれた一族の話を、聞いたことがあろう」

 その問いかけにも、カイは反応を示さない。

 上皇は意に介さず言葉を続けた。「珍しい純白の丹頂鶴羽を持つ翼族で、呪術力に長け、真水族とも強い繋がりがあったが、戦乱の時代に滅びた。それが通説だが、事実は異なる。この一族には、数名の生き残りがあり、その子孫は今でも名を変えて我らの国に存在する」上皇は、一度言葉を切った。「賢者族と呼ばれる一族がそれじゃ」

 カイの翼がピクリと動いた。

 老神官が懐から黒い小箱を取り出し、蓋を開けた。中には、鉱物化した小さな和毛の翼が納められていた。

「これが、ハル自身の片翼にございまする。もう片方は、飾り守りに彫られ、その欠片はそれぞれの神官剣に鍛え込まれる。……我々賢者族は、無翼のものとして生まれるのではない。誕生後に、無翼となるのです」

 老神官はそう言って小箱をカイの前に置いた。

「白水族の羽は、この世に生まれ落ちてすぐに、切り落とされる」


 切り落とされた翼は、塩漬けにされ、鉱物の都に運ばれた後、十三年という年月をかけて、鉱物となる。そしてそれぞれの成人の誕生日に再び国に戻され、その後は、供犠などに形代として使われるのだという。背の傷は、強い呪力で隠されており、賢者族のものですら、ほとんどがこの傷の存在を知らない。


「限られたものにしか真実は伝えられないが、ハルは既にそれを知っております」と、老神官が静かに言った。

 代々、継承君が成人すると、必ず真実が伝えられてきたという。ハルの誕生日は、昨年の冬至の十日ほど前だった。


「翼族の中でも、その事実を教えられるのは、狗鷲の長と数名の側近のみじゃ」と、上皇が続けた。「白水族の羽の事実は、神聖なものとして守られなければならぬ。万人の知る凡俗な事柄に落として、それが意味することの重みを失わせてはならぬからじゃ。一族が羽を失った経緯を知れば、その理由わけが窺い知れよう」


 老神官が言葉を継いだ。

「翼族の歴史は、戦乱の時代がその大部分を占めている。我等が祖先は、その戦国の世に領地に攻め込まれ屋敷を焼き払われ、皆殺しにあった一族でした。我らが襲われた理由は、定かではありませぬ。白水族は、その呪術者的な性質の故か、戦乱の世にあって一貫して中立を保ち、部族間の争いに巻き込まれるような立場にはおりませぬでしたゆえ。あの当時、貴重だった水の豊富な領地を狙われたか、また、自らが絶滅せしめた部族の数は、当時の武将の名を飾る最高の称号であったゆえ、その為だけに殺されたのかもしれぬ。何れにせよ、生き残ったのは、当時真水族を訪ねていて不在だった頭首と三人の息子、それに二人の家人のみ。

「とはいっても、これは、当時の世では、決して特別なことではありませぬでした。このような奇襲にあい、全滅した一族は多々あり、そのような一族の生き残りも多々存在した。居場所や後ろ盾を失ったものたちは、大抵が草原に出て、遊牧生活の中で死に絶えていったと言われておりまする。

「が、我が祖先はそれと同じ道は辿らなかった。翼族のため自らを犠牲とすることを決めたからにございます。当時は、狗鷲族と禿鷲族が、鎬を削る二大勢力でござった。祖先は、狗鷲の王を選んだ。当時の白翼の狗鷲王が、野性的で奔放、しかし非道は許さぬ気高い心を持つとされた王であられたからです」

 老神官は言葉を切り、狗鷲翼の老帝を見た。


 上皇が頷いて言葉を継いだ。「そうして、白水族は、我等の祖先のもとにやってきた。我等の記録によれば、白水族は、狗鷲族の有する絶大な力を、己が欲望を満たす為でなく、乱世を治める為に使うよう嘆願し、祖先の目の前で背の翼を自ら切り落としたという。

「自由を求め続けるは、翼族の天性じゃ。して、誰もが、天性の欲望に忠実であることに疑問を抱かなんだ。しかし、その欲望が、翼族に終わりのない闘争を齎していたことは紛れも無い事実。我等が祖先、こと、有力部族たちは、最高権力が最大の自由を有すると信じ、只管(ひたすら)権力を求め戦いを繰り返していたからじゃ。

「翼族にとって翼というものは、天性の欲望を満たす最も重要な身体の一部。それを切り落とすは、自らの自由を自らで断つこと、つまりは、自らの欲望を抹殺することじゃ。それをもって、我等狗鷲にも己が欲望を律することを求めた、白水族のその覚悟が、狗鷲王の心を深く動かしたとしても、驚きではあるまい」


