決心
その晩遅くのことだ。地下の墓室に囚われたカイとハルは、まだ眠っていなかった。
出入り口付近から階段へと差す光が、太陽から篝火に変わった頃、見張りの鷂翼たちが食料と水を運んできた。
その時、それぞれ後手に縛られていた縄は外されたが、代わりに、互いの片足に、短い鎖で繋がれた鉄枷を嵌められた。カイの翼は縄で固く縛られた。
二人が無言で食事を終えると、鷂翼たちは小さなランプを置いて出て行った。
以降、ハルはずっと黙ったまま膝を抱えている。カイも片膝を立てて座り、考え込んでいた。様々なことが、乱雑にそれぞれの頭を駆け巡っていた。
「……コンドル卿と鷹卿はどこにいるんだろうな」と、カイが呟いた。
ハルが少しだけ顔を上げて「……わかりません」と言った。
カイは、ちらりと階段上の出入り口に目をやった。篝火の光が差し、見張りの影が揺れている。
「禿鷲王は、俺たちをどうしたいんだ?」
「僕には何とも……。王国に連れて行きたいのか、それとも……」と、ハルも言葉に詰まる。
「明日は、」と言ったところで、カイが言葉を止めた。それから、「国では、」と言って、またすぐに話すのを止めた。最後には、ぶっきらぼうに「……まあ、ここで考えていても仕方がない」と続けた。
「……そうですね」ハルも力なく頷いた。
ハルは、いつになく虚ろで覇気がなかった。信頼していた叔父の裏切りという事実が、じわじわとハルの胸にこたえてきているようだった。
「……寝ますか?」ハルがポツリと言った。
「ああ。他にすることもないしな」
カイはごろりと床に転がった。翼を縛られているから寝心地が悪い。カイは舌打ちをした。
ハルもカイの傍らに横になった。そのままピクリとも動かないが、時折、静かに、しかし深く溜息をつく。
ハルの何度目かの溜息を聞いた時、カイはハルを見た。
ハルは、両腕を丸め枕にして横向きになり、目を閉じていた。白い顔が、薄暗いランプの光の中で、より青ざめて見えた。いつもの、そつなくカイの世話をこなすハルの様子とは違う。冬祭りの時の、やつれた姿とも違う。……ハルは、打ち拉がれている。
俺よりずっと辛いはずだ、とカイは思った。筆頭賢者は未だ意識不明だという。命に関わるような状態なのか、今後、目を覚ますことがあるのかさえも分からない。何よりも、智賢卿のことがある。ハルと智賢卿との間に、目に見える以上の強い絆があったらしいことは、カイも気づいている。カイの胸が強く痛んだ。
と、痛みを感じた次の瞬間には、カイは勢いよく起き上がっていた。
その気配に、ハルが驚いて目を開けた。さっと起き上がり「どうしました、皇子?」と心配げに問う。
「ここで、ただ考えていても仕方がない」とカイは言った。
「……ええ、そう思います」
「様子を探りに出るぞ」
「は?」ハルは、呆気にとられてカイを見た。「あの、今ですか?」
「ああ」
「この墓の外に?」
「他にどこがある」
「でも、皇子、これ……」と、ハルは自分の左足を指差した。鉄の足枷から伸びる短い鎖が、カイの右足に嵌められた足枷に繋がっている。
「動きを合わせる稽古だと思えば何とかなる。昔、よくやったろ」と、カイはケロリと言った。
ハルは、目を瞬かせる。
「とりあえず、外の見張りは一人しかいなさそうだ。殴り倒して、まずはコンドル卿と鷹卿を捜すぞ」
「……もし見つかったら、」
「どうせ、ここに連れ戻されるだけだろ。王が俺たちを殺す気なら、とっくに殺してる」とカイは肩をすくめた。「まだ殺す気はないってことだ」
「でも……」
「ここにいるよりは、何かわかる。少なくともここの外の様子は分かる。行くぞ」
カイは、早速立ち上がる。
ハルは少しの間、黙ったままカイの顔を見上げていたが、突然気が抜けたように笑い出した。
「なんだ?」と、顔を顰めてカイが聞く。
「いえ、さすが皇子だなあと思って」とハルは答えた。「僕のほうが、皇子の身を守る方法を考えていなきゃいけないのに。皇子のほうこそ、色々あって大変なのに」
