一大事
皇家鷲族は、裏の駆引きを担う隠密の一族を、幾つか配下に持っている。
詳細が明かされることは滅多にないが、その殆どが、鴉翼、懸巣翼、鳶翼の一族なのだと言われている。
また、彼らほど内密の存在ではないものの、類する特殊な存在として、毒見役の家と呼ばれる一族がある。皇帝をはじめとする皇族全ての食事を管理し、毒物の鑑定、解毒薬の調合、薬草医療などを行うものたちで、この一族は、孔雀翼をしている。
互いの利になるという理由もあって、この毒見の家のものと、隠密の一族のものとが、縁戚関係にあることは珍しくない。
* * *
翌朝、カイが目を覚ました時、ハルは既に起きていて、隣で竜に貰った本を読んでいた。カイに気付くと、おはようございます、と笑う。屈託のない、いつものハルの笑顔だった。
「食事にしましょう。早く出発しないと、四天王に鉢合わせるかもしれません」ハルは立ち上がり、本を長持にしまうと食べものを取り出し始めた。「向こうに水場だったような場所があります。汲水管はそこにさしてありますから」
いつもと変わらないハルの様子だった。
カイは、言われれるまま素直に顔を洗いに行った。が、耳の奥には、まだ昨晩聞いた嗚咽がこびりついている。夢にしてはやけに生々しかった。
露台に戻り、瓦礫に腰を下ろして乾燥肉をかじりながら、カイはさりげなく聞いてみた。
「おい、昨日の夜は、何もなかったか?」
すると、ハルは、きょとんとした顔をした。「何かあったんですか?」
カイは、少しほっとして、「いや、変な夢を見ただけだ」と答えた。
「変な夢? 悪い夢ですか?」
「……うん、まあな」
「国の?」
「いや、声が聞こえた」
「どんな?」
「どうして俺なんだ、とか、言葉はよく覚えていない」声を思い出し、カイは居心地悪げに座り直した。「……泣き声が聞こえた。お前の声みたいだった。サレイがピコの歌を歌ってて、変な夢だ。何だったんだろうな。よくわからん」
ハルは少し驚いた顔でカイを見た。少ししてから、静かな声で言った。
「サレイの歌は、もしかして『傍観者の嘆き』でしたか?」
「そうだ、それ」
「それなら僕も聞きましたよ」
「なに?」
「サレイがあの歌を歌ってるの。半分寝ていましたけど、確かに聞きました。多分、前に来た翼族が教えたんでしょう」
「……夢じゃなかったのか」
「歌はね。でも僕は、他には何も聞きませんでした。……ただ、眠るまで、」
そこで言い難そうに言葉を切る。
「何だ?」と、カイが促した。
「ええ、……眠るまで、もし、僕が一人きりで、本当に翼が欲しくてこの旅を始めていたんだとしたら、どうだっただろうな、と考えていました」
「どうだったんだ?」
「そうですね。まあ、こう簡単には色々諦めきれなかっただろうな、と」
口を開こうとするカイを遮ってハルは続けた。
「でも、僕は、もう本当にいいんです。だから、そうでよかったと思っていたんです。でなければ、」と、ハルは、慎重に、ゆっくりと言葉を紡いだ。「多分、皇子が昨晩聞いたような言葉を、叫んでいるところでした。だから、もしかしたら皇子は、僕が想像していた僕の声を聞いたのかもしれませんよ」
「……よく分からん」
「そりゃそうです。分からないように言ってるんだから」
「分かるように話せ」
「そう言われてペラペラ話すくらいなら最初から隠さないでしょ」と、ハルはしれっと答えた。
仏頂面になるカイを、まあ、まあ、と笑いながら、ハルは宥めた。
「分かるように言えば、一人じゃなくてよかったって事です。ま、皇子が居てくれるおかげで、僕の歌もまともに聞こえるわけですし」
カイが更にふて腐れるのを相手にせず、ハルは笑って「どちらにしても、皇子が声を聞いたっていうのは夢ですよ。それよりも、さっさと食べちゃって下さい。早く出発しないと、四天王が、何時ここに来るか分からないんですから」と言った。
が、その後、二人の旅の様相は激変することとなる。
カイが乾燥肉の最後の一欠片を口に放り込んだ時、ピコがひょっこりと現れた。
ハルが驚いて「無事だったんですね!」と叫ぶ。
