空獲りの儀式
翼族の国の中心部には、巨大な円柱形の岩山が、群れを成して立っている。垂直に聳え立つその岩山の塔を、翼族の民は塔型台地と呼んでいる。
群れの中心に位置する塔型台地は、高等牢獄の塔を除けば、国中で最も高く、皇塔と呼ばれている。皇塔の頂には城が聳え、すぐ横の塔の頂には立派な闘技場が立っている。皇家鷲族闘技場だ。
立冬のその日、すでに闘技場は、背に様々な鳥の翼を持つ翼族の若者たちで埋め尽くされていた。寒い冬空の下、場内だけは熱気でむせ返るようだった。
闘技場の中央には祭壇が設けられ、壇上には、大太鼓と、翼の形に彫られた像が置いてある。その翼の像には、白い綱が幾重にも巻きつけられていた。
ざわめきの中、翼の無い神官が一人壇上に上がり、今年の空獲りの儀式が始まった。
無翼の神官は、壇の中央に立つと、懐から巻物を取り出し、粛々と詞を唱え始めた。
場内は騒がしいままだ。奇妙な熱気が、手に負えない大波のように若者たちの間をうねっていく。
ただ、神官は、その熱気に全く感化されることがない。低い、穏やかな声で、厳かに祝詞を上げていく。が、若者たちも、その落ち着きに感化されることはなかった。
ややあって、神官が詞を唱え終えた。闘技場に、待ちかねたように歓声が上がった。
神官は、顔色一つ変えずに巻物を懐に収めなおすと、今度は綱の巻きつけられた翼の像の前に立った。そして厳かに抜刀し、流れるようにスッと刀を振り下ろした。翼に巻きつけられていた白い綱が、断ち切られる。次の瞬間、闘技場にひときわ大きな歓声が湧き上がった。
空獲りは、翼族の民の成人の儀式だ。ここで像に巻きつけられた白綱を断つことは、それまで若者たちの翼に掛けられていた、目に見えないくびきを外すことを意味する。
翼族の子供は、十三歳で成人するまで翼を自由に使うことを許されていない。が、今や、闘技場に集う全て新成人たちに、翼の自由使用許可が与えられたことになるのだ。
続いて空獲りの競技が始まる。
競技も、成人の儀式の一環だ。若者たちが、自由になった翼を存分に試し、飛ぶ速さと強さを競う。国境山脈の頂上に聳える「見張りの塔」に最初にたどり着き、祠の前で待つ神官から勝剣と呼ばれる懐剣を受け取った者が勝者だ。
翼族には、空に属する種族だという誇りがあって、空獲りの競技に勝つことは、翼族の民最高の名誉だとも言われている。若者たちにとって、空獲りは儀式よりも競技が主体の催しだ。熱気は否が応にも増していく。
神官が壇上の大太鼓の前に立った。若者たちの興奮が頂点に達して、闘技場が狂気じみた熱気を放ち始めた時、大太鼓の音が響き渡った。若者たちは、一斉に空へと舞い上がった。我先にと周りを押しのけ、上へ上へと飛んでいく。
観客席も、熱気と興奮に包まれている。人々が、今年の優勝候補は鷹族だ、いや隼族だ、と口々に叫ぶ。誰もが、浮かれながら今年の勝者の帰りを待っている。
* * *
その闘技場を見下ろす城の正面広場では、少年の集団が、楽しそうに木刀を交えていた。皆、種類の異なる翼を持つ少年たちで、それぞれ対になって、剣術の地稽古をしている。
威勢の良い声が飛び交う。時折、笑い声が上がる。
その中に、外見も剣術の腕も、一際抜きんでた一組があった。
一人は、輝くように白い、狗鷲の翼をしている。ボサボサの金茶色の髪、顔は日に焼けて真黒だ。
その相手をしている少年には翼が無い。黒髪を肩の辺りで切り揃え、藍と白の神官服を着ている。
と、うまく相手の攻撃をかわした無翼の少年の切っ先が、白い狗鷲翼の少年の額の前でぴたりと止まった。
「……畜生!」
白い狗鷲翼の少年は、木刀を投げ出して、その場に胡坐をかいた。
翼の無い少年は、涼しい顔をして、「あのね、隙だらけですよ」と言った。
「黙れ!」
「特に、右に振りかぶったとき、」
「黙れ!」
周りにいた数人が、手を止めて二人を見た。
「あれ、皇子また取られたんですか?」
「継承君、少し手加減してやれよ」
「……お前ら、黙れ!」
白い狗鷲翼の少年は、地面に散らかっている手ぬぐいを、手当たり次第投げつけた。
「止めてよ、皇子!」
周囲が笑いながらそれを避けた。
白い狗鷲翼の少年は、仏頂面のまま立ち上がる。
「おい、スタン、相手しろ」
スタンと呼ばれた、茶色の大鷲翼の少年が、笑いながら進み出て、二人はすぐに刀を交え始めた。
他の少年たちも、それぞれ相手を見つけて地稽古を始める。
