翼の無い人々の廃墟
四日四晩、最低限の休息だけで、カイとハルは飛び続けた。
そして、五日目の朝。朝焼けの砂漠の中に、ついに二人は、石盤に浮かび上がる景色とまったく同じものを見た。朝の光に照らされた褐色の廃墟だ。夢の残骸のように、ひっそりと砂の中に佇んでいる。
一方に城跡と思われる丘。その周辺に残る石の遺跡群。丘から放射線状に伸びる何本もの石畳の道跡。住居後らしき土台が、あちこちに残る。廃墟の三分の一ほどを占める巨大な砂の窪地は、湖の跡のように見えた。朝日を浴び、砂が所々きらきらと輝いている。
ハルが、石柱の並ぶ一際広い道路を指さした。「あそこに下りてみましょう」
二人は、石畳の上に下り立ち、ぐるりと辺りを見回した。
辺りに散らばる大きな石の塊は、石像のようだったが、今は見る影も無かった。全てが乾き、崩れ、砂に埋もれていた。
「……完全な廃墟だな」
「そうですね」
少しして、辺りを見回していたハルが、「……あれは何でしょう」と道の横の広場を指差した。砂の中に、何か光るものがある。
掘り出してみると、銀色の奇妙な金属でできた大きな板だった。表面に文字らしき象形の羅列と、人物像が描かれている。人物の背には、薄い、凧のような翼があった。
「蝙蝠羽だな」
「ロブ・ロイ卿の見た人々に間違いないようですね」
「じゃあ、やっぱり、翼の無い人々というのが、蝙蝠羽の翼族か」
「そのようです。……これは、記念碑か何かですね。文字が読めればいいんだけど」
「ハルでも分からんか?」
「まったく見たことのない文字です」
金属の上には何か塗料が塗られているのか、描かれた模様は驚くほどきれいに残されていた。触れると、指に吸い付くような鈍い感触がある。滑らかだが何かが硬い。カイは顔を顰め、すぐに手を離した。神経に障るような、嫌な感触だった。
「……丘の城跡に行ってみるか。何か、もっとマシなものが見つかるかもしれん」
「そうですね」
二人は、早速丘に飛んだ。
途中、眼下に広がる砂の海を見下ろしながら、ハルが言った。「あれが、湖が干上がった跡だとすると、水源はなんだったんでしょう。水が流れてきそうな高い山も近くには無いですよ」
遠くに山並みはあるが、全て茶色い岩山だった。
「地下水だろう。真水族と交流でもあったのかもしれん」
「でも、それがなかったようなんですよ。鉱物の都で貰った資料を読んだんですが、この都の住人は、ずいぶん閉鎖的で孤立した存在だったそうです。真水族だけじゃなくて、他の種族との交流も一切無かったようです。というよりも、他の種族の存在を知らなかったような節があるそうで、もしかして異世界から流れてきたのかもしれないと書かれていました。この辺りの古代の地には、そういう空間や時間の歪みが存在するそうですから」
「そうなのか?」
「ええ。竜たちも別れ際にそう言っていたでしょう。とにかく、そういう種族だったから、僕たちにもよく知られていないんですよ、きっと」
二人は、丘の麓の遺跡に下り立った。
その遺跡が、丘の周辺に残された遺跡群の中で最も保存状態がよく、ファサードらしき部分がきれいに残っている。石の階段がファサードの中央から窪地へ向かって続いていた。
二人は、その階段の上に立って砂の海を眺めた。
と、硝子のような水晶のようなものの断片があちこちに投げ捨てられている。
「上から見たときに光っていたのはあれか」
カイは、そう言って砂の中に入っていった。水晶らしきものの断片に近寄って確かめる。すぐに驚いたようにハルを呼んだ。
「おい、これ......!」
「どうしました?」
ハルが急いでカイのもとに駆け寄る。すぐにハルも驚きの声を上げた。
なんと、カイが指差しているものは、巨大な真水族の汲水管だったのだ。輪のように分断されて砂の中に埋もれている。
「この都も、真水族とだけは、繋がりがあったんですね!」とハルが叫んだ。
「何で吸水管がぶった切られているんだ?」カイが訝しげに問う。
「さあ……。もしかして、これが、都が滅びた原因かもしれませんね。管が壊れて、水の確保が、」
「別のものを貰えばいいだろう」
「……そうですね。真水族と交流があったのなら、それが普通です。じゃあ、やっぱり何かが起こって、それから、管が壊された」
「戦か?」
「そうかもしれません。もしくは、真水族を怒らせて、新しい管を貰えなかったとか……」
ハルが言葉に詰まった。暫く黙り込んだ後で、呟くように言った。「何か、気味が悪いですね、ここ」
「ああ」
二人は黙ったまま、目の前に広がる砂地を眺めた。
と、どこからともなく、歌声が聞えてきた。二人は、驚いて顔を見合わせた。聞き慣れない言語だったが、不思議なことに、意味を成さないその音の連なりが、二人の頭の中で、ふ、と意味を持った映像に変わる。
湖畔に咲いた夢を覚えておいで?