「四天王に掴まったと思ってたぞ!」とカイも続けた。
「もちろん無事だし、もちろん掴まらなかったわよ」と、ピコは朗らかに答えた。それから、怪訝な顔をしてカイを見た。「……ねえ、それよりも、確かザクザク切られたわよねえ? あんなことでくたばるような殿下じゃないとは思っていたけど、さすがにここまでケロリとしているとは思わなかったわ。原始的翼族の驚異的回復力? 単細胞並?」
頭に血の上りかけたカイを遮り、ハルが答える。
「僕が、水王の癒命水を持っていたんですよ。どんな傷でも立ち所に治してしまう妙薬です」
「あら、そう、それなら納得!」ピコは、いつものようにきゃらきゃらと笑った。
「それよりも、どうしてここが分かったんですか。今まで、どうしていました?」
「継承君は相変わらずご冷静でいらっしゃることねえ。待ってちょうだい。今、説明するわ」
そう言うと、ピコは後ろを向いて叫んだ。
「出てらっしゃいよ!」
すると、廃墟の神殿の中から、まっすぐな黒髪を後ろで束ねた、中肉中背の懸巣翼の男が現れた。
決闘市場のビイだった。
驚く二人に、ピコがけろりと「アタシの従兄」と言った。
ビイは、上皇付きの密偵だった。
ピコは、といえば、毒見役の家の出なのだという。
「……なるほど毒見か!」
少年二人は声を合わせた。
「そう言えば、あの家は孔雀翼ですね!」
「だから、毒物や解毒薬にあんなに詳しかったんだな!」
「料理も上手いはずです!」
「ええ、まあ小さな頃から訓練を受けていますからね。でも、アタシ、家業に従事している兄が三人もいるの。だから自由気侭に役者になれたというわけ。もちろん勘当されていますけどね」と、誇らしげにピコは語った。
四天王の待ち伏せにあった時、ピコは、隙を見て岩場の裂け目に身を隠し、そこに、ビイが合流したという。
「で、従兄が殿下と話がしたいって言うもんだから、連れてきたわけ。多分ここにいるだろうと思ったのよ。でも、厄介なことに、四天王もここに向かっているみたいだったわ。まあ、アタシたちの方が身軽だから、早く着きましたけどね。……さ、兄さん、とっとと話しといた方がいいわ。それほど時間はないわよ」
ビイが頷き、慇懃に礼をしてから話し始めた。
「現在、国では、殿下はご乱心の上、重罪を犯され、国外に逃亡中と報じられてございます」
「……俺が、なんだって?」
「殺人、皇帝暗殺未遂ほか、複数の罪に問われておいでです」
カイもハルも言葉を失った。
事件は、皇覧大会決勝の日に起きたという。
まず、神官の一人と、その従者の燕族三人が血まみれで倒れているのが、神殿内の宝物殿近くで発見された。神官は一命を取り留めたが意識不明の重態、燕族の三人は既に息絶えていた。宝物殿からは、神剣が無くなっていたという。
さらに、知らせを聞いて城に戻った皇帝が、執務室に向かう途中、吹き矢のようなもので襲われた。放たれた矢は、皇帝を庇った筆頭賢者の腕に刺さったが、矢先に毒が塗られていたらしく、筆頭賢者はその場で倒れ、意識不明となった。以降ずっと意識が戻っていないという。毒は、翼族の国では知られておらず、医師と毒見の家のものが、現在も治療にあたっているらしかった。
現場にいた複数名が、小柄な白翼の人物が走り去るのを目撃しており、念のため、皇太子に使いが出された。しかし、皇太子の行方は不明、さらにその守役だった継承君も不在であることが確認された。
「……俺が爺に残した手紙はどうなった? 俺もハルも、手紙を残した」
「そのような書状があったとは、一切発表されてはおりませぬ」
二人の失踪と、一連の事件との関わりもわからないまま、数日が過ぎた。
が、三日後の朝、重態だった神官が意識を取り戻し、燕族三人を殺害したのは、皇太子に似た小柄な白翼者で、神剣を盗みだしたのもこの人物であったと証言した。様々な憶測が飛び交ったが、最終的に、全ては、皇太子の仕業と断定されたという。
「……どうして俺なんだ?」
「主に、クロイ卿殿下の、皇太子殿下には以前から狂気の傾向があった、との強いご主張に依るものかと存じます」