「俺は、そう大変でもない。あの爺が腹を切ったくらいでくたばるとは思わんし、父上も薬には慣れておいでだ。麻薬くらいではどうにもならん。クロイ大叔父が俺を殺そうとしているなら、まあ、返り討ちだな」と、カイは平然と言った。「それよりも、今は禿鷲王だ。とにかく様子を探ってみて、ここから逃げ出せるなら逃げ出すぞ」
「……そうですね。ただここにいても、何も始まりません」と、ハルも頷きながら言った。「行ってみましょう」
早速、ハルが、懐から手ぬぐいを引っ張り出して足の鎖に巻きつけ始める。
最初、怪訝な顔でそれを見ていたカイだが、すぐに
「なるほど、音か! そうすると少しは音がしなくなるな」と、感心したように言った。
「……もしかして、こんなことも考えていなかったんですか?」とハルが呆れたように言う。「本当に思いつきだけで動きますね」
カイは、チッと舌打ちをした。「悪かったな」
「別に悪かないですよ。僕には、皇子がいて、本当にありがたいんですから」とさらりと言いながら、ハルは手ぬぐいの端を裂いて縛って留めた。それから、カイを見上げていつものようにニコッと笑った。「さあ、行きましょうか」
二人は、動きを合わせて音を立てないように階段を上った。出入り口付近で一度止まり、様子を伺う。見張りが入り口のすぐ横に腰を下ろしている以外は、動くものの気配はなかった。二人は顔を見合わせて頷き合った。
素早く背後に忍び寄ると、見張りの口を塞いで体を階段の方に引っ張り込んだ。抵抗される前に、ハルが鳩尾を突くつもりでいたが、驚いたことに、見張りは一切抵抗をしない。どころか、身体の力が抜け、だらりと二人に寄りかかってきた。どうやら、すでに気を失っている。が、驚く間も無く、二人は外に足音を聞いた。咄嗟に、見張りの体を抱えたまま身を屈める。
程なく入り口に人影が現れ、追うように飄々とした声が響いた。「あら、やっぱり大人しくはしちゃいないってわけね」
顔を上げた二人の目に飛び込んできたのは、派手な孔雀翼だ。
「……ピコか?」とカイが驚いたように囁く。
「どうしました? 何かあったんですか?」ハルも小声で不安げに言った。
「どうもしないわよ。あんたたちを逃しに来たのよ」
「逃しに?」
「どういうことだ?」
ピコは答えず、見張りを見た。「この人なら、放っておいても大丈夫よ」言いながらぐったりとした体を受け取り、階段に俯せに寝かせると、どことなく素気無い調子で続けた。「今、此処から逃げ出して、もし禿鷲族が目覚める前に上皇陛下がお着きになれば、多分一番被害が少なくてすむわ。禿鷲は黙って去るだろうし、国のいざこざは、あんたたちが帰ってから何とかすればいいでしょ」
二人は、目をパチクリさせて、ピコを見た。
ピコは珍しくイライラした調子で付け加えた。「つまりね、この馬鹿な策略に智賢卿が関わっている事実を忘れると約束するなら、逃げるのに力を貸すわ、という話よ。どう?」
ピコの言葉に、二人は顔を見合わせた。それから、力強く頷き合った。二人に異論があるはずもない。すぐにピコに目を戻し、カイが「乗った」と答えた。
「ヨシ、決まりね。ハイ、これ」と、ピコはすぐさま小さな鍵を懐から出してカイに渡した。二人の足枷の鍵だった。
それから、小刀をハルに手渡す。ハルは受け取ると、早速カイの翼を縛っている縄を切った。
「さ、急いで。鷹卿とコンドル卿のところに行くわよ。もう話はつけてあるの」
「どうやってここを抜けだすんだ?」カイが、足枷を外しながら聞く。
「あら、そっと歩いて出ればいいのよ。どうせ、皆、こんなふうに寝てるわ」と、ピコは見張りを指差した。「睡眠薬よ。よく効くのよ。酒と飲み水に混ぜたのよ」
ピコは事も無げに言った。カイもハルも、既にこの孔雀翼の宮廷役者が、睡眠薬を持ち歩いていようが毒薬を持ち歩いていようが、驚かなくなっている。