愚かに乾き崩れたあの夢を?
木々は遥か先まで繁り
風は憂いも知らず
わたしは歌い続けたもの
湖畔のあの夢を忘れてはならぬ
愚かに嘆きと成り果てたあの
欲望は止まること無く
空幻が生身を蝕み
残ったものは虚しさばかり
覚めぬ眠りをわたしは眠る
覚めぬ夢を見続けながら
汝のその手が揺り起こすまで
憂いに満ちた美しい歌声だった。ファサードの向こうから聞こえてくる。
二人は入口を抜けて建物の中に入った。
入った先は神殿の列柱廊のような空間だった。
声を追って、二人は奥へと進んだ。突き当たりの左右に一つずつ小部屋があり、そこを抜けて正面の小さな門から外に出ると、一気に視界が開けた。そこは、砂漠を一望に見渡すことができる、露台のような場所だった。
まばらに瓦礫の山があり、その一つに、翼のない人物が座っていた。
長い茶色の髪。紅い衣を纏うほっそりとした後ろ姿。遠くの山々を眺めているようだった。
二人が立ち止まった時、その人物がふと振り返った。二人よりも幾つか年上に見える、美しい少女だった。炎色の宝石が飾られた冠を被っている。両目は閉ざされたままで、若干窪んでいるように見えた。
『……イリュウ?』
深く頭の奥に響くような声だった。
何故かぞっと身が竦み、カイもハルも直ぐには返事が出来なかった。
少女はスッと立ち上がり、『キ、テルツィバラ、オル』と言った。二人が、その意味を、「いいえ、あなたは違う」だと悟った時には、突風が吹き、少女の姿は消えていた。
しばらくして、カイが呟いた。
「生身のものじゃないな。だろう?」
「……違いますね。霊魂とか精霊と呼ばれるものだと思います。自然霊じゃなくて、死んだ者のね」
「平たく言うと、幽霊か?」
「ですね」
「なんでそう思う?」
「あの人が、僕たちには分からない言葉を話していたからですよ。精霊と交流するとき、僕たちは、言葉を介さずに、直接、思考を交し合うといいます。だから、僕たちもあの人の言っていることの意味が分かったわけだけど、自然霊なら、最初から言葉そのものを使わないはずですから。竜の召使たちみたいにね」
「なるほど。この都の住人か?」
「でしょうね」
「なら、翼の墓場について何か知っているな。どうすれば、もう一度会える?」
「さあ……。多分、霊次第です。現れたくなった時にまた現れるでしょうが、こちらから呼び出すのは、難しいんじゃないかな」
「そうか。まあ、いい。とにかく、もう少しこの建物を見てみよう」
「そうですね」
二人は、先ほど通り過ぎた小部屋を覗いた。一方は屋根が崩れ落ち、見るものは何も残されていなかったが、もう一方の壁面に、翼族を描いた美しい精密画が残されていた。その翼が、見事な鳥の白翼だった。
「……皇子の羽みたいだ」
「蝙蝠羽の他に、鳥翼の種族も住んでいたのか?」
「でも、元々、翼のない人々のはずでしたよね?」
「そういや、そうだな」カイが顔を顰める。「なんだか、訳が分からなくなってきたぞ」
ハルが苦笑して、「情報が、少な過ぎますからね」と言った。
丘の頂上の城跡は、砂地近くの建物よりもずっと荒廃が激しかった。