「それからの歴史は、お前も知っていよう。狗鷲の王が、無翼となった白水族に賢者族という名と乗り鳥を与え、六名は王の側近となった。その後、二部族は禿鷲族に勝利して覇権を握り、翼族を最初に平定することに成功した。

「しかし、当時はまだ、力で人々の反駁を抑え込んだのに過ぎず、その時から、安定した国を打ち立てるまでには、長い年月を要した。その間も、生まれてくる子の翼を切り落とし、ずっと無翼であり続けた賢者族の存在が、我々自身の欲望への戒めとなって狗鷲一族を支えてきたことは言うまでもない。我らにとって賢者族は、忠臣という言葉のみでは言い尽くせぬほど、掛け替えのない存在ということじゃ」


 老神官が言葉を継いだ。「そして、翼を失った白水族の存在に意義を与えているのが、狗鷲族なのです。我々が犠牲となり作り上げたものを、守り抜いておられるのが、狗鷲族であるのだから。狗鷲の王は、我々にとってまさに失った翼そのもの。……ハルにとって、殿下のお命は自らの命よりも重い。その心情を察してやって頂きたい」


「……時には、生き延びる辛さを引き受けることも、お前は、耐えてしなければならぬ」と、上皇が言った。


 カイは、ゆっくりと顔を上げ、目の前に置かれたハルの小さな翼を見た。


 上皇と老神官は、顔を見合わせて静かに頷きあった。

 老神官が口を開いた。「しかし、ハルは、まだ死んではおりませぬ」


 カイの身体がピクリと動いた。


「さて、状況を正確に知らねばならぬ」

 そう言って、老神官は砂の上に落ちていた剣を拾い上げると、ピコを呼び戻して尋ねた。「これが譲命の呪文を使ったとき、智賢卿が現場にいたのだな?」

「仰せの通りにござりまする」

「では、殿下の心臓を貫いたのは、この剣ではなかったか?」

 ピコは少し考えてから、「はい、殿下は、ご自身の心臓から引き抜いた剣を、そのまま手にして地上に戻られましたゆえ」と答えた。

「では、その時、何か別の光が継承に向けて同時に発せられてはおらぬか?」

「継承君の発した光の反射と思っておりましたが、確かにもう一つ、細い緑色の光が走ったように思い出されます」

「やはり。では間違いない。それは、智賢卿が放った光であろう」

 老神官は上皇に目を戻した。「陛下、やはりこれの身体は反呪文によりかろうじて守られております。仮死状態に陥ってはいるが、完全に死んでいるわけではない。最初から、どちらの命も、失われてはいなかったのです。この剣は、盗まれた神剣に間違いござらぬ」

「なるほど。そういうことであったか」と、上皇は頷いた。

 老神官は続けた。「……翼族の神剣では、狗鷲族の長になるものの命を奪うことは出来ぬ。神剣は、狗鷲族を守る為に鍛えられた剣。失われた白水族の翼でできている。ハルはこれが神剣であることに気づかず、譲命の呪文を唱えたのでしょう。それを見た智賢卿がハルの命を救うために反呪文を唱えた。よもや、その目的で、神剣を盗んだのでもあるまいが……まだ賢者族の誇りが残っているようだ」 

 ピコは、何かを言いたげな表情をしたが、口には出さなかった。

「では、まだ継承の命を救うことができるわけじゃ」

「御意」


 カイの両目が途端生気を帯び、まっすぐに老神官の目を見据えた。


 が、老神官は、腑に落ちないという口調で続けた。「しかし、わからぬ。ハルの魂は、殿下が屍に触れた時点で身体に戻っていたはず。なぜ、それが起こらなかったのか……」


 カイとピコは、ゆっくりと顔を見合わせた。

 それから、カイが掠れた声を出した。「……それは、俺がハルの身体に触れる前に、ハルの魂が俺から離れたからです……この廃墟の精霊が連れ去った」

「ならば、その精霊とやらを呼び戻せばよいわけじゃ」と、上皇が力強い声で言った。

 老神官も頷いた。「反呪文は一日持ちますれば、充分に時間はありましょう」

 が、カイは再び掠れた声で呟いた。「……でも、どうやって精霊を呼び戻せばよいのか分かりませぬ。精霊は、我等の意思に関わらず、現れたいときに現れるのです」


 カイは、巫女の精霊を呼び出す方法など知らなかった。この廃墟の事情に明るくはない上皇も老神官も、奇妙な事態に顔を見合わせるだけだった。


 その時、ピコの声がした。


「継承君の魂を取り返す、確実な方法が一つあるわ」


 全員が一斉に孔雀羽の顔を見た。

 ピコは、揺るぎのない声で、「翼の墓場に行くのよ、殿下」と言った。

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