カイが「なるほど」と、妙に納得したように頷いた。
「ただ、」とピコは続けた。「残念ながら、全員分というわけにはいかなかったわ。飲んだのは夜番の見張りたちと近習と王だけよ。……だからもう一回確認しますけどね、今のままでいれば、あんたたちは、多分、禿鷲王の国に行くまで安全よ。その後も、運次第でどうにでも生き延びることが出来るでしょうね。でも、今逃げ出して、もしも上皇陛下がお着きになる前に見つかったら、王は間違いなくあんたたちを殺すわよ。そういう奴よ。どうなさりたい、殿下?」
カイは、聞くまでもない、という顔をした。
コンドル卿と鷹卿は、地下王墓から出た先の右手に張られた小天幕の中で、二人の到着を待っていた。
「殿下、継承君、ご無事なお姿、安堵いたしました」と両卿は囁きながらも声を合わせた。
すぐにピコが、小声で制した。「挨拶はあとよ。いい、この向かいにあるのが王の天幕よ。アタシの覚えている限り、禿鷲王はもともと眠りが深いほうなの。音を立てなければ起きないわ。ここを出たら、とにかく音をたてないようにして、アタシについてきてちょうだい。大天幕から出たら、歩くわよ。羽音はさせないほうがいいと思うわ。それとね、」と、ピコは手を伸ばして、天幕の隅に置いてあった細長い風呂敷包みを引き寄せた。開くと、中は刀だった。「悪いけど、本物は継承君の神官剣しかないの。あんたたちの刀は、王が気に入って寝台の下においているから取り返せなかったわ。夜警たちのものを失敬してきたからこれで我慢してちょうだい」
皆が頷き、それぞれが一本ずつ手に取った。
それから、五人は静かに小天幕を出た。
禿鷹王の天幕の入り口に数名の夜警がいたが、皆死んだように眠っている。五人は、慎重に、足音を立てずに大天幕から出た。出た先にもう一つ天幕が張ってあり、そこに禿鷲王の兵士たちが眠っているという。
砂漠は静かだった。空が濃い青になっている。日の出まではまだ間があったが、辺りは徐々に明るくなってきていた。
カイ、コンドル卿と鷹卿、ハルとピコの順に、五人は黙々と砂漠を歩いて、禿鷲王の天幕から逃れた。
夜が明ける頃、五人は四天王の天幕にたどり着いた。ピコが、早速、睡鎮香の香炉を取り出して砂の中に埋めた。死んだように横たわる四天王の家人たちだったが、なぜか傷のある者には手当てが施されていた。
それから、瓦礫の上に立ち、五人は丘の上の城跡を眺めた。
静かだ。動くものはない。
ピコとハルはじっと黙ったまま、城跡を眺めていた。
カイは二卿に、禿鷲王との会談のことを尋ねた。
二卿によると、禿鷲王は、意外にも好人物だったという。二人に自分の国に来るよう持ちかけ、二卿が考える時間を求めると、快諾したらしかった。
カイは怪訝な顔をして言った。「王の目的は何なんだ?」
「わかりませぬ。ただ、王には、刹那的に混乱や戦闘そのものを楽しんでいるような節がありましてな。その気まぐれに振り回されて、計画も二転三転しているように見受けられました。我らに誘いをかけたのも、深い理由があってのことではないのかもしれませぬ」と、コンドル卿が答える。
「そういえば、決闘市場でも思いつきのように相手を切ったと聞いたな」とカイは頷いた。「……それで、智賢卿はなんと言っていた?」
「会談中は何も。ただ、もとより我らが王の誘いに乗るとは考えられておられぬご様子でしたが」と鷹卿。
「……やっぱり俺には訳がわからん」
「国に戻れば、何かが見えてくるかもしれませぬ」
「そうだな」
「ともかく、このまま上皇陛下がお着きになるまで、禿鷲族が目を覚まさねば良いが」と、コンドル卿が呟いた。
鷹卿が「ただ、そう簡単にことが運ぶとも思えませぬ」と低い声で付け加えた。
その時だった。
静寂が、ヒュルルルルッという高い音に破られ、辺り一帯に花火の大音響が轟いた。同時に、四天王の天幕の裏手から一人の鷂翼が飛び去って行った。