皇太子は、自らの立場を不服として国や皇帝に恨みを抱いており、また、他国の毒薬や吹き矢が手に入りやすい決闘市場によく出入りしていた。しかも、下町に出回っている幻薬の中毒になっている可能性もある。よって、皇太子は乱心の上、数名を殺傷、継承君を人質に逃走したのであろう、というのがクロイ卿の主張だった。
皇帝もそれに賛同し、即刻、皇太子の廃嫡を宣言した。さらに身柄を拘束し次第、直ちに処刑せよという勅命が下されたという。
「これに強く反発されたのが梟侯爵。全くの冤罪であると主張され、詳しく事件をお調べになるよう陛下に懇願されたのですが、受け容れられず、殿下帰国までの処刑の延期を求め、その晩、御腹を召されました」
「……何?」
カイは一気に顔色を失い、ビイが急ぎ付け加えた。
「発見が早く、お命は取り留めた由、聞き及んでございまする」
「……そうか」
「これを受け、皇帝陛下は、処刑の延期を認められたものの、以来、梟族を中心に、陛下に対する不信感が強まってございます。四大公爵家と、大烏伯及びゴオ卿率いる飛武術家たちは、当面の中立を公言。他の武術家たちは、武術院の決定に従うとの意思を表示、が、武術院は見解の発表を、現在のところ、まだ躊躇している様子。その後、城より、皇太子殿下が鉱物の都に向かっているという情報が入ったとの発表があり、すぐに四天王が西方へと派遣されたのでございます」
「……お前は、どうしてここにいる?」
「上皇陛下の御命により、四天王の動向を見守ってございました」
上皇は、一連の事件の経緯に不審を抱き、現在も老神官と共に自ら真相を調べているのだという。
カイもハルも、暫くは言葉がなかった。
少しして、カイが低い声で尋ねた。「……どうして、城は俺たちが鉱物の都にいると?」
「その情報の源は明かされてはおりませぬ」
「クロイ大叔父は、なぜそれほどまでに確信を持って、俺が乱心したと言われる? 父上も、ただ、それを鵜呑みにされておいでなのか?」
「詳細は分かりませぬ。しかし、先日送られてきた最新の情報によれば、後日、皇帝陛下は、一転し、全ては四天王の陰謀であった、という声明を発表された模様にございます」
「四天王の?」
「は。このことが原因で、現在、四大公爵家が皇帝陛下と対立。クロイ卿は四公爵に追随し、国は緊張状態の中で、殿下と四天王のお戻りを待っているとのことにございます」
「四天王の陰謀というのは、本当なのか?」
「何とも言えませぬ。ただ、上皇陛下が、ご自身で事の真偽をお確かめになるべく既にこちらに向けて国を発っておられます。おそらく明朝にはこちらに」
「そうか」
「は」
カイは黙り込んだ。
『些細な愚行が、莫大な被害を生む。国を動かす力とは、そういうものじゃ』という獣人王の言葉が脳裏に浮かび、ぞっとして、なるほど、これが俺の責任か、と不意に悟った。
ややあって、カイが再び口を開いた。
「四天王も、ここに向かっていると言ったな?」
「御意」
「今、どのあたりだ?」
「そろそろ到着するのではないかと」
「わかった」
「あら、どうなさるおつもり?」と、ピコが口を挟んだ。
「四天王に会う」
「四天王の真意も分からないのに、危険です、皇子」と、ハルが真っ青な顔をして言った。「せめて、上皇陛下のご到着を待ってからにしてください」
「心配いらん。待っている間に、会って話をするだけだ」
ハルは、諦め顔で「……僕が何を言っても無駄ですね」と言った。
ピコが「翼の墓場はもういいの、殿下?」と続けた。
「ああ、もういい」
「精霊に会ったのね?」
「ああ」
「そう。ここで四天王を待つの?」
「いや、城壁の外側に出よう」
「そうね、殿下にしちゃ、正しい気づかいだわ」
それから、四人は、城壁の外まで飛んだ。
ビイだけは、見張りをするために少々先まで飛び続けたが、三人は、都を囲むように点々と連なる瓦礫の一つに下り立った。
瓦礫に腰を下ろしたところで、カイはふと奇妙なことに気づき、ピコを見た。
「……おい、ピコ。お前、どうしてここの精霊のことを知っているんだ?」
ピコがカイを振り向いた時、四天王の到着を告げる、ビイの声がした。