が、丘の最も高い部分に、石柱の残骸が立ち並ぶ、石畳の大広間がかろうじて残されていた。
二人は、翼の墓場の手がかりになるようなものを探して、大広間を注意深く見て回った。そして、大広間の中央にあった砂山の中に、汲水管の破片を見つけた。そして、その下に驚くべきものを見た。
木乃伊だった。
長い茶色の髪。色褪せた紅い衣服。炎色の宝石が光る冠。美しい、女性の木乃伊だった。
二人が汲水管の破片を丁寧に砂の中から掘り出すと、木乃伊は、胴の丸い弦楽器を抱え、玉座に座らされていることが分かった。真二つに割られた汲水管がそれに被せられ、奇妙な布で周囲がぴっちりと囲まれていた。
暫くの間、二人は無言で木乃伊を眺めた。
「……さっきの人ですね」
「ああ。きっとこの都の女王だったんだな」
『……違う』
突然、深く響く声が背後から聞えてきた。
カイとハルが驚いて振り返ると、木乃伊にされた少女の精霊が、すぐ後ろに立っていた。
『私は女王などではなかった。なりたいと思ったこともない。私は、都の神殿最後の巫女だった』
精霊の存在は、深い悲しみに満ちていた。その、底のない沼のような嘆きが、瞬く間に周りの空気を飲み込んだ。カイとハルも、それに囚われて動けなくなった。直ぐに熱い風が吹き、砂埃の奥に精霊は消えたが、その数秒は、永遠が凝縮されたかのように重かった。
二人は、精霊が消えた後も、暫くの間、動くことが出来なかった。痛みにも似た精霊の深い悲しみが、二人の心を捉えて放さなかった。
ハルの顔は青ざめ、身体が小刻みに震えていた。その姿を見たカイが我に返った。頭を振り、ハルの腕を掴むと、玉座から離れた。
二人は大広間をでて、市街地跡を見下ろす崖の手前に腰を下ろした。
目の前の景色は、全てが褐色で荒れ果てていた。崖の直ぐ下に、半円の広場の跡があり、そこから放射線状に五本、道路が伸びている。右手には巨大な砂地が広がっていた。
「……昔は、どんな都だったんだろうな」
「さっきの歌で、木々が遥か先まで繁り、って言っていましたね。それにロイ卿の記述にも、驚くほど豊かな街並と書かれていましたよ」
「それが何年前に滅びたんだ?」
「ニ千年近くは昔ですね」
「あの巫女の魂は、その間、ずっと一人でここにいたのか?」
「……そうと思います」
「陰気にもなるわけだ」
ハルが、思わず吹き出した。「皇子にかかると、ニ千年の嘆きも形無しですね!」
カイがふて腐れると、ハルは、まあ、まあ、と宥めてから言った。「皇子のそういう思考回路は、むしろ健康的だと思います。僕は……陰気というよりも、もっとどろどろとした何かを感じましたから」
「どろどろとした、何だ?」
「よく分かりませんけど、憎しみとか、恨みかな……」
「誰に対してだ? この都の人々か?」
「それは分かりませんけれど……」
フーンと、考え込むように鼻を鳴らして、カイはごろりと横になった。それから、低い声で呟いた。
「翼の墓場は、どこにあるんだろうな」
「見つけるのは、簡単じゃなさそうですね」
溜息混じりに答えて、ハルも横になった。
暫くの間、二人は無言で朝の空を眺めていたが、何時しか、眠りに落ちてしまった。