少しして闘技場から歓声が聞こえてきた。
少年たちは木刀を下ろして、歓声の聞こえてくる方を見た。
角鷹の翼の若者が、一人、闘技場に降りてゆく。
白い狗鷲翼の少年が、「勝ったのは鷹族か」と言った。
「そうみたいですね」と、翼の無い少年が答えた。
角鷹翼の若者が祭壇に降り立つと、闘技場は大歓声に包まれた。若者は、青い漆塗りの勝剣を握った手を、誇らしげに突き上げた。
城の広場の少年たちは、それぞれ黙ってそれを見ている。
少しして、翼の無い少年が口を開いた。
「……来年は、皇子たちの番ですね」
「ああ」
「きっと皇子が勝ちますよ」
「さあな」
「いや、皇子だよ。皇子、たぶん真面目に飛んだら速いよ」
乱取りの相手をしていた、茶色の大鷲翼の少年が口を挟む。
他の少年たちも口々に、そうだよ、多分皇子だ、と言った。
当の白翼の少年は興味なさげに肩をすくめた。それから、ふと思いついたように続けた。
「空獲りが済んだら初等学校も終わりか。お前ら、このあとはどうするんだ?」
「俺たちは、それぞれどこかの飛武術館です」
「やっぱりそうか」
「そりゃそうだ。今さら芸術学館とか医術学館なんかに行かないですよ」と、茶色の大鷲翼の少年が言った。
すると、背の低い、がっちりとした体つきの、もう一人の大鷲翼の少年が、「俺とスタンは、ゴオ卿の飛武術館に進みますし」と続け、他の少年たちは一斉に「僕たちは、本館に行きます」と言った。
「皇子は?」
「知らん」
途端、不貞腐れて、そう吐き捨てる白翼の少年の代わりに、無翼の少年が答えた。
「皇子はね、ゴオ卿が指南役につくんです」
少年たちは目を丸める。
「へえ」
「ゴオ卿が?」
「直接?」
「ええ、直接」
「すごいな」
「いいなあ」
「さすが皇子」
「やっぱり違うな」
少年たちは口々に言った。
が、当の少年は「……俺は、お前らと一緒に飛武術館に行く方がいい」と、ぶっきらぼうに吐き捨てた。
それを聞いた、大鷲翼の少年が、羨ましげに舌打ちをして、もう一人の大鷲翼の少年の耳元で「ゴオ卿が直接付いてくれる方がいいに決まってる」と囁いた。
言われた少年も、ああ、と羨ましげに頷いた。
別の少年が無翼の少年に向かって尋ねた。
「じゃあ、継承君もゴオ卿?」
すると、無翼の少年は残念そうに、「いや、僕はね、勉強が忙しくて、剣術どころではなくなるって話」と答えた。
「ええー!」
「止めるのかよ!」
皆が口々に、もったいない、と叫ぶ。
無翼の少年は、「まあ、でも神官修行にも武術はあるから」と、笑いながら付け加えた。
それを黙って聞いていた、白い狗鷲翼の少年が、誰に言うでもなく不機嫌そうに呟いた。
「……これから色々つまらなくなるな」
が、少し経つと、誰からともなく、少年たちは再び刀を交え始める。すぐに朗らかな笑い声も戻った。
白い狗鷲翼の少年をカイという。
皇家狗鷲族の出身で、翼族の現皇帝の第一子。
無翼の少年をハルという。
賢者族と呼ばれる、翼族唯一の無翼の一族の出身で、皇帝の特別政治補佐官である、筆頭賢者職の第ニ十七代目の継承者。俗に継承君と呼ばれている。
周りにいるのは二人の学友で、幼い頃から一緒に剣術を稽古してきた仲間だ。
皆、現在十二歳、翼族の国では、翌年成人を迎える。
実は、この時すでに、彼らの成人を巡り、国の内外で様々な思惑が動き始めていたが、当人たちは、まだそれを知らない。
* * *
その晩、城内で、二つの会合が開かれていた。
一つは、小広間で。
武術大臣が主催する、武術奨励会と呼ばれる恒例の集いだ。大臣を中心とした、各方面の有力者の集会だが、今回は、大臣の第一子・第二子となる双子の王子の誕生を祝う催しになっていた。
商人組合からの代表者が二人、高位の剣士数名、それぞれ四大公爵家から派遣された使者などのほか、教育院と武術院の高官数名を含めた面々が賑やかに酒を酌み交わしている。
もう一つは、上皇の間で。
上皇と、翼の無い老神官、梟翼の老侯爵が、顔を突き合わせて真剣に何事かを話し合っている。
その同じ頃、二人の使者が、奇しくもほぼ同じ時刻に国境を越えて、翼族の国に入っていた。
一人は、西方から戻ってきた掛巣翼の男。その懐には黒い漆塗りの小箱が収めてあり、それを守るように、慎重に空を飛んでいる。
もう一人は、北方から使わされた鴉翼の男。そしてその懐には、薄紅色の石盤が書状と共に収められている。どちらの使者も、ある男のもとへ向かっていた。